『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。
[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。
[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己
報道アレコレ
2010年FIFA・W杯、大会直前までの周囲の予想を裏切る大活躍を魅せてくれた岡ちゃん率いる”サムライ・ブルー”こと日本代表。目標のベスト4進出には届かなかったけど、それでも2度目の1次リーグ突破/ベスト16進出は素晴らしい結果。やむを得ないこととしても、岡田監督の指揮の元、もう1度途中交代のない状況でニッポン代表を率い、2014年ブラジル大会を目指して欲しかった、というのが本音。とにかく代表の皆、お疲れさま!。
…..と、いきなり旬なサッカーのネタで入る、というのは実は意味があって、今回(ま、毎回だけど)、恐らく”殆どの日本人”の方が感じていたであろう、このW杯に対する過熱報道と、国民の注目度の高さについてである。言い方を変えれば、「…..そんなにサッカー好きでしたっけ、皆さん?」というハナシでもある。
まず、日本にサッカーのプロ・リーグであるJリーグが発足したのは’93年。F1で言うとアラン・プロストがウィリアムズ・ルノーで4度目のタイトルを獲って引退した年。その頃サッカーのニッポン代表はオフト監督の指揮下、カズ/ゴン/武田/ラモス/北澤/井原/津並/柱谷/松永、という、今考えればJリーグ黎明期のスター揃い。が、”ドーハの悲劇”で有名な、イラク戦に於けるロス・タイムでの失点で’94年W杯アメリカ大会出場を逃し、まだまだ日本のサッカーが世界レベルではないことを誰もが痛感した。しかし、国内のサッカー人気を支えて来たファンは従来のスポーツ観戦層とは違い、感情も露にアクティヴな応援スタイルを繰り広げた。彼らは自らを”サポーター”と称し、ピッチのイレヴンに続く”12人目のメンバー”としてチームをサポートした。各所属チームのカラーでスタンドを埋め尽くし、皆で歌い、叫んだ。比較し易い競技としてプロ野球をあげるとすれば、それはあまりにも対照的なものであった。攻撃時/守備時といった概念が存在しないサッカー観戦では、常にサポーター全員が敵陣に負けじと大声を上げていた。そしてまた、彼らの応援ポリシーはニッポン代表チームの海外試合などに於いて、通常の試合が開催出来るレベルのスタジアムや街頭の大型スクリーンを擁する繁華街に多くのサポーターが集まり、現場さながらの応援を繰り広げることだった。
’98年、代表チームは遂に初のW杯初出場を成し遂げる。F1で言うとミカ・ハッキネンがマクラーレン・メルセデスで初タイトルを獲った年。監督は加茂周に代わって岡田武史となり、代表チームには新たに中田英/城/名波/秋田/名良橋/川口らが抜擢された。予選リーグでアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ相手に3連敗したが、ジャマイカ戦で直前に骨折していた足でゴンが決めた日本代表W杯初ゴールは美しくはないが、執念に満ちた素晴らしいプレーだった。
’02年、W杯は日本と韓国の両国での共催となった。F1で言うとミハエル・シューマッハーとフェラーリが歴史を塗り替えちゃってる真最中。サッカーは国際大会の盛り上がりに比べてJリーグ人気に黄信号が灯り、サッカー・ブームそのものは若干下火になっていた。しかし地元でのW杯開催ということもあり、開催中は空前の盛り上がりを見せた。トルシエ監督率いる日本は稲本/小野/森島らが活躍し、ベルギーとロシアを粉砕してグループ1位で初の予選リーグ突破。決勝ではトルコに0-1で惜敗し、ベスト16。共催の韓国は初めてベスト4に進出している。
前回大会は’06年ドイツ大会。F1ではフェルナンド・アロンソがルノーと共に2連覇を成し遂げた年。サッカー日本代表、監督はブラジルの”白いペレ”ことジーコ。メンバーには中村(俊輔)/中沢/三頭主/宮本らが加わった。が、2敗(オーストラリア、ブラジル)1分け(クロアチア)で予選リーグ最下位敗退。この頃には海外で活躍する日本人選手が増えて来てはいたが、逆にJリーグ参戦中のメンバーとのチグハグさも目立っていた。結果的にはこの惨敗で国内サッカー人気は更に落ち込み、その後の金融危機なども相まってJリーグは窮地に追い込まれた。
