F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年10月3日  ブラウンの戦略ゲーム

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

ブラウンの戦略ゲーム

いよいよ残り3戦…..’09年のタイトル争いは日本/鈴鹿、ブラジル/インテルラゴス、そして初開催のアブダビGP/ヤスマリーナへ。’09年シーズン開幕当初は、このまま楽にタイトルを決めると思われたジェンソン・バトン/ブラウンGPが中盤に入って失速し、その間着実に速さを磨いて来たレッド・ブルのセバスチャン・ヴェッテル/マーク・ウェバーの追撃に合い、序盤の不調/マシン・コンセプトのミスを名門ならではの開発力でリカバリーし、遂には勝利を掴むほどの復活を遂げて来たマクラーレン/フェラーリが今度はダーク・ホース的にレースを席巻、復活の兆しを見せたブラウンだが今度はバトンではなくチーム・メイトのルーベンス・バリチェロが2勝…..初優勝ひとり(ウェバー)を含む6人の優勝者を生んだ’09年シーズンが遂に決しようとしている。3戦を残し、現在ポイント上タイトル獲得の可能性のあるドライバーは3名。

第14戦シンガポールGP終了時
ジェンソン・バトン 84点
ルーベンス・バリチェロ 69点
セバスチャン・ヴェッテル 59点


つまり、誰が勝っても初タイトルなのである。とは言え、事実上トップのバトンから25点差をつけられたヴェッテルの逆転は難しい。彼は勝つだけでなく、ライバルの脱落を待たなくてはならなくなり、プロ野球風に言うと「自力優勝の可能性がほぼ消滅した」と言って良い状況。圧倒的有利なのはもちろん首位のバトン。ポイント上の直接的なライバルであるチーム・メイトのバリチェロとは15点差、仮に残りを3連勝すると、バトンが3戦全てで4位に入れば同点、優勝回数(バトン6勝/バリチェロ5勝)の多いバトンが逃げ切る計算となる。もしバトンが1度でも2位/8点を加算出来たら、残り2戦は4位と5位で充分。もっと極端なパターンでは、仮に次戦鈴鹿でバトンが優勝し、バリチェロが4位以下なら、そこでバトンのタイトル獲得が決定する。従って、バリチェロがタイトルを獲得するには3連勝+バトンの3戦連続4位以下という極端な結果が必要であり、現状の勢力図を考えると極めて難しい。余裕のあるバトンが鈴鹿で無理をして勝ちに行くとは思えないが、今バトンは限りなくタイトル争いに”王手”をかけた状況にいるワケだ。

F1ワールド・チャンピオンはたった1戦で決する。が、それはそこまでの全てのレースに於ける積み重ねによるものであり、たった1戦がチャンピオンを決めるという意味でもない。勝つべきレースに勝ち、穫るべきポイントを確実に穫り、総合得点制度を上手く活用した者、つまり速さだけではなく”強さ”をも兼ね備えていなければならない。
誰が勝っても初チャンピオン。この歴史的な瞬間は間もなく訪れる。3年振りの鈴鹿/日本GP直前となる今回のスクイチは近代F1に於ける、残り3戦からのチャンピオン決定劇を振り返ってみる。

この10年間の内、’01/’02/’04年は、残り3戦の時点で既にドライバーズ・タイトルが決していた。いずれもフェラーリのミハエル・シューマッハーの仕事である。’01年は全17戦中13戦目、’04年は全18戦中14戦目で共に残り4戦時、’02年に至っては全17戦中第11戦/残り6戦の時点で早々とタイトルを決定。ちなみに勝利数は’01年が17戦9勝、’02年17戦11勝、’04年は18戦13勝…..つまり圧勝。しかしながら、ほぼ皆さんお気づきのこととは思うが’02年/’04年はチーム・メイトでありセカンド・ドライバーのバリチェロをランキング2位に従えてのタイトル獲得であり(’01年はバリチェロ3位/2位はマクラーレン・メルセデスのデビッド・クルサード)、フェラーリに於ける”シューマッハー帝国のルール”により現実的にシューマッハーのタイトル獲得にアシスト役はいてもライバルは存在していなかった、と言える。’04年はランキング3位が未勝利のバトン(BAR・ホンダ)であり、フェラーリはバリチェロの2勝と合わせ18戦中15勝、モナコ/ベルギー/ブラジルの3戦以外は全てフェラーリが穫ったシーズンだった。’00年代に於ける皇帝・シューマッハーの”勝ち方”は、それこそチーム・オーダー事件でF1グランプリのルールが根本的に問われるほど圧倒的なものだった。しかし、この3シーズンを除いては、以外に残り3戦の時点ではまだ勝負の行方が解らない接戦状態が多かったことに気づく。この10年間の内、シューマッハーの圧勝に終わった3年間以外の”残り3戦”からの当該ドライバー達の闘い方、そしてタイトルの決し方を振り返ってみよう。

