F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2010年5月13日  レッドブル・スタイル

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

レッドブル・スタイル

このところの勢力図を見ていれば、どうやら巨大自動車メーカーによるF1チーム先導時代は終焉を迎え、かつてのような(厳密には決して”かつて”ではないが)コンストラクターF1先導時代がやって来ることは間違いないようである。とは言え、フェラーリは相変わらず今後もF1に君臨し続けるだろうし、ルノーだってこの先エンジン・マニュファクチュアラーとしてF1に生き残る可能性はある。ただ、以前にも記したようにメルセデスに関してはどう考えても”勝ち逃げ目的”がチラホラ見え、良い時/オイシイ時にプライベート・チームを買収しようとしたのは間違いない。
’10年現在、純粋な自動車メーカー参戦と言えるのはフェラーリだけ。ルノーはジェニィ・キャピタルによる買収劇でルノーを名乗る別チームであり、今季復活のロータスはマレーシアの億万長者、トニー・フェルナンデスによる名称使用。マクラーレンは”マクラーレンF1″というやや特殊な市販車の存在により、自動車メーカーと言えば確かにその通りだが、あくまでもレーシング・カー・コンストラクターである。で、その他のチームを見て行くと、チーム・オーナーの個人名がチームになってるのがウィリアムズであり、ザウバーである。しかし当然プライベーターなので資金繰りは苦しい。で、その他のチーム名に眼を向けると、

□レッドブル
□トロ・ロッソ
□フォース・インディア
□ヴァージン
□ヒスパニア・レーシング

という状況。レッドブルはドリンク・メーカー、トロ・ロッソは後述するがその姉妹チーム。フォース・インディアはインドの大富豪ヴィジェイ・マルヤのペライベート・チームだが、名称は個人名ではなく”インド代表”的な意味合い。ヴァージンも大富豪リチャード・ブランソンの持つ会社名、ヒスパニアはスペインの元F1ドライバーである個人名”カンポス”(エイドリアン・カンポス)だったが、最後に出資した人物が付けた新名称(ヒスパニアは純スペイン、の意)。こうして見ると、やはり財源を持った究極のレース好きが運営するのがF1チーム、と言える。そうなればF1では天下のフェラーリとのギャップが果てしなく大きく感じるが、それを経験と実績、歴史によって覆した究極のコンストラクターがマクラーレン、と言えるだろう。
ひとつの例を見てみよう。大失敗して逃げ出したホンダと、巨額を投じて買収したメルセデス、その間のたった1年間にWタイトル獲得という奇跡を成し遂げたブラウンGPは、その名の通りあくまでもロス・ブラウン個人のプライベート・チームだった。筆者は最終的にメルセデスが数年以内にF1を撤退する可能性が限りなく高いと予想しているのだが、F1は彼らの戦績と世界経済が安定する、というよっぽどのことがない限りは継続不可能なプロジェクトである。そして最終的にメルセデスがF1を投げ出す時、チームが再びブラウンの私物となる可能性はあるだろうか?。ブラウン自身がいったい何を目的として’09年に個人でチーム運営を行ったのかは定かではないが、撤退して行ったホンダの置き土産である優秀なシャシーと、ライバルに対して圧倒的な速さと信頼性を見せたメルセデス・エンジンによって齎された奇跡的な偶然であることは承知の筈である。そして今後のF1コンストラクター時代の魁けとして選手権を完全制覇して見せ、たったの1年で巨大自動車企業メルセデス・ベンツへとチームを売却。現在もテクニカル・ディレクターとしてメルセデスGPに君臨するブラウンは、今後再びチームをブラウンGPとする可能性を充分に持ち合わせている、と言える。が、そのためには’09年にヴァージン・グループと行ったような小さなスポンサー契約では確実に不可能であり、今それを証明してみせようとしている存在が”レッドブル”なのである。

レースという分野に於いてレッドブルのロゴを見かけないことは、ほぼ有り得ないと言えるだろう。モトGP/WRC/そして”空のF1″ことエア・レースなど、様々なカテゴリーに進出し、活躍しているこのエナジー・ドリンク・メーカーが、遂にF1の頂点に限りなく近づいて来た。昨年ブラウンGPとの選手権争いに敗れたレッドブルだが、今季はここまで6戦全てでポール・ポジションを獲得、決勝レースでの信頼性にまだまだ不安が残るものの、既にグリッド上での最速マシンの称号は完全に手中に治めている。

