『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。
[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。
[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己
2010総括
’10年F1世界選手権第17戦韓国GPにて、ドライバーズ・タイトルを争う5人のドライバー/ポイント的に王者となる可能性の残された5人が並び、笑顔でカメラマン達の撮影に応じた。メンバーはマーク・ウェバー(レッドブル・ルノー)、フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)、ルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)、ジェンソン・バトン(マクラーレン・メルセデス)、そしてセバスチャン・ヴェッテル(レッドブル・ルノー)。
…..いつか何処かで、これと同じような状況を見たな。そう、あれは…..’86年の最終戦アデレイドだ。メンバーはナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ/70点)、アラン・プロスト(マクラーレン・TAGポルシェ/64点)、ネルソン・ピケ(ウィリアムズ・ホンダ/63点)、アイルトン・セナ(ロータス・ルノー/55点)の4人。表向きには社交的なプロストを除いて、皆精一杯の作り笑顔。特に両端のブラジルの”犬猿の仲”のふたり(セナ/ピケ)の距離感が大きかったな。
マンセルは遂に悲願のタイトル獲得を目前にモノ凄い緊張感。反対にまだデビュー3年目/2勝でランキング4位と遅れるセナはやることがハッキリしてる。対照的に、守り方を知っている3度の王者・ピケはやや気楽そうだ。が、ポイント上難しい位置にいるプロストが最も気楽そうに見える。そして結果は…..飛ばし過ぎたマンセルがトップ快走中にタイヤ・バーストで自滅、それを見て守りに入ったピケはペースが上げられず、結局交換したタイヤを労りつつ自分のペースで走ったプロストが栄冠をものにした。終ってみれば、最後に笑ったのは冷静な”巧者”だったのである。
この所謂”セナプロピケマン”時代(’80〜’90年代)の面白さが何故後世まで語り継がれているのか、と言えばもちろんF1GPの歴史上、最も優れたドライバー達の競演、という部分が大きい。ただし、そこには外から目線による”イメージ”という部分が、きらびやかな’80年代に於いて個々の持つキャラクターと共に先行するのは否めない。しかしそのイメージを我々は個別の魅力として設定し、レースを楽しむために活用する。例えばこんな感じだ。
セナ=速いドライバー
プロスト=巧いドライバー
ピケ=強いドライバー
マンセル=不運なドライバー
…..実際にどうだったのかは別として、同じようにグランプリに勝利する彼らには、勝つためにそれぞれ違った要素が備わっていた。セナは圧倒的な”速さ”でポール・ポジションを獲得し、レースでもスタートからひとり旅。その速さは疑いようがないものの、反対に地道にポイントを獲得し続け、レース終盤に最速ラップを更新しながら迫って来るプロストのような”巧さ”はない。同様にプロストにはポール・ポジションは必要ない、とさえ言われていた。王者ピケは、速さで勝るマンセルに対しレース中一貫して揺るぎない”強さ”を見せつけ、同じ道具〜当時最強のウィリアムズ・ホンダ・ターボ〜を使って王者に相応しい強さの持ち主は自分であることを証明してみせた。結局マンセルのタイトル獲得は’92年の1度のみ。他の3人が同時期に3度以上のタイトルを手にしていることからも、マンセルというドライバーが環境的にも”不運”だったのは否めない。歴代4位の31勝を挙げながら”無冠の帝王”と呼ばれ続けた理由はそこにあった。
しかし、同時にこれはF1では速いだけでも、強いだけでも、巧いだけでも運が良いだけでも世界チャンピオンには簡単にはなれないことをも意味している。それだけ毎年タイトル争いも白熱し、’86年は前述のように巧さでプロスト、’87年は強さのピケが不運のマンセルを降し、’88年は圧倒的な速さでセナ、翌’89年は巧者プロストがそのセナに作戦勝ち…..各ドライバーの力関係はそのままに、シーズンを通じて持ち味を上手く活かした者が王座に就いていた。