◆’08年
ポイント・リーダー=ルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)
2位=フェリペ・マッサ(フェラーリ)
得点差7点

まず記憶に新しい昨年。全17戦で争われたシーズンの残り3戦は、今年と同じくシンガポールGPから日本GP、というタイミング。F1史上初のナイト・レースとなった第15戦シンガポールGPはここスクイチでも取り上げた、例のルノーを巡るクラッシュ・ゲート事件の舞台となり、ダーク・ホースのアロンソがラッキーな勝利を掴む一方で、タイトルを争うフェラーリの若きエース、マッサはチームがピット作業で焦り自滅、僚友ライコネンもクラッシュで戦線離脱し、ポイント・リーダーのハミルトンは目立った走りこそなかったものの7位フィニッシュで2ポイントを追加。これにより残り3戦でハミルトン84点/マッサ77点/ライコネン57点。ライコネンは3戦連続無得点でほぼタイトル獲得は絶望となり、ハミルトンとマッサにタイトル争いは絞られた。
結果的に富士スピードウェイでの最後の開催となった第16戦日本GP、ライバル意識剥き出しのハミルトンとマッサは5位を争う2周目に接触、ハミルトンはスピンして18番手に後退、マッサはドライブスルー・ペナルティを食らって14番手へと後退。レースは序盤の混乱をくぐり抜けたアロンソが2連勝し、マッサが7位2ポイント追加により79点、ハミルトンは12位無得点で84点のまま、その差は5点となった。ライコネンは3位表彰台により63点で残り2戦での逆転王者の可能性は消えた。
第17戦中国GP、予選ポール・ポジションはハミルトン、2位にマッサという直接対決。絶妙なタイヤ・チョイスで序盤からハミルトンがリードを築く。2番手には予選3位のライコネンが続き、マッサは3位だがフェラーリ勢とハミルトンとのギャップは広がるばかり。最終的に既にタイトル争いから脱落しているライコネンがチーム・メイトのマッサに2位を”譲り”、シーズン5勝目のハミルトンが94点、2位で8点加算のマッサが87点となり、タイトル決定は最終戦へともつれ込んだ。
最終第18戦ブラジルGP、追う立場のマッサが勝っても、7点差を持つハミルトンは5位でフィニッシュすれば1ポイント差で初王者となる楽な展開。必勝態勢のフェラーリ/マッサは地元ブラジルの大観衆に後押しされポール・ポジションから絶妙なスタートで首位を独走。対する余裕のハミルトンは4番手スタートで無理なくポジション・キープ。レース終盤、突然の雨に各車ウェット・タイヤへと交換するが、ドライのままチェッカーを目指すギャンブルに出たトヨタのティモ・グロックがピット・アウトしたハミルトンの前となり、ハミルトンは5位に後退。このままでもタイトル確定だが、この年史上最年少初優勝を遂げたトロ・ロッソのヴェッテルが濡れた路面でハミルトンをパス、残り2周でハミルトンはタイトル獲得圏外の6位へ後退。マッサはトップでチェッカーを受け、ライバルの結果を待つ。ファイナル・ラップの最終コーナー、強くなった雨にコントロール不能となったグロックをヴェッテルとハミルトンが抜き、結局ハミルトンは5位で辛くも1ポイント差で史上最年少世界王者となった。
結果的に、ハミルトンは残り3戦の時点で持っていた7点のリードをほぼ失った。が、2戦で無得点レース1/優勝10点獲得レース1、最終戦で相手が勝っても無理な争いをせずとも堅実なポジションをキープすることでタイトルが転がり込む、という余裕を持って望むことが出来たのも事実である。反対にマッサは鈴鹿での直接対決で無理をして2点止まりとなり、中国ではチーム・メイトの後塵を拝しながら譲られた8点でハミルトンの2戦合計得点に届かず、完全に追う者の焦りで自滅。開き直った最終戦は素晴らしいレースを展開したが、既に余裕を持っていたライバルに対して出来ることはもう残されていなかった。シーズンを通してハミルトン/マッサの直接的な接触事故も多く、ドライバー管理に長けたマクラーレンと、皇帝・シューマッハーを失った新生フェラーリの焦りが良く現れたタイトル決戦だった。