レッドブルは元々タイの栄養ドリンク・ブランドで、1984年にオーストリア人の実業家であるデートリッヒ・マテシッツがその世界販売権を獲得、以降アジアを中心としたビジネス展開を行って来た。マテシッツが来日した際「日本のリポビタンD(大正製薬)の味に多大なる影響を受けた」と告白したのは有名な話である。マテシッツ/レッドブルのマーケティング展開は独創的である。TVCMは辛口のクールなギャグを使ったアニメーションで統一され、広告面では”エキストリーム・スポーツ”と括られるスピードの頂点を争う競技に着目。これはもちろん栄養ドリンクとしての最大メリットを活かす形なのだろうが、現在のレッドブルの露出度は前述のようにレース分野のスポンサー企業の第一人者と言っても過言ではない。
そんなレッドブルがF1に関わったのは’95年、ザウバー・チームのメイン・スポンサーとなってF1に進出。その後’02年にはアロウズをスポンサード。’04年にジャガーがF1を撤退することを決定すると、レッドブルがチームごと買収、’05年からレッドブル・レーシングとして遂にF1チーム運営に乗り出したのである。
…..客観的に見て、ここまではF1と大企業にまつわる”良くあるハナシ”である。大抵この手の計画は理想とかけ離れた結果と巨額の負債により頓挫し、いつしかチーム売却を繰り返す運命にある。が、レッドブルは違った。彼らがどれだけ本気なのかはこの後の動き全てが物語っているのである。

’05年、国際F3000のアーデン代表だったクリスチャン・ホーナーをチーム代表に任命、レッドブルRB01・コスワースはマクラーレンから移籍のトップ・ドライバー、デビッド・クルサードをエースに、ジャガーから残留のクリスチャン・クリエン、更にレッドブル・グループのスカラシップ・ドライバーで国際F30000王者のビタントニオ・リウッツィの3人という布陣でスタート。またカナダ/アメリカの北米連戦ではアメリカ人ドライバーのスコット・スピードを起用。こうしたマーケティング中心のチーム運営の反面、チームは意外なほど順調に機能し、最終的に34ポイントを獲得してコンストラクターズ・ランキング7位となる。決して冷やかしではない、レッドブルとマテシッツの本気度合いが見て取れるシーズンだった。
2年目の’06年、レッドブルの本気度合いは更に深まることとなる。レッドブルはフェラーリとのエンジン供給契約を成立させ、しかも現在F1で確実にトップ・デザイナーであるエイドリアン・ニューウィーをチーフ・テクニカル・オフィサーに起用。第7戦モナコではエースのクルサードがチーム初の3位表彰台を獲得し、2年連続でコンストラクターズ7位。同時にこの年、イタリアの万年F1最下位チームと言われたミナルディを買収、スクーデリア・トロ・ロッソとしてレッドブルのジュニア・チーム運営に乗り出した。同一オーナーが複数のチームを所有するケースは過去にも存在するが、マテシッツはこの2チームを”ほぼ同じカラーリング”で走らせ、あたかもレッドブル車がトラック上に4台存在するかのような現象を生み出した。またシャシー開発は当時のレギュレーションでレッドブルが2チーム分を設計出来たが、後にこれは廃止される。しかしドライバー布陣も若いレッドブルのスカラシップ・ドライバー達にチャンスを与え、好成績を治めた有望なドライバーはAチームのレッドブルへの昇格のチャンス、というスタイルで2チームを運営したのである。
翌’07年、レッドブルはフェラーリとのエンジン供給契約をBチームであるトロ・ロッソへと移譲。Aチームのレッドブルは新たにルノーとの契約を締結した。ドライバーにはマーク・ウェバーが加入、第10戦ヨーロッパGPでは3位表彰台を獲得、チームは計24ポイントを獲得してコンストラクターズ5位まで上昇。一方フェラーリ・エンジンを与えられたBチームのトロ・ロッソには、BMWザウバーで衝撃的なデビューを飾った若きセバスチャン・ヴェッテルが加入、早くも活躍を見せ始めていた。
’08年、レッドブル・グループにとっては嬉しい珍事件が起きる。豪雨に見舞われた第14戦イタリアGP、レッドブル・グループによる念願のF1初優勝は勝利の布陣を揃えたAチームではなく、Bチームであるトロ・ロッソ・フェラーリを駆るヴェッテルによって齎されたのである。しかもチームの前身であるミナルディの歴史を考えてもこれはあまりにも特別な事件であり、ヴェッテルは翌年からのレッドブル/Aチーム昇格が約束された。本家レッドブルはまたしても最高位3位(第7戦カナダ/クルサード)で初勝利に届かず、ここまで最高の29ポイントを獲得するもランキングは7位。結局ここまでチームを引っ張って来たエースのクルサードが現役を引退(チームにはアドバイザーとして残留)、’09年のレッドブルはヴェッテル/ウェバーの布陣で選手権に望むこととなった。

