F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年5月20日  近くて遠いエフワン

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

近くて遠いエフワン

トヨタのサード・ドライバーを勤める小林可夢偉が’08〜’09年のGP2アジア・シリーズ王者となった。TDP(トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム)出身、フォーミュラ・トヨタ/フォーミュラ・ルノー/ユーロF3を経て’08年にダムスからGP2に参戦、2勝で年間16位。オフ・シーズンに行われるアジア・シリーズで2勝をあげてタイトル獲得。アジア・シリーズとは言え、日本人ドライバーがF1のすぐ下のカテゴリーで選手権を制覇するのはこれが初、という快挙である。スペインGPのパドックでは元GP2王者のF1ドライバー、ルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)や同選手権2位のネルソン・ピケ(ルノー)らが駆けつけ、今”最もF1に近い日本人ドライバー”の王座獲得を祝福した。

“今F1に最も近い日本人ドライバー”。
実力と実績と運を兼ね備え、遂に眼の前の標的であるF1参戦にリーチをかけた可夢偉。が、立ちはだかるのは僅か1年前にスーパーアグリが資金難により去り、ほんの半年前に日本の象徴とも言うべきホンダが見切ったという事実。元より”狭き門”だった頂点カテゴリーはますますその難易度を増し、全部で20席のF1シートに現役日本人F1ドライバーは中嶋一貴(ウイリアムズ・トヨタ)ただひとりしかいない。この2年間で佐藤琢磨井出有治山本左近らがF1シートを失った。ふたつのジャパン・チーム(と言うよりホンダ)が去ったことで、今や日本人ドライバーにとってはトヨタだけが頼みの綱。もっとも、元よりフェラーリとトロ・ロッソ・フェラーリにイタリア人ドライバー、ルノーとレッド・ブル・ルノーにフランス人ドライバーはいない。F1初のインド・チームであるフォース・インディアにもインド人ドライバーは乗ってない。
…..チーム・ナショナリズムは過去のもの、世界各国の精鋭達が、自国の自動車メーカーや企業のバックアップでF1のシートを得る時代は終わったのか。スーパーアグリで鈴木亜久里の描いた”オール・ジャパン・チーム”は既に時代遅れの発想だったのか。そして、トヨタのスカラシップで階段を昇って来た可夢偉の夢は叶うのか。

’09年のF1世界選手権に、ルーキー・ドライバーはセバスチャン・ブエミ(トロ・ロッソ)ひとりしかいない。ブエミは’08年GP2総合6位、しかし彼は当時からレッド・ブルのリザーブ・ドライバーを務めており、セバスチャン・ヴェッテルの昇格(トロ・ロッソ→レッド・ブル)によって早くからトロ・ロッソ入りが”内定”していた。よって、GP2での成績によってF1デビューが左右された、とは言い難い。レッド・ブルは自らサポートするドライバーズ・プログラムを持ち、トロ・ロッソをセカンドチームとして実力のある若手ドライバーにチャンスを与えるシステムを採用している。極端に言えば、彼等はサポートするドライバーに、最大4つのF1シートを用意出来る、ということ。よって下位フォーミュラの成績に捕われず、自由にドライバー選定を行う。逆に、レッド・ブルのスカラシップなしで新人ドライバーがレッド・ブル/トロ・ロッソのシートを得るのはほぼ不可能、ということでもある。

