『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。
[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。
[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己
新生フェラーリ・学習中
「What Can I Do!?」
…..まったく同感。もし自分が同じ状況に置かれたら、こう返すしかナイ。
コレはレース終盤、シーズン初ポイントのかかったレースで後のマシンとテール・トゥ・ノーズのバトルを繰り広げている最中に、チームから無線で「ゴールまで燃料足りないからスロー・ダウンしろ」と言われた際のドライバーの返答である。ああ、最後のピット・ストップで給油が上手く行かなかったか、もしくは計算間違えたんだ。せっかくのチャンスだったのに。しかもTV中継で無線のやりとりがシッカリ世界中に向けて流されちゃったよ。ま、トップ・チームがこんなミスするワケないよな。いったい何処だ?。
…..またフェラーリだ(涙)。
2009年F1第6戦・スペインGP。残りあと10周程度となった54周目、4位を走るフェリペ・マッサに、担当エンジニアのロブ・スメドレイから無線が飛ぶ。
「前のラップで燃料を使い過ぎだ。このままではフィニッシュまで燃料が足りない。セーブして走れ」
真後ろには盛んにアタックを仕掛けて来るセバスチャン・ヴェッテル(レッド・ブル)、マッサが叫ぶ。
「どうしろってんだよ!?、こちとらポジションを守るのに必死なんだぜ!」
必死のドライビングでヴェッテルを抑えるマッサ。だが少なくとも、スタートからずっとマッサを抜きあぐねていたヴェッテル/レッド・ブル陣営は、全世界へ向けた生中継で眼の前のマシンが抱えている深刻な問題を知ってしまっている。残り4周、再びスメドレイ。
「燃料は1ラップ分足りない。更に後のアロンソとは16秒差がある、スローダウンしてヴェッテルは行かせろ。さもなきゃもう1度ピット・インしなくちゃならない」
その直後、マッサはピット/グランド・スタンドの眼の前で極端にアクセルを緩め、ヴェッテルを先行させる。その後もマッサはスロー・ペースのまま走行。こちらも事態を知り、ポジション・キープのクルージングを中止してプッシュして来たアロンソにも抜かれて結局6位フィニッシュ。チェッカーを受けたマッサはパレード・ラップを走ることなく、コース・サイドにマシンを止めた。
ヨーロッパ・ラウンドに入り、前半戦の戦闘力不足を補おうと必死の努力が報われ、速さを得たフェラーリF60。マッサは不利な偶数グリッド側/4番手から絶妙なスタートでヴェッテルをオーバー・テイク。このレース、2度のピット・インを含めた全てを”VSヴェッテル”で闘い、バルセロナ唯一の抜きどころである第1コーナーまでのホーム・ストレートでKERSを巧みに使い、ここまでただの1度もヴェッテルにオーバー・テイクを許していない。つまり、マッサは非常に”良い仕事”をしていたワケだ。チームからスロー・ダウンの指示が出なければ、そのまま4位フィニッシュ出来た可能性は極めて高い。が、結果的にマッサは’09年シーズン初入賞で6位/3ポイントを獲得したのではなく、4位で得られた筈の5ポイントの中から2ポイントを”失った”と言える。
レース後のフェラーリ側の発表は「給油の”トラブル”」である。それが人為的なミスなのか、給油リグなどのメカニカルなトラブルなのか、は明らかにされていない。…..いや、むしろ明らかに出来ないと言うべきだろう。フェラーリはピット作業を”焦った”のだ。
43周目に2度目/最後のピット作業を終えた際、マッサは余裕でヴェッテルの前でコースへ戻っていた。マッサのピット作業は7.7秒、ヴェッテルは8.7秒。タンク容量の違いはあれど、残り周回は当然ヴェッテルも同じ、つまり必要な燃料の量は一緒。本来、同時ピット・インとなった時点でマッサ/フェラーリ陣営は勝ったも同然だった筈である。少なくともフェラーリが給油を急ぐ必要は全くなかった。が、結果的にマッサがヴェッテルより1秒速くピット・アウト。仮にこれが同タイム、つまりマッサも8.7秒の作業時間を費やして給油していれば、ポジションを守ったままコースに復帰し、燃費走行も必要なかった筈である。