…..とまあここまで書いておいて、筆者は決して’10年シーズンが”セナプロピケマン時代”に匹敵するほど魅力的な選手権だった、と書くつもりはさらさらない。ただ、各ドライバーの持ち味と戦略、そして結果が当時の構図を想い出させるには丁度良いものだった、という程度である。
第15戦シンガポールGP終了時、ランキング首位はウェバー(202点)。このレースの勝者である絶好調のアロンソが191点で続き、3位には182点でハミルトン、開幕前の下馬評の主役、ヴェッテルは181点で4位、バトンが177点で5位。
まず、シーズン後半にも関わらず精力的にモディファイを繰り返すマクラーレン陣営に、正直言って勝ち目は少なかった。’08年王者のハミルトンは持ち前の天性の速さで勝利してみせるがそれもコース特性とMP4/25が上手くハマった際のみ、しかも速さのハミルトンは”壊し屋”ハミルトンでもあり、持ち帰るポイントは決して安定しない。’09年王者バトンは雨を味方につけるなど”巧さ”と”運の良さ”は見せたが、速さとスピードではライバル達に太刀打ち出来なかった。よって、現実的なタイトル争いはウェバー/アロンソ、そしてヴェッテルの3者によって行われていた、と言える。
この中で唯一のタイトル経験者であるアロンソ(’05、’06年王者)とフェラーリは豪語した。「リスクを冒さず、堅実に表彰台フィニッシュを目指し続ける。そうすれば、おのずとチャンスはやって来る」攻撃力以外に獲得ポイントの防衛力を知るベテランは、シーズン後半を強さと巧さで乗り切ることを決めた。
ランキング首位のウェバーは既にその孤独感とプレッシャーに押し潰されかけていた。世界最速のマシンは、今彼の手元にある。が、それは昨年終盤までブラウンGP・メルセデスとタイトル争いを繰り広げ、この若きレッドブル・チームと弟分のトロ・ロッソに初勝利を齎したグループ全体の期待の星、ヴェッテルのために準備されたものだった。クリスチャン・ホーナー、ヘルムート・マルコ、いや世界中が「オマエはNo.2ドライバーだ」と言っている気がしていた。僕は本当に王者に相応しいのか?。自分は本当にセブを倒せるのか?。その迷いの中でウェバーは趣味のマウンテン・バイクで怪我をした。チームにも報告出来ない。ウェバーはランキング首位のまま数戦を残し、精神的な弱さによって既にタイトル争いから脱落していたのである。
シーズンはもっと容易に自分のものとなる筈だった。ヴェッテルは苛立ち、焦り、つまらないミスを連発した。チーム・メイトと絡み、その際の不要なパフォーマンスによってその焦りは世界中に気付かれてしまった。「来年こそ必ず」そう誓ったシーズンは間もなく終る。自分の前にはより多くのポイントを獲得した”お利口なドライバー”が3人いた。第17戦日本GP/得意の鈴鹿を前に、未だ2勝しかしていないヴェッテルは考え方を変えた。今季7回のポール・ポジション獲得。自分の手元には最速マシン、RB6がある。目指すのは勝利のみ。ポイント計算でもなく、ライバル達とのマッチ・レースでもない、自分のレースをしよう。持ち前の速さに加え、ヴェッテルはシーズン終盤用アイテムに精神的な”強さ”を選んだ。
そして迎えた最終戦・アブダビGPは”こっけいな”レースだった。チャンスは少ないながらも、自信を持ってレースに望むヴェッテルとハミルトン。特にヴェッテルは鈴鹿以降3戦2勝、唯一エンジン・トラブルで落とした韓国GPを含め、終盤3戦の全てでトップ快走。後を誰が走っていて誰が何位で何点獲得か、なんてことは考えてもいない。ランキング3位の自分が世界王者になるためには、まず自身が勝つしかない。自分の仕事は予選でポール・ポジションを獲得し、レースでトップ・チェッカーを受けること。今季10回目のポール・ポジションを獲得したヴェッテルは”いつものように”レースをリードした。
ランキング首位のアロンソは、2位ウェバーが勝っても自身が2位、ヴェッテル優勝でも4位以上でタイトル決定、という通常なら相当”気楽な”ポジションにいた。「誰が勝っても問題ないよ」2位ウェバーは自らが勝ち、アロンソ3位以下か、ヴェッテルを従えての2位が絶対条件。現実的には、ふたりとも速さで敵わないヴェッテルの勝利を前提に、アロンソがウェバーを従えての4位フィニッシュを狙い、ウェバーはヴェッテルの失速を期待するレースとなった。