’05年に始まったGP2選手権の前身は国際F3000選手権、かつてのF2選手権である。簡単に言えばフォーミュラ・ピラミッドの頂点がF1であり、そのすぐ下のカテゴリー、ということになる。GP2を制してF1にステップ・アップした現役ドライバーには前述のルイス・ハミルトン(’06年王者)、ニコ・ロズベルグ(ウイリアムズ・ルノー/’05年王者)、そしてティモ・グロック(トヨタ/’07年王者)らがいる。またGP2の前身である国際F3000選手権(’85〜’04年)覇者の現役F1ドライバーにはセバスチャン・ボーデ(トロ・ロッソ/’02年王者)やニック・ハイドフェルド(BMWザウバー/’99年王者)らがおり、他の殆どの選手権覇者が1度はF1にステップ・アップしている。キミ・ライコネンやフェリペ・マッサ(フェラーリ)らはF3からの、フェルナンド・アロンソ(ルノー)やロベルト・クビサ(BMWザウバー)らはワールド・シリーズ・バイ・ルノーなどからの”飛び出世”組だが、GP2を主催するFIAとしても「次代のF1ドライバーを育て、評価し、公開する」という思惑があり、F1に最も近いGP2シリーズをF1と併催することで、その認知度とF1チームの新人ドライバーに対する興味を深めたいという意図がある。
が、近年益々狭き門となったF1ドライバーの座を巡り、毎年のようにGP2王者が翌年F1へとステップ・アップすることは極めて困難なことになってしまった。良い例が’08年GP2選手権2位のブルーノ・セナと、チャンピオンのジョルジョ・パンターノである。
セナはその名から想像出来る通り、故・アイルトン・セナの甥である。’08年11月のバルセロナ・テストでホンダで初のF1ドライブを行い、このままルーベンス・バリチェロに代わって’09年のホンダの正ドライバーとしてF1デビューすることがほぼ決まっていた。が、ホンダのF1撤退とブラウンGPの誕生劇の中で話は立ち消えとなり、セナのF1デビューは白紙となってしまった。セナは’09年、逃したGP2王座へチャレンジするのではなく、ル・マンやDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に参戦しながら次のF1参戦のチャンスを待つことを選択した。
そのセナを打ち負かし、’08年のGP2王者となったジョルジオ・パンターノは’04年にジョーダンを駆った元F1ドライバーである。が、この時パンターノは幾つかのレースを他のドライバーと交代させられ、結局1年でF1のシートを失った(他のドライバーとは’07年のGP2王者であり、現在トヨタでF1を走るティモ・グロックである)。やむなくF1からGP2へと”ステップ・ダウン”、昨年セナを打ち負かしてGP2王者となったパンターノには、’09年シーズンに向けたF1チームからのオファーは一切なかったのだと言う。
「才能や結果はもはや関係ない。必要なのは資金力だけだ。でも今はそんな資金を提供してくれる所もない。もしも僕と同じ状況の人がいたら、F1は諦めて別の道を探すべきだと言うだろうね」
この悲壮な叫びは本音であると同時に、現在のモーター・スポーツと世界経済の於かれている状況を的確に表している。それは我が日本にとってもスーパーアグリとホンダの撤退という、最悪の形で現実となってしまった。

元よりF1と日本との関係は”極東からのお客様”である。全てがヨーロッパにあり、行われ、進化して来たF1に初めてニッポンの名が轟いたのは第1期ホンダ(’64〜’68年)の参戦である。彼等がヨーロッパへ持ち込んだのは技術。戦後の高度経済成長の中、エンジン供給という当初のコンセプトがロータス/コーリン・チャップマンとの契約破棄によって揺らぎ、開き直って未経験のF1シャシー制作を断行し、強行参戦に踏み切った背景にあったのは”レース・バカ”達の行動力だった。ホンダは5年間で2勝を記録して撤退するが、日本人ドライバーがこのトップ・フォーミュラにチャレンジするには、まだあと数年必要だった。

日本人初のF1ドライバーは’74年の速見翔こと新井鐘哲である。しかし実際にはチームの問題で予選にすら出走しておらず、厳密には翌’75年に鮒子田寛が第8戦オランダGPで予選25位通過するも決勝レースは走らず、が日本人ドライバーのF1初出走と言うべきレースである(’74年シルバーストーンの高原敬武はノン・タイトル戦なので除外する)。ご存知ない方が殆どかも知れないが、このふたりは日本のコンストラクターであるマキF1からエントリー。マキそのものに関してはここで詳しく書くことは避けるが、極東のプライヴェーターがヨーロッパ/世界の壁を思い知った貴重な機会、と言える。結局日本人ドライバーがF1グランプリの決勝レースでリザルトを残すのは、’76年富士のスポット参戦組である星野一義/長谷見昌弘/高原敬武/桑島正美まで待たなくてはならない。

彼等スポット参戦者を含め、これまでF1に参戦した日本人ドライバーは全部で19人。その中でシリーズ参戦を果たした日本人F1ドライバー(単発/複数レースへのスポット参戦は省き、年間契約に於けるレギュラー・シート獲得者/”フルタイム”と称されることが多い)の参戦状況を振り返ってみる。

▲中嶋悟(’87〜’91年)
▲鈴木亜久里(’89〜’95年)
▲片山右京(’92〜’97年)
▲井上隆智穂(’95年)
▲中野信治(’97〜’98年)
▲高木虎之介(’98〜’99年)
▲佐藤琢磨(’02〜’08年)

