ペーター・ザウバーに訊く、”J.キーをTDに選んだ真意”
ザウバーは4月8日、10年間にわたってチームを支えたウィリー・ランプ(56)に代わって、フォース・インディアで活躍したジェームズ・キー(38)にテクニカル・ディレクターの座を譲ることを報告。ペーター・ザウバー・チーム代表は、この変更に対して、以下のようにコメントした。
◆フォース・インディアを速くした男
—- 4月6日に、ジェームズ・キーがテクニカル・ティレクター(技術部長)のポジションを引き継ぎました。彼を選んだのは?
ペーター・ザウバー(以下・PS) 私は、フォース・インディアが、削減された予算の中でなし遂げたことに感銘を受けた。ジェイムス・キーは、それを達成するために重要なポジションにいたから、限りある資源を最大限に活用する実績は、技術部長を任命する上で重要だったね。同時に、彼がヒンウィルでの充実した設備からメリットを得るだろうし、私は、彼がチームを前に進めてくれることになんの疑念ももっていないよ。
—- 彼の主な仕事は?
PS 彼の最初のグランプリは上海になる。そこで彼は、テクニカル・ディレクターとしてサーキットに赴き、技術部門の責任を持つことになる。
短期に、彼は、我々のC29について、私達がシーズン当初の3レースで達成できなかった可能性を引き出す開発に集中してくれると思う。さらに、彼は技術部門のあるべき形を構築してくれることを期待している。私は”変化”に期待しているが、それが一晩で起きるとは思っていない。達成にはそれなりの時間がかかるものだよ。
◆本来の力を取り戻したい
—-技術部門に変化が必要な理由は?
PS 3戦を終えた時点では、C29の性能が、我々が予測したところにない。その理由を探しているところだ。はっきりしているのは、去年のシーズン後半に我々の周囲が不安定な状況になったことだ。去年の12月に私がチームを引継ぐまで、チームの誰も我々が開幕戦のバーレーンのグリッド上にいるという確信を持てなかった。私の仕事は、できる限り早く後れを取り戻すことだよ。
—- それのための必要条件は?
PS 我々は”新チーム”としてのスタートを経験していて独立したチームへのプロセスを進めているところだ。
チームは、予算を40パーセント削減し、従業員を1/3に減らした。大きな削減だったけれど、どうあれ、この経済化のプロセスは、FOTAの決定で、すべてのチームに影響しているからね。我々はやり方を変えて、新たなやり方でベストの効率をさがして行くべきと思っている。
これは、技術開発のハード面だけでなく、たとえば、二人のドライバーとエンジニアがどう協力し合うかなどのように、チーム運営のソフト面の意味でチーム全体にいえることだ。ベッドインするまでには時間がかかるものだよ。
ジェイムス・キーは、我々の力を元に戻すために、様々な仕事を受け持ってくれるはずだ。
—- ウィリー・ランプは、次の中国GPでは上海サーキットのトラックサイドでチームに協力することになると思うが、マレーシアがテクニカル・ディレクターとしての彼の最後のグランリでした。これはチーム代表のあなたにとって、なにを意味しますか?
PS それは時代の終わりだね。ウィリーは、我々のチームに14年間在籍し、そのうち10年間はテクニカル・ディレクターだった。彼は、会社を構築することを手伝い、数年の間のチームの成功のためにたくさんの信頼を獲得してくれた。ウィリーが私達のチームのためにしてくれたことで、私は彼にとても感謝しているんだ。
左から、P.ザウバー・チーム代表、M.カルテンボーン・マネージングダイレクター、そしてW.ランプ/テクニカル・ディレクター。
◆ウィリーの貢献に感謝している
—- ウィリー・ランプばどんな感じでチームに入ってきました?
PS 私は、当時のテクニカル・ディレクターだったリオ・レスから、1993年にウィリーを紹介されて、南アフリカのキャラミ・サーキットの、我々にとっての初めてのF1GPに招待したんだよ。当時ウィリーは、BMWのエンジニアとして南アフリカで働いていた。数カ月後、彼から、一緒に仕事がしたいと申し入れがあったので、チームのドライバーバーだったハインツ・ハラルド・フィレンツェンのレースエンジニアとして彼を雇ったんだ。
—- 何が次に起こりましたか?
PS 1998年、ウィリーは、一端BMWに帰った。パリ=ダカールのオートバイ・プロジェクトを率いて成功を収めるためにね。その後、2000年にチームに戻り、2001年からテクニカル・ディレクターを任せた。それは、ハッピーなことが分かった。2001年、彼の仕事は、チームをコンストラクターズランキングの4位を得ることができたからね。
ウィリーは、BMWザウバー・チームのテクニカル・ディレクターとして共に歳月を重ね、カナダGPの1-2フィニッシュ(2008年)も達成した。その段階で、ウィリーは、キャリアを少しばかり変更したがっていたけれど、私達が、彼の仕事を引き継ぐ人材を見つけるまで、チームに留まってくれると約束してくれたんだ。それが、ジェイムス・キーにテクニカルディレクターを譲るこのタイミングになったというわけだ。