そして今年、大会直前の親善試合で連敗を喫したニッポン代表は、サポーターのみならず、マスコミや普段サッカーを眼にしない層からもボロクソに言われ、予選リーグ全敗必至の覚悟をしたかのようなムードの中、予選リーグが始まった。脳梗塞で倒れたオシムに変わって再び代表チームの指揮を取る岡田監督、”本田の1トップ”という”実戦経験の乏しい布陣”で試合に望み、第1戦カメルーンを1-0で撃破、第2戦オランダ戦は0-1で敗れたものの、第3戦デンマーク戦を3-1で1次リーグ2位突破。日本中がこの”予想だにしない活躍”に歓喜し、深夜のTV観戦による時差ボケの会社員を多数生んだ。結局ベスト16で終わったが、決勝リーグ初戦のパラグアイ戦も延長120分間をスコアレス・ドロー、最後はPKという立派な結果でW杯を終えた。
…..そして、開催前にあれほどまでに岡田監督と代表チームをボロクソにけなしていたサポーターとマスコミは途端に彼らに詫び、一転賞賛の言葉を贈った。それも当然、と言えるほど予想外の活躍/結果だったことは事実だが、筆者は如何にも日本人的な国民性による現象だと痛感したのである。
まず、面白いのはこの1ヶ月間のweb上での動きである。タレント/著名人/一般人を問わず、彼らのブログやツィッターは連日W杯のネタで溢れ帰っていた。もちろん、普段はサッカーのことなど気にもかけず、例えば前回大会の優勝国が何処なのかも、今年の天皇杯の優勝チームが何処なのかも、エース本田の所属するチームの名前も知らない人達が持論を武器にここぞとばかりにサッカー論をまくしたて、他国との戦力分析比較まで行っていた。ちなみに、アタリマエだが’10年W杯はこれで終わりじゃない。が、恐らく日本代表が姿を消したこのタイミングで、国内のサッカー熱はまたも4年間の下火時代に向うのだろう。そして、多分2週間もすれば多くの人が「何つったっけ、点獲った金髪のヤツ」になってしまう。
…..とまあ、タイムリーにサッカーW杯を取り上げてこうして書いている筆者自身、典型的日本人なのかも知れない。いや、むしろweb上で持論を繰り広げているタチの悪いトーシロー、という意味じゃ、もしかして少なくとも”F1″というカテゴリーじゃ筆者が一番酷い例かも知れないね!。で、筆者は見続けること、愛し続けること、そして求め続けることでこうして居場所を得ることが出来た。これがごくたまにだけ、それも皆と同じタイミングで「いや〜、最近アレ流行ってるよね〜」なんて書いてもこうはなりっこないし、もちろん見る側にだって情報を選ぶ権利がある。そんな時、”知ってる人の解りやすい解説”が実は最もありがたい存在で、例えば’80年代後半からの日本・F1ブーム黎明期には、フジテレビの中継に於いて今宮純氏が見事にその役を務めた。で、その奥に、もっと難しい、マニアックな部分を伝える川井一仁氏がいる。こういうバランスが「もっと知りたい」という興味を持った層に訴え、彼らが書店に情報を求めた時、そこにはGPXという素晴らしいF1専門誌と名編集長がおりましとさ、という仕組みである(…..)。つまり、ブームの裏にはちゃんとした仕組みがあって、それ故一般のファンと”エンスージアスト”のような(ま、解りやすく言えばマニアとかオタクね)との境界線を生み、バランスが保たれて行くワケだ。
さて、今回のW杯の加熱ぶりは例えば本当にサッカーを愛し、日頃から応援して来ている人達にはどう捕らえられてのか。筆者にもっとも近しいサッカー・マニアの友人の言葉は「ま、『オマエらに何が解る!?』って感じ」だそう。確かに。きっと彼は開催前の岡田監督の苦悩も俊輔の葛藤も理解した上で、代表チームが素晴らしい試合をしてくれることを信じていた。そこに、普段のことを何も知らない連中が「ダメだこりゃ。岡田クビ!」だの「そんなやったことない戦術で上手く行くワケない」なんて言われたらそりゃタマラないだろう。それは当事者本人にも言えることで、精神的にナーバスな時期に無礼なレポーター/記者達の心ない突っ込みに当人も冷静に対応。が、それで結果的に一同に「ゴメンナサイ」と言わせた彼らは本当のヒーローなのである。
…..さて、ようやく今回の本編(爆)。
去る6月24日、そのサッカーW杯で熱狂する日本のメディアに、珍しくF1の文字が眼に着いた。「元F1レーサー鈴木亜久里さんに16億円返済命じる」…..何のことかと言うと、’06年に発足し、’08年シーズン序盤で撤退したF1チーム、スーパーアグリF1チームの代表であった亜久里氏と”エー・カンパニー”に対し、ばんせい山丸証券がスポンサーの未払いによる損害額(16億2000万円)を支払うよう訴訟を起こし、東京地裁は請求額の支払いを命じたのである。