…..そして、’10年シーズンが”セナプロピケマン時代”と同様とはお世辞にも言えないレースが終った。ここまで名前も出て来ない、勝利も手にしていない”脇役”とでもいうべき別の個性が、この異様な”計算レース”を面白くしてくれた。
ロシア初のF1ドライバーとして今季ルノーからデビューした新人、ヴィタリー・ペトロフ。1984年生まれの彼は少年期のカート・キャリアを持たず、’01年のラーダ・ロシア・カップでレース・デビューし、’03年にイタリア・フォーミュラ・ルノーにステップ・アップ。’06年ユーロF3000選手権で3位、’09年GP2選手権ではニコ・ヒュルケンベルグに次いで総合2位となった。今季1,500万ユーロの持ち込み資金と共にルノーF1入り、しかし速さ/結果共にエース・ドライバーのロベルト・クビサに大きく離され、パドックでは最終戦を迎えてまだ尚、来季のシート喪失の噂が絶えなかった。
その”伏兵”ペトロフがアロンソ/ウェバーの前に立ち塞がった。オープニング・ラップでの多重クラッシュによりセーフティ・カーが入るとペトロフは即座にプライム・タイヤへの交換を終了。トップのヴェッテルが逃げ、ハミルトン/バトンのマクラーレン・コンビが続くと、ペトロフは同様の戦略を取ったメルセデスGPのニコ・ロズベルグ、チーム・メイトのクビサらと共に4位争い集団を形成。未だタイヤ交換義務を果たしていないアロンソとウェバーはタイトル圏外/予想外の7位と8位へと落ちてしまった。
…..この展開は誰も考えてもいなかった。特にフェラーリ陣営はパニックに陥っていた。11周目にウェバーがピットに入ると、先行されることを恐れたフェラーリはまだタイヤの好調さを維持出来ていたアロンソを急遽ピットに入れ、トラフィックのド真ん中へと送り出してしまう。目前には自らの”クビのかかった”ペトロフが、世界王者相手に良いところをみせようと立ちはだかっていたのに、である。
かくして、巧さを武器に”後と順位を気にしながら”レースをしていたアロンソとウェバーは敗れた。そして、ただ純粋に速く、強くあろうとしたヴェッテルが絶対的に不利な状況から逆転王座を獲得したのである。
1年をかけて多くを学んだF1史上最年少王者・ヴェッテルは、確実にセナやピケのレベルに近づいた、と言って良いだろう。反対に、不要な計算を誤った時期に始めたアロンソとウェバーには、ヴェッテルに勝てるだけの強さも巧さも備わっておらず、それはハミルトンの速さとバトンの運の良さをもってしても、この若き王者には及ばなかったという証しでもある。が、終ってみれば最多勝5勝/ポール・ポジション獲得最多10回のヴェッテルが明らかに’10年F1世界王者に相応しい。そして同じ5勝のアロンソだが、その勝利の中のひとつは疑惑の”チーム・オーダー事件”によるものだ、ということも、少なからず最終結果に影響している。おめでとうセブ、君こそ真のチャンピオンだ。
…..第17戦鈴鹿は、正直に言えばやや大味なレースだった。が、あれしか方法がなく、あそこしか場所がない、という状況で「そこで行く」という勇気と結果を見せてくれたのが彼だけだったのだから、それは正に賞賛に値する。
F1フル参戦初年度、つまりルーキーの小林可夢偉は”トヨタの捨て子”という逆境からスタートし、最終的に英オート・スポーツ誌によるルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得、という日本人初の快挙で初シーズンを締めた。シーズンを通じてベテランのチーム・メイト(ペドロ・デ・ラ・ロサ/ニック・ハイドフェルド)を上回り、入賞8回(最上位6位)で32点を獲得、ドライバーズ・ランキング12位。前述の最終戦で”大活躍”のペトロフ(13位/27点)、’09年GP2王者として鳴りもの入りでウィリアムズからデビューし、第18戦ブラジルではポール・ポジションを獲得してみせたヒュルケンベルグ(14位/22点)らを相手に、恐らくグリッド上で最も資金難に苦しみ、開発力も遅れていたザウバーでやって見せたところが素晴らしい。BMWの撤退、ペーター・ザウバーによる買い戻し/FIAの救済処置にもよって’10年のグリッドにどうにか並んだこのチームは、公式名称から”BMW”の文字を消すことすら出来ず(チーム名称変更には高額の手続き料が必要)、”BMW・ザウバー・フェラーリ”という不可思議なエントリー名となった。