日本GP 金曜記者会見
金曜日恒例のチーム代表記者会見。今回はノルベルト・ハウグ(メルセデス)、 ロバート・ ファーンレイ(フォース・インディア)、アダム・パー(ウィリアムズ)、フランツ・トスト(トロ・ロッソ)、安川ひろし(ブリヂストン)が出席。
Q.まずチーム代表の方々に、エンジンのことを伺います。来年の契約はもう済んでいるのでしょうか? また、今年のエンジンの使用状況について、8基でシーズン終了まで、問題なく戦えるのでしょうか?
フランツ・トスト(以下、トスト) トロ・ロッソはフェラーリとの協力関係を続け、来年はエンジンだけではなく、KERS※の供給も受けることになっている。今年の使用状況はまったく計画どおりで何も問題ない。今回は新しいエンジンを使い、これをサンパウロとブラジルへ持っていく。韓国ではモンツァの時のエンジンを使用する予定だが、すべて当初の予定どおりだ。
ロバート・ファーンレイ(以下、ファーンレイ) 私たちのところも、エンジンには問題ない。さらに2年間、メルセデスとの関係を維持することが決まっている。
ノルベルト・ハウグ(以下、ハウグ) 私たちも同様に計画どおり進んでいる。今のところ、すべて順調だ。フォース・インディアでビタントニオ・リウッツィが使っていたエンジンだけが計算外だった。あれは申し訳なかったが、それ以外は予定どおりに使用している。
アダム・パー(以下、パー) 来年もコスワース・エンジンを使う。今年のエンジンも良好だった。
Q.今日の午後、ルーベンス・バリチェロのマシンにエンジン・トラブルがあったということですが?
パー: それは事実だが、2基用意してあるので、エンジンが足りなくなるということはない。この週末は新品を使い、ブラジルでも新品のエンジンがルーベンスに供給される。
Q.おなじく、アブダビでおこなわれる新人ドライバーのテストについて聞かせてください。どんな顔ぶれをテストするか、そしてチームに加える可能性はあるのでしょうか?
トスト: ジャン-エリック・ベルニュをテストする予定だ。20才のフランス人で、今年イギリスF3選手権の優勝を経験している。シルバーストンでおこなわれたルノー・ワールド・シリーズでも第1レース1位、第2レース2位と活躍した。アブダビで走らせるのが楽しみだ。ただし、来年のドライバーズ・ラインナップは、すでにハイメ・アルゲルスォリとセバスチャン・ブエミに決まっている。
ファーンレイ: 今回は若いドライバーのテストを予定していない。現行のドライバーでまったく問題ないから。
ハウグ: まだ決定していない。できればメルセデスの育成ドライバーを走らせたいが、結論を出すのはこれからだ。
パー: F2選手権で優勝したディーン・ストーンマンを1日走らせようと思っている。もう1日については未定で、来年のドライバーを誰にするかも、まだ決まっていない。
Q.今年、マシンを独力で設計、製作するという経験をしたわけですが、成果はいかがでしたか? また来年の計画は?
トスト: トロ・ロッソはまだインフラの整備を進めているところで、新しい人員も募集している。9月1日から空力部門が作業をはじめ、それ以来2交替制で作業を続けている。今のところはスケジュールどうりで、先週の水曜に来年のモノコックが完成した。ウチは小規模なチームだから、このあと数か月は忙しくなるだろう。
Q.ブリヂストンの一員として参加する最後の日本GPですが、まずこれまでの活動をふり返ってください。
安川ひろし(以下、安川) モータースポーツと本格的に関わるようになったのは1976年で、その年と翌年、富士の日本GP用としてF1タイヤを供給しました。当時の夢はレギュラーでF1に参戦することでしたが、まだ会社の規模も小さく、夢のような話でした。偶然ながらホンダが1980年にF2をはじめ、私たちは1981年からF2用タイヤを供給するようになりました。ライバルだったピレリが翌年に撤退し、ミシュランがやってきて、ずいぶんやっつけられました。1983年にはF3000をやれましたけれど、日本へ呼びもどされました。その後はル・マンのタイヤを手がけ、1991年にはメルセデス・ベンツからDTM用タイヤの開発を依頼されした。そのときも、やはりミシュランが競争相手でしたね。DTMを席巻したあと、ノルベルト・ハウグに強力なペンスキー・チームを紹介してもらって、インディカーにも進出しました。ここでも結果を残しましたが、夢はやはりF1でした。1997年にその夢がかない、翌年にはマクラーレン・メルセデスと組んでタイトルを獲得しました。当時はライバルがいましたが、それもなくなり、今回は残念ながら私たちも撤退することになってしまいました。
Q.モータースポーツはブリヂストンという会社に何をもたらしたと思いますか?