…..慌てたのか、間違ったのか、それともトラブルだったのか。いずれにしても、表彰台のチャンスすらあったフェラーリ陣営は、ライバルに自ら道を譲る結果を招いてしまったのである。
このグランプリ、前述のようにフェラーリは改良型のF60を持ち込み、体重の重いキミ・ライコネン用には軽量化したシャシーを準備。フライ・アウェイの疲れもなんのその、序盤4戦で解った自分達のポジションに甘んじることなく、何処のチームよりも突っ込んだ開発をして来た。それが功を奏し、フリー走行3回目にはマッサ/ライコネンがタイム・シートの1、2位を独占。デザイン・チームの苦労が報われるパフォーマンスを披露し、予選に期待を持たせた。
…..が、ライコネンがQ1でノックアウトを食らってしまった。
今シーズンの各車のタイムは極めて小さく、毎戦1秒間に10〜15台がひしめく接戦が繰り広げられている。これはつまり、セッション序盤に出した適度なタイム/順位を持っていても、全く安心出来ない状況を意味する。Q1トップはマッサ、1分20秒484。ライコネンは1分21秒291、その差僅かコンマ8秒ほど。ふたりともラップ数は5、全車中最低周回数である。ライコネンが1分21秒291を記録したのはセッション中盤、この時点で2台がトップ10に入っていたフェラーリはタイヤを温存するためにタイム・アタックをやめた。つまり、このタイムならQ2進出は大丈夫、と踏んだのだ。
が、終了5分前の時点でノック・アウト・ゾーンには地元の英雄・アロンソ(ルノー)とルーベンス・バリチェロ(ブラウンGP)がいた。よほどのトラブルがない限り、間違いなく”このままで終わる筈のない”ふたりである。それでも10番手タイムのライコネンはピットを出ない。残り1分、苦戦していたトヨタのふたりがタイムを更新、バリチェロは一発を出して5番手、アロンソも滑り込みで14番手タイム。そしてチェッカーが振られた時、トップはマッサ変わらず、しかし0.8秒差のライコネンは16位となり、Q2進出を逃してしまった。結果的にはトップのマッサから17番手、つまりライコネンの下となったセバスチャン・ボーデ(トロ・ロッソ)までが1秒以内という接戦であった。が、当然Q1でのタイムが実力タイムではない。上位は「これで安心」というタイムで走行をやめる。ライコネン/フェラーリ陣営はそれと同じことをしただけである。ただ、その読みが甘かっただけなのだ。2台とも予選上位が見込めるマシンを急遽準備したデザイン・チームの苦労を、現場のレース・チームが台無しにしてしまった。
一見すれば”不運な”結果だが、重要なのはこれが今シーズンのフェラーリにとって既に2度目の出来事だということである。
第2戦マレーシアGPの予選Q1でも、フェラーリは全チーム中最低の周回数でマッサが16位となり、ノックアウトを喫している。「タイム的に充分だと思った」という理由でQ1終了直前にコースに出ず、僅か1台分届かなかった。この時も、Q1トップのバリチェロから16位のマッサまでは0.9秒しかない。フェラーリのチーム代表、ステファノ・ドメニカリは「これ以上の失敗は許されない」と声を荒げた。が、僅か1ヶ月後に全く同じ過ちが繰り返されたのである。
同じマレーシアGPの決勝では、ライコネンが雨が降っていないのにウェット・タイヤを装着する、という”事件”があった。元々レース序盤に雨の予報が出てはいたが、序盤5位走行中、広い上海サーキットの一部で雨がパラついて来た時、ライコネンは誰よりも早くピットでレイン・タイヤを装着。しかし雨は強くならず、ライコネンは14番手まで後退。つまり、ギャンブルに失敗したのである。結局雨が強くなった頃には今度はマッサが雨脚を読み違え、雨が弱い時にエクトリーム・ウェット、強い時にインターミディエイトを選択するという苦しみを味わった。これは作戦上の問題で運/不運に左右された例だろうが、ライコネンの場合は違う。「レイン・タイヤは雨が降って来たら履くもの。見ていて恥ずかしい」と、CS放送で解説を担当していた森脇基恭氏が呆れていた。