◆’07年
ポイント・リーダー=ルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)
2位=フェルナンド・アロンソ(マクラーレン・メルセデス)
得点差2点

三つ巴のタイトル争いとなった’07年は第14戦ベルギーGP終了時点で、デビュー1年目のハミルトン97点、チーム・メイトで2度のタイトル経験者アロンソが95点、フェラーリのライコネンが84点。ランキング4位のマッサを含め、帝国フェラーリvs復活のマクラーレン、の図式となっていた。しかしマクラーレンは王者アロンソと新人ハミルトンを例によってジョイントNo.1とし、公平にタイトルを争わせる姿勢を取り続けていた。しかしそれは仇となり、第11戦ハンガリーではチーム内の扱いに不満のアロンソがハミルトンの予選アタックを妨害、ロン・デニスの秘蔵っ子ハミルトンと、ルノーから移籍のアロンソとの間には取り返しのつかない緊張感が漂っていた。
残り3戦第1ラウンド、鈴鹿に代わって改装後初開催となる富士スピードウェイでの日本GPはポール・ポジションにハミルトン、以下2位アロンソ/3位ライコネン/4位マッサというランキング通りの順位。決勝は大雨の中、アロンソが41周目にスピンしてリタイアし、痛いノー・ポイント。勝ったハミルトンは10点を加算し、ライコネンは3位で6点獲得。残り2戦でハミルトン107点/アロンソ95点/ライコネン90点、脅威の新人ハミルトンが圧倒的有利な状況となった。
第16戦中国GPは波に乗るハミルトンが予選を制し、以下ライコネン/マッサ、不利になったアロンソは4番手スタート。ウェット・スタートとなった決勝レースはハミルトンが順当に首位をキープ、しかしレース中盤に雨が降ったり止んだりを繰り返し、ハミルトンはトップの座をライコネンに明け渡す。アロンソはマッサを抜いて3位に上がり、眼の前のハミルトンを猛追。焦ったハミルトンは31周目にピット・レーン入り口でグラベルにはまり、そのままリタイア。レースはライコネンが制し、アロンソは2位。これでポイント差はハミルトン107点/アロンソ103点/ライコネン100点となり、それでも最終戦アロンソ勝利/自身2位でデビュー・イヤー・チャンピオンとなるハミルトンの優位は覆らないと思われていた。
最終第17戦ブラジルGP、地元マッサが予選を制し、以下ハミルトン/ライコネン/アロンソ。オープニング・ラップでハミルトンはアロンソと接触してコース・アウト、順位を8位へ落とす。レースはマッサが引っ張り、ライコネンが追う展開。ハミルトンはギア・トラブルでペースが上がらず、ポイント圏外へ。フェラーリ勢を追撃すべきアロンソは逆にBMWザウバーのロベルト・クビサのプッシュに合い、3番手キープに必死。レース終盤、51周目に首位マッサのピット・イン後にライコネンが猛チャージ、3周後にライコネンがピットを出るとマッサの前で遂にトップへ。アロンソは2位、ハミルトンは5位以上でなければライコネンが逆転王座となる展開。しかし僚友マッサの手助けの必要もなくフェラーリ2台がレースを制し、アロンソ3位/ハミルトン7位でレースは終了、予想を大きく裏切るライコネンの逆転王座獲得となった。
残り3戦時点でランキング3位のライコネンが劇的なタイトル獲得を達成した裏には、マクラーレンのチーム内不和が大きく影響した。結果的にアロンソはこの年限りでマクラーレンを離脱し、翌年古巣ルノーへと復帰。チーム内で立場を確立出来なかった元王者と、チームの育成プログラムを経て鳴り物入りでデビューした脅威の新人とを巡る溝は深く、最後はフェラーリのチーム・プレイの前に屈した。ハミルトン/アロンソが互いに1戦ずつ無得点レースを出したこの3戦で、絶対的に不利だった筈のライコネンは2連勝+3位という”強さ”を見せたのである。