…..’09年、レッドブルの計画は順調だった。が、ホンダの撤退により誕生したブラウンGPというひとつの奇跡により、レッドブルの夢は打ち砕かれることとなった。第3戦中国GP、ヴェッテルは前年/トロ・ロッソでの初優勝の時と同じように雨を味方につけ、レッドブルに初勝利を齎した。が、シーズン前半の6戦でブラウン/ジェンソン・バトンが5勝。この時点で選手権は事実上終わっていた。ここからレッドブルとヴェッテルは奇跡的な追い上げを見せたが、届かなかった。しかしヴェッテル4勝/ウェバー2勝、コンストラクターズ・ランキング2位の成績は、次のシーズンへの準備が完全に整ったことをも意味する。選手権を闘いながらも翌年のマシン開発にも手を抜かず、全てをコントロールするために必要なものは既に揃っていた。野心家のマテシッツ、そして異端児ホーナーとニューウィーの引っ張る6年目の新チームは、短期間で行えること全てを効率良く行い、’10年シーズンの世界制覇へ向けてスタートしたのである。

レッドブルとF1との関わり方を見て、筆者が最も近いものを感じるのは’80〜’90年代にかけてF1を巨大マーケティング市場としたアパレル・メーカー、ベネトンのスタイルである。
彼らもやはりF1のスポーティーなイメージと自らの企業戦略との関わり合いにより、マシンを自社イメージに染めるメイン・スポンサーとしての活動からチーム買収、そして最終的には世界選手権制覇、という構図である。もちろん多くの企業が同じ目標を持ってF1にチャレンジしたが、その多くは挫折し、前述のようにチームが次々と売却されて行った。しかしベネトンはそのイメージ戦略のみならず、レースでの勝利と選手権に対し”本気”になった。それが’94年には遂に形となるが、その際のチーム布陣はミハエル・シューマッハー、ロス・ブラウン、そしてロリー・バーン、である。更に翌’95年には、ウィリアムズに独占供給状態だった当時最強のルノー・V10エンジンを搭載、念願のWタイトルを獲得してみせた。つまり、ベネトンは最強の人材と道具を揃えるために”金に糸目はつけなかった”のである。もちろんそれが永遠に続くことなど有り得ないのだが、ベネトンは実にチームとして’86年から’01年までF1に君臨した。これは、少なくともひとつの巨大アパレル企業がちょっとしたマーケティングの成果、として出した結果ではない。明らかにレース/F1に対して本気で取り組んだ結果であることは、全参戦チーム中最高の予算を使って8年間で1勝も出来ずに撤退した何処かの巨大自動車メーカーを見れば良く解るだろう。

レッドブルのオーナーであるマテシッツは、F1の関係者の中でも相当に裕福な人物である。1944年5月20日、オーストリア・シュティリア出身。ビジネス・マンとしては大学卒業に10年間を擁した遅咲きのマテシッツだが、ドイツの化粧品メーカーに勤務中に訪れたタイで出逢った栄養ドリンクの存在がマテシッツの人生を変えた。自らの時差ボケ対策に欠かせなかったこのドリンクはマテシッツの新ビジネスを成功させ、持ち前の大らかさで会社を急成長させて行った。現在年間33億円の売り上げを誇り、市場40パーセントのシェアを持っている。「愚か者は愚か者と呼べ」がマテシッツの座右の銘。滅多に人前に姿を現すことはなく、レースももっぱらTV観戦である。
チーム監督のホーナーはアーデン時代から冷静な管理能力が高評価されているが、F1に於いてもその立ち位置は変わらない。筆者がSTINGER-magazine・vol.2でも紹介した通り、レース中のホーナーの冷静な表情は常にピット・ウォールに於けるチームの緊張感を象徴している。しかし勝利を確信した際に見せる安堵の表情もまた魅力的であり、ありし日のフランク・ウィリアムズを彷彿とさせるかのようだ。そしてテクニカル・ディレクターは天下のニューウィーである。つまり、一見冷静だが野心に満ちた首脳陣が、この”赤い猛牛”を支えているということ。そして若き天才ヴェッテルとソツのないウェバーを擁し、今度こそ悲願の選手権制覇を目指しているのである。

