佐藤公哉のモナコ初挑戦報告
先週末のモナコGPのサポートレースとして行なわれたGP2第3大会にカンポス・レーシングから参戦した佐藤公哉からの報告が届いた。
「初めてのモナコだったので、クラッシュしないよう、無事故で一日を終えられるように気を付けました。練習走行ではまずゆっくりゆっくりと。コースに慣れるための時間をもらっていましたし、13、14周ぐるぐると走り続けていいからとチームからは言われていました。予選は練習走行で悪かったところを直し、僕自身も1分21秒台を目指して攻めに攻めたつもりでしたが、身体で感じる時間とラップタイムに少々ギャップがありました。トンネルを抜けて、ヌーベルシケイン、タバコ屋コーナー、プールサイドあたりまで、自分がやるべきことは頭で分かっていますが、実際に運転するといまひとつ足りませんでした。低中速コーナーのトラクション不足も、練習走行からあまり改善されていませんでした」と、モナコの難しさを体感した。
23日のレース1(42 周)は、クラッチの不調で出遅れ21番手に後退。二度のセーティ・カー導入の大荒れのサバイバル・レースとなり、公哉は、15位となった。
翌5月24日のレース2には、新品ソフトでスタート。再びクラッチの不調でスタートは出遅れ、17 番手に後退。レース1ほどの荒れた展開ではなったものの、セーティ・カーが1回入るレスキーなモナコらしいレースとなり、終盤は、4番手から21 番手までの18 台が約11 秒の間にひしめく接近戦を、14位でチェッカードフラッグを受けた。
佐藤公哉は、以下のようにレースを振り返った。
「ここまでツイていないと腹も立ちません。決勝レース1は、スタート直後の事故でセーフティーカーが出ることは織り込み済みで問題ありませんでした。しかし、その後のレッドフラッグや再度のセーフティーカー導入は予想外でした。一連のアクシデントで、僕らの採った行動のすべてが裏目に出ました。クルマのトラクション不足は解消された反面、タイヤに負担をかけないとペースを上げられなくなり、予想以上の速さで消耗が進みました」
「ハンドクラッチのつながるポイントが不安定という症状が治らず、決勝レース2でもスタートは出遅れました。前にペースの遅いクルマが居たので渋滞し、最後までマクラーレン育成ドライバーのリアをにらみ続けるだけで終わってしまいました」。
「3日間を振り返ると、結果は非常に不満です。クルマで言えば、トラクションやクラッチの問題を早く解決しなくてはいけません。自分自身で言えば、次の大会までの約3週間、トレーニングを怠らないように努めなくてはいけません」
photo by Campos Racing/EURO NOVA
※記事内の佐藤公哉選手のコメントに、一部文字化けがございましたので、修正いたしました。