◆’06年
ポイント・リーダー=フェルナンド・アロンソ(ルノー)
2位=ミハエル・シューマッハー(フェラーリ)
得点差2点

第15戦イタリアGP終了時、アロンソ108点/シューマッハー106点。互いに6勝ずつをマークし、完全に互いのチーム・メイト(フェラーリ/マッサ、ルノー/ジャンカルロ・フィジケラ)を引き離しての直接対決。シューマッハーはここで’06年限りでの引退を発表。しかし初勝利を得たばかりのフェラーリ1年目のマッサの成長は著しく、終盤でシューマッハーのサポート役としての活躍が期待されていた。残り3戦、ほぼ互角のまま両者は決戦になだれ込む。
第16戦中国GP、ルノー勢がフロント・ロウを独占し、シューマッハーは3列目スタート。ウェット・コンディションのレースはルノーの1-2で幕を明け、シューマッハーは巧みなドライビングで中盤に3番手へ浮上。ペースの上がらないアロンソは一旦チーム・メイトのフィジケラに首位を明け渡すが、直後にシューマッハーにも抜かれ3位に後退。コンディション変化に上手く対応したシューマッハーが41周目に首位に立ち、再び降って来た雨の中アロンソの猛追をかわして優勝。両者116点で同点となるが、勝利数でひとつ上回るシューマッハーが逆転トップ。
第17戦日本GPは”鈴鹿最後の開催”。マッサ/シューマッハーのフェラーリ勢がフロント・ロウ、アロンソは5番手と、丁度前戦中国GPの逆のようなグリッド状況となる。レースはシューマッハーがスタートから独走、しかし37周目に突然のエンジン・ブロウでストップ/リタイア。ライバルの脱落でプレッシャーから解き放たれたアロンソがなんなく優勝し、最終戦での勝利+アロンソ無得点以外にタイトルの可能性がなくなったシューマッハーの王座獲得は事実上難しくなった。
最終第18戦ブラジルGP、これが引退レースとなるシューマッハーは予選から不調で10番手、アロンソは4番手スタート。地元で初のポール・ポジションを獲得したマッサはいつでもシューマッハーに先頭を譲るつもりで首位を守るが、肝心のシューマッハーが他車との激しいバトルでタイヤを痛め、一時は最後尾まで後退。しかしここから鬼神の追い上げを見せ、最終的には4位フィニッシュ。無理に首位マッサを追わず、クレバーに走ったアロンソが13ポイント差をつけて2年連続のチャンピオンとなり、熾烈だったコンストラクターズ・タイトル争いもルノーのものとなった。
現役引退を決めた7度の王者・シューマッハーの強さは残り3戦時の中国GPでも相変わらずだったが、その後のラスト2戦でのマシン・トラブルが致命的だった。その間アロンソは2位→優勝→2位と効率良くポイントを稼ぎ、新たな時代の王者として強さを見せた。

◆’05年
ポイント・リーダー=フェルナンド・アロンソ(ルノー)
2位=キミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)
得点差25点

3戦を残した第16戦ベルギーGPで勝利したランキング2位のライコネンは86点、2位でフィニッシュしたルノーの若きエース・アロンソは既に111点となり、もはやアロンソの初タイトル獲得は時間の問題だった。そしてそれは翌第17戦ブラジルGPで現実のものとなった。既に数字上余裕のアロンソがポール・ポジションを獲得。既に自力チャンピオンの可能性の消えたマクラーレン側に失うものはなく、序盤からライコネン/ファン・パブロ・モントーヤ共にアグレシッヴなレースを見せ、モントーヤ/ライコネンの1-2でレースを展開。しかしアロンソはこれを無理に追わず、3位フィニッシュ。2戦を残して23点差でライコネンを下し、史上最年少王者(当時)に輝く。ちなみに第18戦鈴鹿はライコネン優勝/アロンソ3位、最終第19戦中国GPはアロンソ優勝/ライコネン2位という接戦で、最終的なポイントはアロンソ133点/ライコネン112点。共に年間7勝/6ポール・ポジション。しかしラップ・リード周回数と最速ラップ回数はライコネンが上回るものの、トップ走行中のファイナル・ラップでのリタイアなどの不運が響き、シーズンを通して完走率/入賞率でアロンソに敵わなかったのが敗因と言える。

◆’03年
ポイント・リーダー=ミハエル・シューマッハー(フェラーリ)
2位=ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズ・BMW)
得点差1点