モーター・スポーツ、ことにF1のような大きな広告活動は何処のメーカーにとっても巨額のマーケティング支出を必要とする。レッドブルの’08年の”F1支出”は7,900万ポンド(約109億円)だった。これには翌’09年用のマシン、RB5の開発費用も含まれているが、その’09年(選手権2位)の同社の総売上は30億ポンド(約4,100億円)、税額控除後の税引後利益は僅か47万ポンド(約6,500万円)…..レッドブルにとってF1が高いのか安いのか、それともそんなことはどうでも良いことなのか。
F1のパドックでは未だ新参者の部類であるレッドブル、しかし彼らがF1に齎すものもまた大きい。パドックやスタンドで配られる”レッドブリテン”というフリー・ペーパーは特に斬新で、一見チームの公式リリースかのように見えて実は冗談が満載、という言わば自家製タブロイド誌、である。例えば今年からWRC/レッドブル・チームに移籍したキミ・ライコネンに「F1での9年間で最も印象に残った想い出は?」と問い、その答は「スノー・モービルで遊んだこと」。こんな冗談を、独自の緊張感で溢れるパドックでニコニコと配るレッドブルのスタイルそのものが斬新、と言える。
レッドブルが勝利すると表彰台で流れるのはチーム国籍のあるオーストリアの国歌である。が、よりによってチーム初優勝の’09年第3戦中国GPで、勝ったヴェッテルのドイツ国歌に続いて流れて来たのはレッドブルの本拠地のあるイギリス国歌だった。以来、レッドブルが勝った際「今日は何処の国の国歌が流れるんだ?」と揶揄する者も多い。姉妹チームのトロ・ロッソはイタリア・チームであり、アジア発のエナジー・ドリンクの印象の強いレッドブルは確かに国籍不明のグループなのかも知れない。が、もしかしたらそれは現代のF1に於いてはある意味常識的なことであり、武器ともなる要素である。

「F1はまた更なるマニュファクチャラーを失うかも知れない」ホーナーは現在のF1が於かれた状況を冷静に分析する。「FIAはエンジン規約の全てを握っている。彼らの目的は性能差を縮めることだが、シャシーの開発は非常に厳しく、エンジンの役割が非常に重要なんだ」レッドブルは昨年ルノー・エンジンの信頼性に泣き、そしてルノーの去就に振り回された。デザイナーのニューウィーを初め、レッドブル側が最強のメルセデス・ベンツ・エンジンを欲しがっていたことは周知の事実である。
マテシッツ自身も「ルノーの未来は少々不安だ」と言う。「確かに彼らはF1に残ったが、それは長期的なビジョンではない。それが我々には少し心配だ」コスワースの復帰により4社(メルセデス/フェラーリ/ルノー/コスワース)となったF1エンジン市場だが、レッドブルのようなコンストラクターにとって泣き所となるのがこの大きな部品”エンジン”なのである。

…..’09年10月6日、第15戦日本GP。夕闇の鈴鹿を独走するヴェッテルのレッドブルRB5・ルノー。そのリア・ウィングに描かれた”Gives You Wings”の文字…..。
昨年このコラムにも書いたが、多くの自動車メーカーがF1を去って行く中で「君に翼を授けよう」とメッセージをくれたレッドブルは本当に逞しく、美しかった。ヨーロッパ資本のF1社会に於いて、成り上がりのビジネスマンが巨大自動車メーカーを倒す構図。…..それは、もしかしたらかつてロン・デニスやフランク・ウィリアムズ、いやエンツォ・フェラーリが目指したことと同じなのかも知れない。少なくとも、サラリーマン感覚の日本人が憧れることはあっても、もはや目指せるものではないのだろう。

「GIVES YOU WINGS(翼を授ける)」/レッドブル

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