ドメニカリは繰り返す。「いつまでも同じようなミスを繰り返していてはならない。状況は昔と違うことを受け入れなくては」
“昔”とは、彼等がタイトル争いをリードしていた、そう、ほんの1年前のことである。
つまり、3月にブラウンGPやトヨタがテストで好タイムを連発していた時、フェラーリはまだ”あぐらをかいていた”ということだ。
もっとも、我々凡人には到底理解出来ないほどのプレッシャーがフェラーリには存在するのだろう。歴史と伝統、輝かしい栄光、そして巨大なグランプリの象徴とも言うべき存在であるこのイタリア・チームで勝利を求められることは、メルセデス/ルノー/BMWら世界の強豪メーカーを倒し、君臨しなくてはいけないことを意味する。
少なくともジャン・トッド/ロス・ブラウン/ミハエル・シューマッハーらが築き上げた”近代・フェラーリ帝国“はあまりにも大きい。’70年代の栄光のあと、’80〜’90年代にホンダ/BMW/ルノー/メルセデスらに打ち負かされた苦悩の時期を乗り越え、’90年代後半、遂にフェラーリは最強集団となった。勝って当たり前、Wタイトル獲得常連、ニュースになるのは”どっちに勝たすか”のチーム・オーダー…..。だが、他を圧倒的にリードしていた彼等に変革が求められる時がやって来た。シューマッハーの現役引退に伴うトッドとブラウンの勇退である。が、フェラーリにはこの最強ドライバー/最強ブレーンの直属の後継者達がいた筈である。彼等は約10年に渡ってこのグランプリ最強の集団の中で共に闘い、勝利のノウハウを叩き込まれた筈だった。が、少なくとも今シーズン、最強時代の参謀であったブラウンは彼等のライバルとして、既に手の届かない場所まで駆け上ってしまっている。
皇帝・シューマッハーが去り、ライバルであるマクラーレン・メルセデスから跳馬へと移籍したライコネンが接戦の’07年シーズンを制し、最終戦で劇的な初タイトルを獲得したが、この年いっぱいでトッドがフロントから身を引き(今シーズン開幕直前に完全にフェラーリを離脱)、’08年からのドメニカリ体制が現在のフェラーリである。
では、そのドメニカリ体制初年度の昨年を振り返ってみよう。
劇的な最終戦を終え、結果的に1ポイント差でマッサはドライバーズ・タイトルを失った。しかしコンストラクターズ・タイトルはマクラーレンから奪還。確実に言えることは’08年のベスト・マシンがフェラーリF2008だったこと。そして、マッサ/ライコネン共に勝利に値するドライバーであること。では何故Wタイトルが獲れなかったのか。確かに史上最年少王者となったルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)は天才だが、年間を通してドライバーが獲れる筈のポイントを失った原因の中に、チーム・エラーが目立ったこともまた事実である。
モナコGPではスタート直前の急激な雨にクルーが混乱し、ライコネンのタイヤ装着が規定時間内に間に合わず、ドライブスルー・ペナルティ。マッサはこの時も天気予報が”ハズレ”てしまい、誤ったタイヤ選択で勝てたかも知れないレースを落としている。続くカナダGPではマッサの給油に失敗、余計なピット・インで最下位まで落ち、ポイント上のライバルであるハミルトンがリタイアしているレースで5位がやっと、という勿体ないレースを展開してしまった。
昨年フェラーリが導入した新技術として、”ピット・シグナル”があった。赤から青へ変わればドライバーへスタートのサイン。「ロリ・ポップよりも確実に0.1秒速い」というのが彼等の言い分である。