シューマッハー72点、モントーヤ71点、ライコネン70点。第13戦ハンガリーGPを終えて僅か1ポイント差の首位争いは完全に予想出来なくなっていた。ディフェンディング・チャンピオンであるシューマッハーが、第8戦カナダでの今季4勝目以降5戦連続で未勝利に苦しむ間、実弟であるラルフ・シューマッハーとファン・パブロ・モントーヤのウィリアムズ・コンビが急成長。2勝のモントーヤが着実にポイントを稼ぎ、気づけば1勝のライコネン(マクラーレN・メルセデス)を抜いて真後に迫っていた。
残り3戦、第14戦イタリアGP/フェラーリの地元モンツァで無様なレースは見せられない。フロント・ロウに並んだシューマッハーとモントーヤの闘いはオープニング・ラップから白熱し、地元の意地を見せるシューマッハーがどうにかモントーヤを振り切って5戦振りの勝利。2位モントーヤとのポイント差を3点とし、どうにかランキング首位を死守。
続く第15戦アメリカGP/インディアナポリスではランキング3位のライコネンがポール・ポジションを獲得、モントーヤは4位、シューマッハーは7位。レースは序盤から降り出した雨が強くなった中盤、ミシュラン勢に対し明らかにウェット・タイヤでのアドバンテージを持つブリヂストンを履くシューマッハーが11番手からトップへ。結局シューマッハーがライコネンを従えてフィニッシュ、モントーヤは6位に終わり、最終戦を残してシューマッハー92点/ライコネン83点/モントーヤ82点となり、モントーヤはここでタイトル争いから脱落。しかしライコネンも自身の勝利+シューマッハー無得点がタイトル獲得の条件となり、シューマッハーのタイトルはほぼ間違いない。
最終第16戦鈴鹿。必勝体制のライコネンはフリー走行のクラッシュが影響して無念の予選8位、だが1点穫るかライコネンが勝たなければタイトルの決まるシューマッハーも14位と低迷。レースはシューマッハーが5周目にBAR・ホンダからスポット参戦の佐藤琢磨に追突し、フロント・ウィング破損で最後尾へと転落。しかしライコネンもトップを快走するシューマッハーのチーム・メイトであるバリチェロを追いきれず、無念の2位フィニッシュ。シューマッハー自身もどうにか8位入賞し、93点vs91点の2点差でタイトルを防衛した。
シーズン中盤の苦しみはあったものの、まだまだ若手にはシューマッハーを脅かすドライバーは不在なことを実感したシーズンだった。ライコネン1勝/モントーヤ2勝は結果的にシューマッハーの6勝に遠く及ばず、最後の3戦で2勝し、最終戦で必要最低限の1ポイント獲得は、6度目の王者らしい集中力を発揮したと言える。

◆’00年
ポイント・リーダー=ミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)
2位=ミハエル・シューマッハー(フェラーリ)
得点差2点

第14戦イタリアGP、シューマッハーは故・アイルトン・セナに並ぶ通算41勝目をあげ、記者会見中に感極まって涙し、それを選手権上のライバルであるかつてのセナのチーム・メイト、ミカ・ハッキネンが慰めていた。シューマッハーはこの勝利でランキング首位のハッキネンに2点差と迫り、2年連続で逃したフェラーリでのタイトル獲得を目指す。ディフェンディング・チャンピオンのハッキネンはシーズン序盤のフェラーリの躍進に圧されていたが、シーズン後半に強さを取り戻し、ハッキネン80点/シューマッハー/78点での直接対決となった。
第15戦はF1初のインディアナポリスに於けるアメリカGP。シューマッハーがシーズン7回目のポール・ポジション、ハッキネンは僚友クルサードに続く3番手スタート。レースはシューマッハーが終始独走、クルサードはフライングによるペナルティで後退、ハッキネンは26周目にエンジン・ブロウでリタイア/ノー・ポイント。フェラーリはバリチェロの2位で1-2フィニッシュとなり、宿敵マクラーレン勢に大きく差をつけて選手権をリードした。ドライバーズ・タイトル争いは8点差となり、残り2戦でいよいよシューマッハーが王手。
第16戦鈴鹿、予選からふたりのポール・ポジション争いは白熱し、互いにトップ・タイムを塗り替え合う展開。最終的にシューマッハーが穫り、決勝はスタートで出し抜いたハッキネンがリード、全く気の抜けないドッグ・ファイトが続き、レース中盤に落ちて来た雨を的確に捉えたシューマッハーがピット・ストップでハッキネンを逆転、そのままフィニッシュしてフェラーリでの初王座が決定。
最終第16戦中国でもシューマッハーが連勝し、フェラーリはダブル・タイトル獲得。最終的にシューマッハー108点/ハッキネン89点と、ほぼ2勝分の差がついた。終わってみればシューマッハー9勝/ハッキネン4勝、クルサードの3勝/バリチェロの1勝、という側面で考えれば、シューマッハーが勝てるレースをしっかりと勝ち、対するマクラーレンはチーム・メイト同士にも争いがあったことが星を分け合う結果となり、マクラーレン/フェラーリの戦略の違いが結果に表れたシーズンとなった。