…..亜久里のデビューが’88年日本/’03年の琢磨がリザーブ契約で出走はスポットのみ、といった”細かいこと”は一旦眼をつむっといてくれ(笑)。
その後の活動や他カ
テゴリーへの復帰などは別とし、最終レース以前に引退発表を行ったのは中嶋悟片山右京のみ(亜久里は’95年日本GP予選でクラッシュ、決勝に出走せず引退を表明)。あとは全員”シート喪失”である。
このリストに名前のない野田英樹。’94年終盤3戦にラルースからスポット参戦し、翌’95年シムテックとレギュラー・シートの契約を結んでいたが、阪神大震災による自身のスポンサーの撤退でシーズン前半の参戦を失い、後半はチームそのものが撤退。結局スポット参戦以降1度も出走出来ずにF1から去ることになってしまった。
そういう意味で興味深いのが井上隆智穂。彼は野田と同じタイミングでシムテックとも交渉していたが、契約内容とチームの財政状況から「未来はない」と判断、フットワークとの交渉に切り替え、見事レギュラー・シートを得た。だがその井上も翌’96年のミナルディとの年間契約が開幕直前に破棄されてシート喪失。これでF1ドライバーとしてのキャリアを断たれてしまった。が、井上はその巧みな交渉術も含め、それまでの日本人ドライバーとは明らかに違うタイプのシート獲得交渉を行い、成果を上げた。”それまでの”とは、国内のアンダー・フォーミュラでの成績である。井上はアンダー・フォーミュラでの優勝経験を持たずにF1ドライバーとなった。
’92年、ブラバムからF1デビューが決定していた中谷明彦は日本のトップ・フォーミュラでの優勝経験があるにも関わらずスーパーライセンスが交付されず、アンダー・フォーミュラでの表彰台経験のない女性ドライバー、ジョバンナ・アマティにシートを奪われた。F1テスト・ドライバーの座を射止め、良い仕事をした脇坂寿一本山哲にも、グランプリ出場のチャンスは巡って来なかった。彼等の何がいけなかったのか、いったい何が足らなかったのか。

中嶋/亜久里/右京までは、国内フォーミュラのトップ・カテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン/全日本F3000選手権での年間王座獲得、が”ニッポン代表”としての資格として必須、という印象だった。しかし’90年代後半からラルフ・シューマッハー(’96年王者)やペドロ・デ・ラ・ロサ(’97年王者)らヨーロッパ出身のドライバーが選手権を制覇すると、そこでの成績は効力を失い始める。反対に国内カテゴリーにとらわれず、早くから本場ヨーロッパへ武者修行に出て行く若いドライバー達に注目が集まって行った。その頃F1デビューした高木虎之介は、3年間のフォーミュラ・ニッポン(全日本F3000選手権時代含む)を経て’98年(ティレル)、’99年(アロウズ)と2年間F1のシートに座り、ノー・ポイントのままシートを喪失。翌’00年にやむなく古巣フォーミュラ・ニッポンに復帰、全10戦中8勝という圧勝でシリーズを制した。ひとことで言うなら、その時点で高木は間違いなく日本一速いフォーミュラ・ドライバーだった。が、結局F1では成果を残せず、その後アメリカへ渡り’03年にはインディ500のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。環境、タイミング、そして彼の苦手としていた”英語によるコミュニケーション”…..国内に留まってレース活動を続けることのデメリット、そしてアジア圏のドライバーのアキレス筋が明るみに出たと言える例である。
そして’01年、前述の”武者修行日本人ドライバー”達が一気にヨーロッパを席巻する。佐藤琢磨(イギリスF3王者)、金石年弘(ドイツF3王者)、福田良(フランスF3王者)の誕生である。
ミハエル・シューマッハー(’90年ドイツF3王者)やミカ・ハッキネン(’90年イギリスF3王者)らの”飛び級組”がF1を席巻して行く中、当然ながらチーム関係者らの眼は本場ヨーロッパのF3を闘う若いドライバーへと移って行った。折しもその頃、若手ドライバー達が国内カテゴリーにキリをつけて続々と本場ヨーロッパへと出て行った時期であり、そこで開花した琢磨/金石/福田らが、まさにF1チームのスカウト陣の注目を浴びることとなった。
…..が、現実は遥かに厳しかった。結局F1のシートを射止めたのは琢磨のみ、それも参戦中のホンダのスカラシップによってキャリアを磨いて来たが故の成果である。ハッキネンやアイルトン・セナらを輩出した伝統のイギリスF3王者となり、マカオF3とマルボロ・マスターズをも制したF3世界一のドライバーが、ようやく中堅チーム(ジョーダン・ホンダ)から2年間の”日本人ドライバー空白期間”を打破してF1デビューを飾った。金石はフォーミュラ・ニッポンへ進み、福田はBARのテスト・ドライバーとなったが、結局F1グランプリ出場は叶わなかった。
その後、琢磨はBAR・ホンダで難しいキャリアを過ごす。最も体制の整った’04年に予選最高位2位/最速ラップ1回/3位表彰台/34点、という活躍を見せるが、遥かに目立ったチーム・メイトのジェンソン・バトン(85点獲得)の影に隠れてしまう。’05年、戦闘力強化のためチームはフェラーリのルーベンス・バリチェロを迎え入れることを発表、弾かれる形となった琢磨はBAR・ホンダのサード・ドライバー契約の話を蹴り、翌’06年のシートを探さなくてはならなくなった。