御大ペーター曰く「スポンサーを持たない初の日本人F1ドライバー」である可夢偉は、自身がこれまでの”お土産付き”が絶対条件だった日本人F1ドライバーという枠を超え、ヨーロッパ標準レベルの連中と何の遜色もなく闘えることを証明してみせた。それどころか、近年の多大なるレギュレーション変更/サーキットの安全性追求の影で減ってしまった”オーバー・テイク”というレースの基本的な醍醐味を、今季コース上で最大限に魅せてくれるドライバーとなった。ザウバーの’10年型マシン・C29は絶対的なストレート・スピード不足に苦しみながらも、持ち前の優れたタイヤ・マネージメント能力を駆使し、レース終盤で新品タイヤでプッシュする作戦は今季ザウバー/可夢偉の得意技となり、第9戦バレンシアの終盤でアロンソを、ファイナル・ラップでセバスチャン・ブエミ(トロ・ロッソ)をブチ抜いた場面は世界中の多くのレース・ファンを熱狂させ、第17戦鈴鹿でのヘアピン・オーバー・テイク5連発は初の母国GPとしては出来過ぎなレベル。「この2週間でヤツはデ・ラ・ロサを無職にし、ハイドフェルドを苛立たせ、10万人を熱狂させやがった!」と可夢偉を評したのはデビッド・クルサード。真のエースとなる’11年、’10年GP2総合2位のセルジオ・ペレスの持ち込む潤沢な資金により、ザウバーC30が戦闘力のあるマシンとなることを祈ろう。…..そう、ザウバーの好調が2年続くことが稀な点だけが気がかりだ。
鈴鹿と言えば、これ以上ない低迷…..そう、開幕戦からウィングのサイズすら変更出来ないHRT/ダラーラの駄馬、F110をねじ伏せ、母国GP/得意の鈴鹿ではそう簡単に抜かせないぜ、と言わんばかりにロータス/ヴァージンと互角に闘ってみせた山本左近が最高にカッコ良かった。今季4人のドライバーを資金難の都合に合わせてローテーションで回す、という特異な手法を用いたコリン・コレス率いるHRT。それでも実はランキング最下位は免れていた(コンストラクターズ最下位はヴァージン/最高位14位1回)。その立役者は…..最初に”切られた”インド人ドライバー、カルン・チャンドック(14位2回!)によるものだったのは皮肉である。音速の貴公子の甥、ブルーノ・セナのF1デビューは結局新人チャンドック、スポットの左近、そして4年振りのクリスチャン・クリエンらと比べ、そう目立ったものとはならなかった。
…..皇帝は確かに帰って来た。が、勝利とまでは行かなくとも、さすがにポディウム・フィニッシュすらない復帰イヤーとなるとは、殆どの人が想像出来なかったのではないだろうか。
7度の世界王者、ミハエル・シューマッハーの3年振り/40歳でのF1復帰の現実はあまりにも残酷な内容となった。昨年Wタイトルを獲得したブラウンGPをルーツに持つ新星・メルセデスGPは周囲の期待をよそに予想以上に空力特性にピーキーなマシンとなり、第5戦スペインGP時にはまだシーズン序盤にも関わらず、大幅にロング・ホイールベース化したマシン/つまり”ほぼ新車”を投入。開幕前の設計ミスをほぼ認めたかのようなドタバタ劇となってしまった。
肝心のシューマッハー自身は結局予選最高位5位/決勝最上位4位、72点でドライバーズ・ランキング9位となった。いや、むしろ相棒のニコが142点/予選最高位2位、決勝3位のランキング7位だったことの方が事態の深刻さを物語っていると言えるだろう。
同じドイツの、それも未だ勝利の味を知らない若手のニコ相手に予選/決勝を通じて5勝14敗。例え本人が良くても(もちろん良かあないだろうが)、これではファンもメディアも黙ってはいない。しかし、シューマッハーの豊富なキャリアからすればこれしきのやり過ごし方はもしかしたら簡単で、周囲の予想以上に早く来季へ向けて気持ちの切り替えが出来ているのかも知れない。いずれにしても、不発に終った今季のようなことがないよう祈る。同時に、黙ってキッチリと良い仕事をしてみせたニコにも幸運を。
ともあれ、今こそ言おう。おかえり、ミハエル!。
「忘れられない場面ですか…..ああ、いつだったか、(リカルド)ゾンタを挟んでミハエル(シューマッハー)と(ミカ)ハッキネンが3台並んでコーナーに入って行った場面があったでしょ?(’00年第13戦ベルギーGP)。あれがこれぞF1!って感じでね。一番忘れられない場面ですね!」…..浜島さん、インタビューアーはきっと、ブリヂストンの14年間に渡るF1活動の中で、タイヤが重要なファクターとなった劇的な勝利とか、グッドイヤーやミシュランとの激闘について聞きたかったんだろうに、この根っからの”レース屋”はまるでただのファンのような純粋な眼をしてこう答えた。