◆’99年
ポイント・リーダー=ミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)
2位=エディ・アーバイン(フェラーリ)
得点差0点

第8戦イギリスでシューマッハーが骨折し長期離脱となった’99年シーズンは、ディフェンディング・チャンピオンのハッキネンが自身のミスで第13戦イタリアを落とし、急遽フェラーリを背負って立つこととなったセカンド・ドライバー、エディ・アーバインに60ポイントで並ばれてしまった(勝利数はハッキネンが上)。しかもレースに勝ったハインツ・ハラルト・フレンツェン(ジョーダン・無限)が50点、ハッキネンの僚友クルサードが48点、ランキング上位4人が12点差以内という混迷のシーズンとなっていた。
第14戦ニュルブルクリンクでのヨーロッパGPはポール・ポジションにフレンツェン、2位クルサード、3位ハッキネン。アーバインは9位に沈み、雨で混乱するレースではトップ・ドライバーが次々に脱落、クレバーに走ったダーク・ホースのスチュワート・フォード/ジョニー・ハーバートが勝利し、選手権上位4人ではハッキネンが5位2ポイントを加算するも他は全員無得点。残り2戦ではまだ4人全員にタイトル獲得のチャンスが残された。
第15戦マレーシアGPで長期離脱していたシューマッハーが復帰、無念の”アーバインのタイトル獲得アシスト役”へと回り、見事なレース展開でハッキネンを抑え、アーバインを勝たせて自身は2位。しかしFIAはフェラーリのディフレクターが寸法違反だとしてリザルトを取り消し、失格による繰り上がりで優勝のハッキネンは一旦暫定チャンピオンとなるが、フェラーリはこの裁定に抗議し、最終的に無罪が確定、アーバイン70点/ハッキネン66点で決着は最終戦へ。
第16戦鈴鹿はシューマッハーがポール・ポジション/ハッキネンが2位、タイトル・プレッシャーに押しつぶされそうなアーバインは5番手に沈む。しかしハッキネンが逆転王座を獲得するには優勝か、自身2位/アーバイン5位以下、自身3位/アーバイン無得点が必須条件。スターティング・グリッドは何の安心も齎さない。決勝レース、ハッキネンは絶妙なスタートでシューマッハーを抜いてトップへ。抜かれたシューマッハーに前戦のような勢いはない。アーバインは前走車の離脱で3番手まで上がるが、既にハッキネンを追える位置にはおらず、そのままハッキネン/シューマッハー/アーバインの順位でフィニッシュ、コンストラクターズ・タイトルはフェラーリが手にしたが、ドライバーズ・タイトルはハッキネンが2点差で2年連続王座。骨折でシナリオが崩れたシューマッハーの”思惑通り”とも言われるレースだった。



…..こうして過去10年間を振り返った際、シューマッハー独走の3年間以外は残り3戦の時点で意外に接戦だったことが解る。大きく点差が開いていたのは’05年のアロンソ/ライコネン(25点差)だけで、あとは昨年のハミルトン/マッサが7点差、それ以外の5戦は2点差以内の接戦のままシーズン終盤を迎えている。そしてその5戦で残り3戦時点でのポイント・リーダーが王座を獲得したケースが4回、唯一逆転王座となったのは’00年のシューマッハー/ハッキネンだけで、この年シューマッハーは終盤4戦を4連勝で40点、対するハッキネンは15点しか穫れなかった。
ランキング3位のライコネンが13点差を跳ね返して逆転王座についた’07年は、上位2名のマクラーレン勢がチーム・メイト同士で”潰し合う”シーズンを象徴し、反対に可能性の低さからさほどのプレッシャーのなかったライコネンが攻めに攻めて3戦2勝2位1回で大逆転。そこには2度の王者と超大型新人によるプライドの激突と、それをコントロールしきれなかったマクラーレンというチームの”伝統”が存在する。