安川: 具体的には、当初ラジアル・タイヤの開発にたいへん役立ちました。レースをはじめたころの主流は、まだクロスプライでしたから。さらに、レースで好成績を収めることにより、日本国内での知名度が格段に上りました。そのころはまだ海外へ進出しておらず、タイヤ・メーカーだということさえ知られていませんでした。F1をはじめると、世界的にも急速にブランドとして浸透することができました。それが会社としては、もっとも大きな収穫だったと思います。
Q.ブリヂストンと鈴鹿の関係についてはいかがでしょう?
安川: このサーキットが完成したのは1962年で、私はまだ少年でしたけれど、レースを見に来ていました。4輪ではなく、モーターサイクルのレースでしたけど。1964年にはブリヂストンもタイヤを供給しましたが、それはごく普通のものでした。1976年から、本格的にレース用タイヤの開発をはじめ、鈴鹿には有名なドライバーと出逢ったり、いろいろな想い出があります。
Q.本当はビジェイ・マルヤ代表に訊くべきなのでしょうが、来るべきインドGPについて、何か話していただけませんか?
ファーンレイ: すくなくともサーキットの建設は順調に進んでいる。英連邦競技会と違って、インドGPは政府と関係のない事業だが、きっと素晴らしいイベントになるはずだ。
Q.イン
ドの人たちはF1に関心を抱いているのでしょうか?
ファーンレイ: 開催されれば、大きな話題になるはずだ。それも歓迎すべきことだろう。フォース・インディアが中心になって2011年からドライバー・アカデミーを開校する予定で、そこから多くのドライバーが育ってくれるものと期待している。
Q.今年DTMのタイトルを獲りそうなポール・ディ・レスタをF1にデビューさせる予定はないのでしょうか?
ハウグ: まだ何も決まっていない。DTMはあと3レースあり、4人にタイトル獲得の可能性があるんだ。もちろん、ポールがずば抜けた才能の持ち主であることは間違いないだろう。しかし、ドライバーはチームが決めるのであって、私たちには口出しできない。もちろん、メルセデスが育てたポールがDTMのタイトルを手土産にF1デビューを果たせば、素晴らしいだろう。
Q.ルノーのテクニカル・ディレクターだったボブ・ベルがフリーになっていますが、興味のある方はいますか?
パー: 間違いなく有能な人間だから、早く次の仕事をみつけて欲しいものだ。
ハウグ: 言っておくけれど、私はチームの代表ではないし、人選はロス(・ブロウン)の仕事だ。だいたい、最近ではそういうことについて、あまり話もしていない。アダムも言ったとおり、ボブは優秀な人間だから、ふさわしい職場に就くべきだろう。
パー: こんな質問をするなんて、ボブから金でももらっているのかい?
トスト: 彼は非常に高く評価されている技術者だが、ウチにはジョルジオ・アスカネリがおり、その仕事ぶりに満足している。
ファーンレイ: ボブはルノーで見事な働きをしたと思う。今後の活躍を祈るのみだ。ただ、フォース・インディアが雇うことはないだろう。
Q.セーフティ・カーの導入と同時にピットの出入りが禁止される新しい規則について、意見を聞かせてください。
パー: セーフティ・カーに関するルールは変りすぎだと思う。スムーズにピットレーンを閉められるかどうかも疑問だ。
トスト: ピットレーンを閉めることには反対だ。事故につながるかもしれない。信号機のある一般道ではないのだから、ピットは常に開けておくべきだろう。
ハウグ: アダムの言うように、ルールの変更は慎重にするべきだと思う。2年ほど前のセーフティ・カーに関する規則は悪くなかった。何をするにしても、プラスとマイナスの面があるものだ。
ファーンレイ: 私も作為的にレースを操作しようとする動きには反対だ。セーフティ・カーが出ている間のピット作業は、観客にとって面白いと思う。いずれにしても、アダムが言ったとおり、長所も短所もあるだろう。上手くいけば、得をするのは主催者側だろうが。
※KERS
ブレーキング時のエネルギーをチャージして、推進力にするシステム。搭載することで、スタートやストレートなどの強い味方になる。