ま、オレが誰の味方だって言ったら亜久里さんの味方に決まってるので、今回の文章は決して世間的に公平なものとは言えない。ハッキリ言って、この件で”ばんせい山丸証券”という名前を嫌いになりかねない。何故ならF1にオール・ジャパン構想と共に挑戦したひとりのサムライの夢に、”スポンサー・シップ”という枠で関わるのは”夢を買う”ことあり、本来憎むべき、逃げ出した某スポンサーは別としても、そこに力を貸そうと立ち上がってくれた関係者から、後々になってカネのハナシが出て来ちゃうことにゲンナリなのである。もっともこの件でばんせい証券も多大なる被害を被っているのは確かだが、こうした動きにヨーロッパとの共通点と相違点を見い出し、複雑な想いでニュースを見ていたのは筆者だけではないだろう。
が、それこそこんなことでもなきゃ”F1絡みのニュース”が誌面を飾ることはない。最近最も目立った1面トップ記事は”トヨタF1撤退“。そこまでの規模ではないにしても、次に記憶にあるのは”ブリヂストンもF1撤退へ”。ついでに次を選ぶなら”ホンダF1撤退“であり、要するにそこにポジティヴなニュースなんてものはこれっぽっちもなく、小林可夢偉(ザウバー)がワースト・グリッド・スタートから世界王者ブチ抜いて最終ラップまで攻めて殊勲の7位入賞した、なんていう記事はよっぽど注意してないと見つからない。が、これまた当たり前のことだが、彼らの仕事は”ニュースの配信”である。よって、その優先順位は”ニュースであるか否か”、つまり、その記事はどれだけの人間の興味を引くことが出来るのか、である。従って、多くのジャンルが混在するメディアに於いて中心となるのはタイムリーで皆が知りたがっていることの詳細を、どれだけ早く届けられるか、ということになる。例えば亜久里氏のニュースの場合、これは”F1″が主体なのではなく、”著名人が多額の支払いの裁判に負けた経済ニュース”であると考えるべきである。
サッカーW杯も、本田がニッポン代表としてW杯でゴールを決めたのは”ニュース”、今後CSKAモスクワで豪快にゴールを決めたとしても、国内の新聞の1面トップを飾ることはないだろう。それが”本田”が主体ではなく”W杯日本代表”というタイムリーなニュース、という捉え方の違いなのである。
“モータースポーツの話題はネガティヴな話題ばかりだ”…..近年、そんな声を良く耳にする。おそらく、’90年代の空前のF1ムーヴメントと比較しての印象なのだろうが、それは決してモータースポーツに限ったことなどではない。モータースポーツ・ファンの我々がそう感じるように、多くのジャンルのファンもまた同じようなジレンマを抱えているのである。
筆者がこのSTINGERでスクイチを始めるにあたり、村長・山ちゃんからお願いされたのは「F1と音楽業界との架け橋になって欲しい」ということ。それ以前にも、筆者側から音楽イベントでF1トークをお願いするくらいの仲だったので、そりゃま堂本君みたいにはなれないけど(笑)頑張りましょう、ということでこうして書き始めた。よって、筆者のスタンスは当然プロのモーター・スポーツ・ジャーナリストの方々とは観点も違えば表現も違う。かつて今宮氏が”英語をカタカナに”、脇にいる実況の古館伊知郎氏がハイテク装備の中で表情も見えないヘルメットの中に求めた”人間実況”。その解りやすさは素人から見ればありがたく、しかしある意味で専門家からは少々複雑に捕らえられていた。「そんな簡単なことじゃないのに」…..こうした葛藤は何処にでも存在する。
今回のW杯報道で言えば、俊輔を降ろしてまで1トップに据えた本田の良いところ、遠藤と松井の頼もしさ、闘莉王と中澤の高さ、長友の運動量の豊富さ、更に川島の鉄壁の信頼性と最終兵器岡崎、なんてハナシをすると、日本代表チームにはこれっぽっちも隙がない。もしかして優勝してもおかしくないんじゃないか、と言えるほどの戦力に見えて来る。が、そこで誰かが「ところで、対戦相手のオランダはどんなチームですか」と聞いた瞬間、彼らは悲しい現実を伝えなきゃいけない。そして同時に「でも、きっと彼らはやってくれます。信じましょう!」としか言えなくなってしまう。でも、そこで「というワケで勝ち目はないですね」という、本来真実に近いであろうひとことは日本のメディアには登場しない。同時にそれはニュースでもない。如何に興味を持って貰うか、の視点は”希望”という位置に属するものであり、相手が観たくなるような内容でなくてはならない。
