多摩川サーキット80周年記念展、成功裏に閉幕
川崎市民ミミュージアムの広大なスペースに、多摩川サーキットが甦った。
7月17日から31日まで、日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」の開設80周年を記念して、川崎市の市民ミュージアムで、歴史を伝承する展覧会が行なわれた。
昨年11月20日には、『多摩川の歴史遺産–モータースポーツ発祥の地–多摩川スピードウェイ・回顧展』が行なわれ、今年5月29日には、多摩川沿いのサーキット跡地に今でも残る観客席近くに、80周年記念プレートが設置され、除幕式が行なわれた。今回の展覧会は、その流れを汲むもの。
広大な川崎市民ミュージアムのホールに、実物資料や写真の他に、初公開の市民ミュージアム所蔵の貴重な映像が紹介され、1936年にオープンした日本最古のレーシングサーキットの足跡を振り返った。主催は、川崎市市民ミュージアム、多摩川スピードウェイの会が共催し、日本プロセス株式会社が協賛して実現した。
多摩川スピードウェイは、僅か4回の自動車レースを開催しただけで、大東亜戦争の影響などから幻のサーキットになったが、本田宗一郎を筆頭に、その後の日本の自動車工業界の基礎籍となる存在として重要な役割を果たした。
多摩川を挟んだ対岸の大田区には、その後自動車部品を生産する工場が立ち並び、その名も”オオタ”や、”ニッサン”の基盤となる工場が国産レーシングカーを多摩川スピードウェイのレースに送り出し、多摩川スピードウェイを技術の研鑚の場になった。
今回の展示会で、7月17日の開幕日と31日の最終日に、展示された写真や縁の品々を巡って解説するギャラリートークを行なった多摩川スピードウェイの会の小林大樹さんは、”多摩川スピードウェイは、自動車関連の機械産業が盛んな大田区のルーツ、つまりは日本の自動車の源だったのではないか”とおっしゃっているが、まさしく、多摩川スピードウェイが日本の自動車工業界に与えた影響は計り知れないものがある。
多摩川スピードウェイなくして日本の自動車工業界の発展はなかったのだが、この先、今回も企画展に協力した川崎市が、多摩川サーキットの存在を誇りに持たれ、『日本の自動車産業発祥の地』としてこの場所を広く歴史に残す活動とされることを祈りたい。
[STINGER]山口正己
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