F1史上初のナイト・レースとなったシンガポールGP。マッサはトップを快走。序盤のクラッシュ/セーフティ・カー導入で各車が一斉にピットへ。マッサはトップのままピット・イン。タイヤ交換が終わり、あとは給油終了を待つのみ。…..が、まだ給油中にも関わらず、マッサのヘルメットの真ん前にあったシグナルはグリーンヘ。当然のようにマッサはアクセル・オンし、マシンはピット・ロード出口へ向けて加速する。が、マッサ車は給油ホースを付けたままであった。あろうことか、作業中のクルーをなぎ倒し、外れたホースの先端からガソリンを撒き散らしながらマシンは発進してしまったのである。気づいたマッサはピット出口で止まり、クルーが慌ててホースの取り外しに駆けつけたが当然ペナルティ対象。結局最後尾まで落ち、ノー・ポイント。この時既に「フェラーリのピット・シグナルは危険」と、誰もが思っていた。ヨーロッパGPでも、まだライコネン車の給油中にも関わらずシグナルが変わる”人為的ミス”が起きている。少なくともこのピット・シグナルによって失ったレース/ポイントが、両ドライバーの年間順位に大きく影響したことは否めない。結局フェラーリがこのシグナルをやめたのはこの事件後/シーズン終盤の日本GPだったが「やめるのならもっと早くやめていれば」と周囲は呆れた。
ただ、筆者はこのピット・シグナル事件に、新生ドメニカリ・フェラーリのチャレンジングなポリシーを感じる。なりふり構わず、周囲の助言/忠告に従うことなく我が道を行くスタイルには清々しさを感じる。が、問題はそれが果たして王者・フェラーリのやることなのか?、という部分である。
ひとつの場面が思い起こされる。’98年第13戦ハンガリーGP、ロス・ブラウンはシューマッハーに、抜きどころの少ないハンガロリンクに於いて常識では考えられない”3ストップ”作戦を命じ、先行するマクラーレンを逆転するという奇襲作戦を成功させた。トッド以下ブラウン/シューマッハーの最強布陣が行ったこのチャレンジは語り草となったが、少なくとも当時そういったギャンブルをレースで実行/成功させるチームは存在しなかった。ちなみに当時ドメニカリはフェラーリのチーム・マネージャーであった。
チャレンジ/ギャンブルは、結果が出たものに対して人々は評価するが、失敗した時の酷評もまた大きいもの。一連のピット・シグナルの件も、周囲の酷評にも負けずに使い続けたのは勝利への執念の表れであり、少なくともこの手の失敗でチームは成長する過程を踏むことが出来る。なにより、人に「やめた方が良い」と言われてやめる位なら初めからやらなければ良い。一旦始めた作戦を途中で打ち切るのは何よりも”敗因”となる。
レース・チームがライバルを出し抜くためにアレコレと考えて来るのは、間違いなくレースの醍醐味である。が、残念ながら我々は”強いフェラーリ”に慣れ過ぎていた。後方でもがき苦しむフェラーリを見るのは’92年以来だろうか。逆に近年10年間はあまりにも強過ぎた。だからこそ、最強王者のなりふり構わぬギャンブル/奇襲作戦に違和感を覚えるのだろう。
とは言え、ライバルの予選タイムとポジションを読み違えたり、雨が降る前にレイン・タイヤを装着したりするのはチャレンジではない。弱小チームの”あっと驚く奇襲作戦”は、フェラーリの仕事ではないのだ。が、犯した失敗は必ず糧となる。今、新生フェラーリは”学習中”なのである。だからと言って、冒頭のようなやりとりがTV中継で聴こえて来てしまうのは、ファンにとってはなんとも虚しい限りである…..。
5月13日、フェラーリは緊急会議を招集。FIAが提案しているバジェット・キャップ案に対し「施行されるのなら今シーズン終了後にもF1を撤退する」との声明を発表した。反対にウイリアムズは来季のエントリーにサイン。「我々はレース・チーム。だからレースをする。それ以外に何をすればいい?」(フランク・ウイリアムズ)…..ここにも歴史と伝統の巨大メーカーの苦悩が表れている。「走り、闘うだけ」と言って済まされないグランプリ・リーダーとしての苦悩。F1イコールフェラーリ、の図式の中で、君臨し続けるという最大の困難が彼等を苦しめている。ただ、その渦中でウイリアムズとフェラーリのどちらがレースに集中出来るか、という疑問には容易に答が出てしまう。
平均年齢もグッと下がったドメニカリ率いるスクーデリア・フェラーリの”混乱の終息”には、まだ時間がかかりそうだ。若いスタッフ達の混乱が、近い将来再び最強軍団へと変貌する機会となることを祈るしかない。ただ、かつてのお家芸とも言える”誰かが辞めて責任を取る”だけは避けるべきだ。少なくとも、トッド/ブラウン/シューマッハーは”続ける”ことで結果を出し続けたんだから。
「私が辞めて勝てるのなら辞めてもかまわない」’09年5月/ステファノ・ドメニカリ