そして’05年11月1日、元F1ドライバー鈴木亜久里率いるF1チーム、スーパーアグリが産声を上げた。基本シャシーに4年落ちのアロウズA23を使用し、開幕前のテストはたったの3日間、チーム結成から初レースまで僅か4ヶ月、という短さで参戦したこの新チームは、しかし佐藤琢磨/井出有治をエントリーする、夢の”オール・ジャパン・チーム”であった。
が、まずこのスーパーアグリからF1デビューを飾った井出に問題が起こる。FIAは井出のドライビングを「未熟である」としてシート喪失のきっかけを作り、遂にはスーパー・ライセンスを剥奪。井出はフランス人ドライバーであるフランク・モンタニーにシートを譲ることとなった。シーズン終盤には前年の日本GPでサード・カー経験のある山本左近がシートを与えられてデビュー、翌’07年はGP2に参戦しながらスーパーアグリのサード・ドライバーを務め、シーズン終盤にはスパイカーの空いたシートを射止めF1復帰、その後はGP2参戦を継続。スーパーアグリはBAR・ホンダのサード・ドライバーであり、’01年イギリスF3で琢磨に次ぐランキング2位だったアンソニー・デビッドソンを起用。チーム3年目の翌’08年も、同じ琢磨/デビッドソンの布陣でシーズン開幕を迎えた。
…..その後はご存知の通り、スーパーアグリは2年半の活動期間を経て’08年5月6日にF1からの撤退を発表。理由は”財政難”であり、その原因は”不況”である。
入賞は琢磨が神ワザ的なドライビングを見せた’07年スペインGP(8位)とカナダGP(6位)のみ、シーズン終了後にはホンダもF1撤退を発表、F1からホンダ系列のチームが姿を消した。琢磨はこれでF1浪人となり、トロ・ロッソの’09年シーズンの正ドライバーの座を賭けてセバスチャン・ボーデとテストで争うが、”持ち込みスポンサー”で負けてシート獲得ならず。これでF1に残ったのは前年最終戦ブラジルGPでF1デビューを飾った中嶋一貴(ウイリアムズ・トヨタ)のみとなってしまった。
’07年のGP2を闘っていた中嶋一貴は父・悟がホンダ・ドライバーであったのとは違い、自らの意思で選び、勝ち抜いて来たトヨタのスカラシップ・ドライバーである。そのトヨタがエンジンを供給する名門・ウイリアムズとテスト・ドライバーとして契約し、翌年のレギュラー昇進が決定。スポットで出場したデビュー戦/’07年ブラジルGPは、レギュラー・ドライバーだったアレクサンダー・ブルツの引退発表によるもので、今年が2年目のF1フル参戦となる。
トヨタとウイリアムズ・トヨタ。前述のレッド・ブル同様、トヨタもある意味ではシートを2席以上確保していると言える。’10年に向け、チーム・メイトのニコ・ロズベルグの動向次第ではあるが、一貴のシートは概ね安泰と言われている。何故なら、現状日本人F1ドライバーは一貴のみ、トヨタにとっても日本にとっても、彼を失うことは考えられない。唯一可能性があるとすれば、小林可夢偉とのシート争いが勃発すること。少なくとも、エンジン供給のみのウイリアムズが日本人ドライバーをふたり乗せることは考え難い。が、トヨタが好調なヤルノ・トゥルーリ/ティモ・グロックのコンビの内のどちらかを落とし、可夢偉を乗せる可能性も極めて小さい。仮にアジア・シリーズを制覇した可夢偉がこのまま’09年のGP2王者となったとしても、現状のF1チームに可夢偉を受け入れる隙がないことは、前述のパンターノやブルーノ・セナの例が物語っている。
FIAのバジェットキャップ案が上手くまとまれば、’10年にF1は少なくとも3つ以上の新チームを受け入れることになりそうである。が、現在そこに日本企業/チームの名前は出て来ない。’08年秋以降、日本のモーター・スポーツ界は深い眠りに入ってしまった。現状、新たにF1シートを手に入れる可能性を持つ日本人ドライバーは可夢偉だけだが、もしもトヨタがF1活動に関して見直しを計ることになれば、その可能性も消えてしまうかも知れない。そしてそれは、いつ起きてもおかしくないことなのである。

’09年5月、琢磨がインディ500の視察に現れたというニュースが流れた。琢磨はこのまま活動の地をアメリカへと移してしまうのか。井出や左近もまだ目標を達成したわけではなく、ようやくF1に辿り着き、その実力を発揮する機会を模索している途中なのだ。
…..フォーミュラ・ピラミッドの頂上を間近にし、若きサムライ・小林可夢偉の未来に不安を覚えるほど、経済不安は身近なものなのである。

「ここからが本番」’09年5月 @GP2開幕戦/小林可夢偉

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