そうした中に時折登場する、F1に於ける”残念なニュース”。が、当然これはF1に限ったことではなく、「F1やモータースポーツは悪いニュースばかりが取り上げられる」という味方は、全てのジャンルに於いて起きていることがF1ファンに目立って捕らえられてるだけの現象である。金融危機以降、多くの企業からスポーツ部門の廃止/撤退が続き、名門と言われるチームが続々と姿を消して行った。それはバレーボールやアイスホッケーなどのオリンピック競技種目にも及び、戦力強化を目論む当事者達とのギャップは深まるばかりとなって行く。これでは当然明るい未来など得られるわけもない。が、F1には少なくとも可夢偉という希望の星がある。MLBで活躍するイチローや松井同様、世界の中の”ニッポン代表”としての注目度が存在するだけ、もしかしたらラッキーなのかも知れない。
先日行われた筆者主催の音楽イベントでは、単純に言って「近頃落ち込んでるF1人気、でも今、可夢偉という将来有望な若者が頑張ってるから応援しなきゃ。TV観てみてよ、面白いから!」というコーナーを行った。もちろん集まってる人達は音楽ファンがメインなので、こうした”付加物”には興味も示さない人が多数。が、そんな中にもちゃんと気にしてくれる人がいて、直後に行われた第6戦モナコGPを観て「面白かった」とレスポンスを頂いたし、オレのファンの中にはそれまで全く興味がなかったのが、筆者の影響で自身のブログで可夢偉の活躍を伝えてくれるようになった人もいる。
つまり、それは今回のメディア/一般人も含めて加熱したW杯絡みの報道/取り上げ方そのものと同じ現象である。新聞/TVといった限定された一方通行時代から、個人のウェブサイトやブログなどによる主観的アイテムが混在するwebではプロ/アマ問わず、正論/持論問わずの情報が溢れ、時にはやんわりとオブラートに包まれた報道より、一個人のストレートな意見が支持されたりすることもある。検索結果は嘘をつかない。多くを取り扱い、そこに売上が求められる新聞や雑誌ではなく、何の責任も損得の存在しないプライベートな空間に興味あるアイテムが存在したりする。それが現代メディアの特徴なのである。
なので、言っちゃえば良いのだ。「いや〜、今年のF1最高に盛り上がってるね!」と。筆者にとってはそれは事実。だから堂々と言える。それで筆者のコラムが検索結果の上の方に来てれば「ああ、F1盛り上がってんだ」「F1って何?」という人が増える。そんで良いじゃないか。鈴木亜久里16億円支払い?、それは確かに”事実”で”ニュース”かも知れないけど、少なくとも”売り”ではない。
そう言えば先日、ニュージーランド在住の方からメールを頂いた。息子さんがカート・レースに出ているという彼は、筆者の鈴木亜久里コラムを読んで「白人の中で如何にして日本人が闘って行くかの参考になった」と感謝の言葉を送ってくれた。…..感謝するのはこちらの方です。これで息子さんのカート・キャリアに何か役に立てたら、それは最高な出来事。こんな風にしてweb情報が世界中を巡り、様々な情報から自らがチョイスする。そんな時代に本当の意味でメディアの必要性が問われている。少なくとも、16億円のニュースを息子に教えようとは思わないよね。
…..結局筆者が今回何を言いたかったのかと言うと、書き方や在り方は本来人それぞれで、もはや正論以外に、影響力を持つカリスマ(筆者じゃないよ!)による極論が正論に迫る勢いでメディアを駆け回っている時代だという事実である。で、うかうかしていられないのはプロの皆さんである。アレは書いたらマズイな/これは書かないとな、という葛藤の中で、そんなこと何〜にも考えてない一般人が核心を突いて来た時、「確かにそりゃそうだけどさ」と言ってたら負けなのである。そして、その激突は最終的に”モラル”というデリケートな部分に発展する。当然取材も行わず、自らが眼に/耳にした報道を総合した上で書かれた一般人の意見には確たる根拠がない。証拠は?と言われたら「あそこに書いてあった」「TVで言ってた」になる。そのモラルが崩壊した時、メディアの存重要性は終焉を迎えてしまう。少なくとも某巨大掲示板サイトを代表とするwebでの近年の展開は、報道に対する概念に大きな影響を与えている。もちろんこのままでは危険だ。しかし、大手メディアでは本来取り上げられないようなジャンルの情報を手に入れるために、これほど便利な時代はこれまでなかった。しかし、人々の欲求に応えた結果、過渡期を迎えるのは仕方がないことなのである。
…..と、一方通行のトーシロー・コラムの筆者は思う(…..)。