F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年8月8日  BMWよオマエもか

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

BMWよオマエもか

7月29日、突如BMWが’09年いっぱいでF1から撤退することを発表した。ただしこれは自動車メーカーとしてのBMWの撤退を意味し、ペーター・ザウバーが興したスイス・ヒンウィルを本拠地とするレーシング・チーム及びスタッフとは基本的に別の問題である。が、創始者であるザウバー自身は現在チームの株式の20%しか保有しておらず、実質的にチームは昨年のホンダ同様、大株主/冠スポンサーを失う状態となり、’10年以降のチーム存続に向けてはこれから様々な動きが必要となる。しかし状況は極めて見通しが悪く、ひとつのF1チームが消滅することを覚悟しなければならない。

…..だが不思議なことに、BMWのこの突然の撤退発表に対して関係者やファンの反応は恐ろしく冷静なものだった。その理由は大きく分けて3つある。

ひとつは、ホンダの撤退時同様、世界的な不況によるメーカー自体の保守判断である。
F1参戦は自動車メーカーとして膨大な投資を必要とし、結果が出なければそれは巨大な負担となる。昨年の第7戦カナダGPでチーム初勝利を1-2フィニッシュで飾ったBMWザウバーは、期待された’09年型マシンF1.09が大きく外れ、更に社運を賭けて開発に心血を注いだKERSレースでも惨敗。ここまで第2戦マレーシアのニック・ハイドフェルドの2位(ただし雨天によりハーフ・ポイント)以外表彰台フィニッシュなし、コンストラクターズ・ポイント僅か8点で10チーム中8位。選手権トップのブラウンGPが既に3ケタ(114点)であることを考えると、既に’09年の選手権は絶望的な位置にいる。それに加え、昨年3強として争ったフェラーリ/マクラーレン・メルセデスがシーズン開始時には同じく不調に喘いでいたものの、第10戦ハンガリーでは名門チームの意地を見せて優勝争いに復活。こちらはKERSも上手く機能しており、BMWザウバーは選手権だけでなく、開発からも完全に置いて行かれてしまった。この遅れをシーズン終了までに取り戻すことは事実上不可能に近く、1年間を棒に振りながら翌年の選手権へ向けての開発を進めるには時既に遅しの感が強かった。

ふたつ目は、F1を揺るがしたFIAとFOTAによるバジェット・ギャップ問題に絡み、FIA会長マックス・モズレーがFOTA側と舌戦を繰り広げていた際に「今シーズン終了時に2〜3のメーカーがF1から撤退する可能性がある」と発言しており、幾つかの成績不振チーム/メーカーがその候補として挙げられていた。当然この発言そのものはモズレーからFOTAの”団結力”を崩すための手段として用いられたものではあるが、何しろホンダの突然の撤退が前例としてある以上、関係者はおおいに興味を持って事を見守った。当時その対象として見られていたのはトヨタとルノーだった。
トヨタは何しろ2002年の初参戦から142戦未勝利、現在グリッドに並ぶチームで唯一勝利経験のないチーム(フォース・インディア=元ジョーダンとして)となり、同胞のホンダの撤退、更に200億円かけて大改修した地元・富士スピードウェイでのF1開催を僅か2回で断念したという事実から、’09年いっぱいでのF1撤退が囁かれ続けて来た。「今年勝てなければ撤退も」という覚悟で望んだ今シーズン、出だしこそ好調で第4戦バーレーンGPではヤルノ・トゥルーリ/ティモ・グロックが予選フロント・ロウを独占。遂にトヨタ初優勝成るかとの期待が寄せられたが、決勝では2台共に戦略面で失敗し、優勝争いから脱落。これをピークにそれ以後は予選順位も下降して行き、再び中断グループに埋もれてしまった。
ルノーは高額なギャランティを要する大スターであり、ルノー時代に2度の世界王者となったフェルナンド・アロンソをマクラーレン・メルセデスから”出戻り”という形で迎え入れ、アロンソの驚異的なドライビングで時折混乱のレースでは輝き、’08年は終盤の第15戦シンガポール/第16戦日本で連勝してみせた。しかしチーム全体の戦闘力は決してトップ・レベルとは言えず、’09年も軽い燃料で予選上位を狙い、レースをかき回した後にどうにか入賞、という状況が続いている。チーム・メイトであるネルソン・ピケJrはチーム/とりわけフラビオ・ブリアトーレとの確執が泥沼化し、遂にはノー・ポイントのまま第10戦ハンガリーを最後にチームを解雇されてしまう。が、これには別の見方もある。早急に結果を出す必要/プレッシャーに迫られたチームが低迷中のドライバーのサポートをする余裕がなく、それ故に異例のシーズン中の放出という事態となった可能性が考えられる。
こうしたチームと同様、BMWもまた絶望的なシーズンと不透明な未来への投資に巨額な資金がメーカーから投入されることの懸念が表面化する恐れが予測出来る成績となっていた。