そして今年。バトン84点/バリチェロ69点、その差15点での残り3戦はいずれのケースにも当てはまらない。何故なら、シューマッハー帝国時代も最終的にセカンド・ドライバーが絶対的エースであるシューマッハーを追撃することは有り得なかったからである。が、今年のタイトル争いにはシューマッハー帝国時代のフェラーリと共通する事柄が存在する。
…..上位2名のドライバーを走らせているチーム・ボスはシューマッハー帝国の参謀だったロス・ブラウンその人であり、ランキング2位のドライバーはまたしてもバリチェロ、という事実である。

ブラウンGPはシーズン序盤に絶対的なリードを築き、中盤にマシン・パッケージに於ける冒険を試み、レッド・ブル勢の台頭を見届けた上でタイトル決戦に向けて信頼性の高いパッケージングへと戻し、後半戦に突入した。言わば、ブラウン自身にとっては”余裕の展開”なのである。当然エンジンの残り数などの要素も含め、最後は自身のチーム・メイト同士の決戦となることは予想していた筈である。シーズン序盤、バリチェロは作戦面でチームがバトンを優遇していると不満を訴えていた。これは’02年の選手権でチーム・オーダーが問題となった際に酷似している。しかも当事者2名は同じであり、実際ブラウン自身が公の場でいくら公平な闘いを公言しようとも、2名のドライバーとチームをコントロール下に置いて選手権を制覇するのはブラウンの真骨頂である。事実、この終盤に来てチームは来季ベテランのバリチェロとの契約を更新せず、ウィリアムズからニコ・ロズベルグを迎え、ブラウンGPはメルセデス・ベンツのワークス扱いとして参戦するのではという噂が流れ始めた。バリチェロ自身も来季の契約話が進んでいないことを認め、反対にバトンには来季の大幅な年棒増加の話し合いをチームと行っているとの噂が流れた。これは明らかに来季カー・ナンバー1をつけて走るためにバトンのタイトル獲得が必須なことが伺え、且つ当該ドライバーの耳にも届くことを充分理解した上での”心理戦”とも言える。
しかし、冷静沈着で非情なボスであるブラウンが、マネジメント・バイアウトで手にした自身のチームをF1史に残る”参戦初年度Wタイトル獲得”という形でスタートさせるためのシナリオを考えれば、少なくとも’07年のマクラーレンのようにチーム・メイト同士が星の奪い合いを行い、3番手のライバル(’07年のライコネン/今年のヴェッテル)に横からタイトルを横取りされてしまう危険性があることを知っている筈である。となれば方法はひとつ、来季の契約を巡る心理戦で窮地に立たされているバリチェロをコントロールするのではなく、チームそのものをコントロールし、バトンに安全にタイトルを獲得させる。それがブラウンがフェラーリ時代に培った戦略と、今シーズン序盤で”試した”ブラウンGP式タイトル獲得術に他ならない。ただ、このまま順当に進めばポイントで有利なバトンのタイトル獲得は必至であり、表立ったバトルなく自然に決定することも充分に有り得る。元ホンダ組とは言え、かのブラウンが選んだドライバー布陣である。恐らくチェスの駒のように、最初の一手から勝利の瞬間まで、ブラウン自身の中では既に全てが計算し尽くされている筈だ。

…..そして、F1カレンダー上の妙ではあるが、シーズン終盤/秋にプログラミングされる鈴鹿の日本GPは常にタイトル争いに絡む最終3戦内にあり、’99年/’00年/’03年の3度、鈴鹿でチャンピオンが決定している。ブラウンの戦略ゲームに於ける鈴鹿がどんな役割なのかは解らないが、鈴鹿はまたしても選手権上の非常に重要な役割を担う。多くの王者誕生の瞬間を魅せて来た聖地・鈴鹿の日本GPを、歴史の証人となるべく今年も見届けたい。

「私が彼らに望むのはフェアでオープンな闘いだ。お互いにそれが出来るキャリアなのだから」’09年/ロス・ブラウン

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