’76年富士のF1イン・ジャパンでスポット参戦し、その後慎重にじっくりと取り組んだF2プロジェクトを経て、’97年にF1に本格参入。初年度からトップ・チームへの供給がないにも関わらず(フェラーリ/マクラーレンらはグッドイヤー)高い能力を発揮し、第11戦ではデイモン・ヒル(アロウズ・ヤマハ)があわや初優勝かという快走を見せる。翌’98年、トップ・コンテンダーのマクラーレン・メルセデスと組むと開幕戦からハッキネン/クルサードが3位以下を周回遅れにする1-2フィニッシュを達成する速さを見せ、フル参戦2年目にして早くもWタイトルを獲得。GY撤退後はフランスのミシュランと闘い、フェラーリ/シューマッハーと共に黄金時代を築いた。今季最終戦までにF1通算175勝、10度の王座獲得に貢献したBSが、遂にF1を去る日がやって来た。浜島裕英本部長は「最後の年にセバスチャン(ヴェッテル)の史上最年少王座獲得に立ち会えて嬉しい」と明るく振る舞うが、BSとてこの世界不況の犠牲者、後任にピレリが決まったが、そのための時間的猶予を設け、1年前倒しで撤退発表を行ったのは、彼らなりのF1への”感謝と愛情の表れ”だと言える。そして、そう遠くない未来に、再び彼らが176勝目を挙げるところを見たいと心から願う。お疲れさま、ありがとう、ブリヂストン。
新設6年目を迎え、今季は”史上最悪のドングリの背比べ”と言われた’10年GP2選手権だが、あれだけ第1レースを制したパストール・マルドナド(5勝/全て第1レース)が真の王者であることに疑いはない(ちなみにGP2は第2レースはリバース・グリッドからのスタートとなる)。マルドナドは来季ウィリアムズからのF1デビューも決定、初年度から大暴れを期待しよう。ランキング2位となったペレスは母国・メキシコからの巨額の資金と共にザウバーからデビュー、’11年期待の新人ふたりである。ちなみにGP2も’11年シーズンはピレリ・タイヤを使用する。
“Fポン”ことフォーミュラ・ニッポンはブラジルのジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ(INPUL)が1年浪人して今季初タイトル獲得。Fポンは昨年のロイック・デュバルに続いて2年連続の”ガイジン王者”となった。ちなみにランキング2位はアンドレ・ロッテラー、3位にデュバルとトップ3に日本人ドライバーの名前がない(4位が小暮卓史)。しかし今季はオリベイラ(2勝)以外誰も複数勝利を挙げられず、新たなレギュレーションであるボーナス・ポイントも上手く活かされたとは言い難い。ルーキー・オブ・ザ・イヤーは山本尚貴(NAKAJIMA RACING)が獲得したが、表彰台なしの地味なタイトル獲得となった。
正直、マシンはなかなかカッコいい。あとは、運営側の”微妙なレース・コントロール感”の有無である。かつてのファン/GTなど他カテゴリーのファン以外にも、未知の新たなファン層を獲得出来るチャンスがある筈だ。最大の問題は…..今年最も注目されたのが、例の第3戦富士での平手晃平(INPUL)の”表彰台プロポーズ”だった、ということ…..ま、それ自体は目出たい。晃平&織美さん、おめでとう!。
MOTO GP開幕戦、カタールGP・MOTO2クラス/初優勝時の表彰台のビデオを何度観返しても、中央で人懐っこく微笑む彼が既にいないことが理解出来ない。
9月5日の第12戦サンマリノGPで、我らが日本の期待の星、富沢祥也が事故死。享年19歳。筆者の今年最初のガッツ・ポーズの要因を作った張本人は、愛車スッターと共に逝ってしまった。冗談だろう?、ようやく世界レベルで好感触を掴めて来たところじゃないか。
また忘れられないゼッケンが出来てしまった。”祥也”を意味する48を、オレ達も大切にする。
…..さて、この原稿を書いている時点で、どうやら’11年のF1世界選手権にはロータスが2チームあるらしい(…..)。何が起こるか解らないのがレースであり、F1。今から3月の開幕戦が待ち遠しい。
ランダムな更新となってしまいましたが、今年1年お付き合い頂き、ありがとうございました。STINGER村の住人とレースが大好きな皆さんの2011年が良い年となりますように。
「セブこそチャンピオンに相応しい」F1最終戦アブダビGP終了後/マーク・ウェバー