最後に、コンコルド協定締結の遅れである。当然これは前述のバジェット・キャップ問題に絡んでのことだが、ご存知の通りFOTAはFIAが一方的なレギュレーションを強要するのならF1を離脱して新シリーズを立ち上げるとFIAを脅し、全チームによる労働組合の反乱とも言える行動に出た。それによって本来既に締結されていなければいけないコンコルド協定が結ばれず、最終的にその間にいくつかのメーカーが今後について考えなくてはいけなかったのである。何故なら、ここにサインすることで、そのチームは今後数年間はF1に参戦する義務を負うためで、一方的な途中離脱は金銭的にも多くのリスクを伴うからだ。そしてBMWの撤退が正式発表された翌日、モズレーは2012年12月31日まで有効なコンコルド協定が結ばれたことを発表。これはつまり、BMWがコンコルド協定へのサイン、つまり今後もF1に継続して参戦することを約束することが出来なくなったために訪れたタイミングと考えるべきである。さらに5月の時点で、GPMAの一員でもあるBMWはフェラーリに続いてバジェット・キャップ案の施行を前提にF1からの撤退を示唆していた。ただし、これはあくまでもBMWのモーター・スポーツ部門を取り仕切るマリオ・タイセンによるものであり、メーカーとしてのBMWの決断とは別のものである。が、こうした”小さな”動きのひとつひとつが迷える不振自動車メーカーの未来を暗示しており、今回の決断に大きな衝撃を齎さなかった要因ともなっている。

BMWのF1活動は常に中途半端なものだったと言える。’50年代はF2エンジンの改良型で地元・ドイツでのレースのみのスポット参戦を行い、本格的にF1に参入したのはターボ・エンジン全盛期の’80年代である。’83年に名門・ブラバム・チームのエース、ネルソン・ピケ(当然ながら父の方である)が3勝を挙げて接戦の末にドライバーズ・タイトルを獲得。しかしホンダの台頭もあって常勝気流に乗ることが出来ず、’87年で一旦撤退。その後メガトロン名義でターボ禁止となる’88年までカスタマー供給を行い、BMWとしてF1に再び参戦するのはウィリアムズと組んだ’00年である。ラルフ・シューマッハー/ファン・パブロ・モントーヤを擁してタイトル争いにも絡むが、圧倒的な強さを見せるフェラーリにどうしても勝てず、結局’05年にウィリアムズと決別、スイスのザウバー・チームを買収し、’06年から新たに”BMWザウバー”として初のチーム参戦を決断する。チームはコンスタントにポイントを重ね、3年目の’08年についに念願のBMW初勝利を1-2フィニッシュで飾ったばかり、という経歴となる。
当然ながら、’08年秋のリーマン・ブラザース破綻は世界中の自動車メーカーを経済的に直撃した。’80年代に同じ”エンジン・マニュファクチャラー”としてライバル関係にあったホンダが選んだのと同じ道をBMWはチョイスしたのである。F1以外のカテゴリーからの撤退については否定したものの、今後は環境問題に適合したプロジェクトを中心にして行く、という大命題はホンダと同様のものである。簡単に言えば、燃費も悪く勝てもせず、ただ巨額の資金が必要なF1をこれ以上続けることは負担が大き過ぎる、という判断である。

加えて、同じドイツのF1での永遠のライバル、メルセデス・ベンツの存在が常にBMWを影を薄くして来た。結果的に初勝利を挙げた’08年シーズンを制したのはマクラーレン・メルセデスのルイス・ハミルトンであり、BMW/タイセンが必死に開発して来たKERSも、BMWが開発を諦めた後の第10戦ハンガリーで、またもハミルトンがKERS搭載車による初勝利を挙げてしまったのである。やること全てでメルセデス・ベンツという巨大な先駆者の前に屈し、F1による直接的な広告効果も得られなかった、というのがBMWの実情と言える。

突然後ろ盾を失うことになってしまったザウバー自身は、チームの将来について「ホンダからブラウンGPが誕生したケースがベストだ。つまりマネジメント・バイアウトだよ。既に幾つかのオファーを受けてるし、このスイス・チームの灯を消してはいけない。ただ、問題は時間がないことだ」と、あくまでも存続へ向けて努力することを強調している。が、チームは結果的にコンコルド協定にサインしていないため、来季参戦なら新チームとして扱われ、各チームへの分配金などでも決して有利な状況とはならない。FOTAはBMWザウバーのコンコルド協定署名の猶予期間を設けると発表したが、FIAがそれを認めるかどうかは解らない。BMWという巨大スポンサーのチームからの離脱なのか、BMWザウバーというレーシング・チームのF1からの離脱なのか、は非常に大きな問題だったわけだが、BMWサイドによる新たな買収主探しは、最終的にコンコルド協定締結により既に時間切れとなったと考えるべきである。
また、ルノーに息子を解雇されたピケはザウバーを買収するアイデアを持っているようで、’10年からの新規参入を却下されたエプシロン・ユースカディを率いるジョアン・ビラデルプラット、GP2チームであるスーパー・ノヴァのデビッド・シアーズらと共に模索中である。が、彼等がチーム名にザウバーの冠を残すつもりがあるのならば、コンコルド協定に未調印であることが最大のネックとなって来る。いずれにしても、BMWの突然の発表が投げかける波紋は巨大なものとなる。

BMWのF1撤退発表を受け、FOTAは即座にチームに対する支援を発表。メディアは一斉に他のメーカーに対しコメントを求めた。トヨタとメルセデスはF1継続参戦を名言、しかしルノーは沈黙を守ったままである。モズレーの言葉がもしも根拠のあるものなのだとしたら、ルノーがBMWと同じ決断をする可能性は極めて高いと言わざるを得ないだろう。コンコルド協定は既に調印された。よって、今後の撤退決定/発表は多くの関係者/ファンに対する裏切りとなる。そこまでのリスクを伴う決断を行うメーカーが現れるのか、は現時点では解らない。が、全ての契約や約束は個々の事情により簡単に破棄されてしまう。そうしてF1が現在まで歩んで来たのは事実であり、この1年間でホンダ/富士スピードウェイ、そしてBMWがそれを実行した。ただそれだけのことなのだ。

「企業として、今回の決定は理解出来るものだ」
’09年7月29日@BMW撤退会見/マリオ・タイセン

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