F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年7月28日  FORZA FELIPE SIAMO CON TE

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

FORZA FELIPE SIAMO CON TE

誰もが最悪の事態を覚悟した。タイヤ・バリアにノーズから突き刺さるフェラーリF60、ピクリともしない黄色いヘルメット、ステアリングを切る仕草もないままコーナーを直進し、衝突後もエンジンが停止しない車載映像。現場を見るなり手をクロスさせ「ダメだ」のアピールをするマーシャル、駆け付けるメディカル・カー、そして、現場の全ての様子がスイッチャーによってテレビ中継から外される。

’09年第10戦ハンガリーGP予選。Q2終了直前、ターン4でフェラーリのフェリペ・マッサがクラッシュ。マッサはマシンから自力で脱出出来ず、コックピット内で項垂れたまま動かない。数分後、マッサはメディカル・スタッフによって慎重にマシンから降ろされた。マッサ自身の意識があるのか、この時点では最悪の事態を予想した中継スタッフの判断でテレビ画面では解らない。生放送で中継スタッフがこのような処置を取る際は、単的に言って”放送出来ない惨事”の疑いがある場合である。少なくとも、マシン前部がタイヤ・バリアに埋もれ、ドライバーも動かない状況では死亡事故の疑いが持たれる。よって、ここからはFIAの公式な発表を待つ以外、第三者には事態が掴むことが出来なくなる。その後マッサは救急車でメディカル・センターに運ばれ、予選Q3が20分遅れでスタートした頃にヘリコプターでハンガリーの首都、ブタペスト市内にあるAEK陸軍病院へと搬送された。この時点で初めて中継に、グランプリに同行していた弟のエデュアルドに見守られながら、ストレッチャーに横たわり左手で頭部を抑えるマッサの録画映像が映し出され、少なくとも最悪の事態は免れていたことが確認出来た。とは言え、状況が解らないことに変わりはないので安心は出来ない。同時に、マッサがサーキットを離れて病院へ向った時点で、全ての情報は公式発表待ちとなる。

やがて、車載映像のスロー再生などによって、マッサの身にいったい何が起きたのかが明らかになって行く。
ターン3を抜けて短いストレートに入った時、前方には一足先にターン4を曲がって行くルーベンス・バリチェロのブラウンGP・メルセデスの後ろ姿が一瞬見えた。数秒後、マッサのマシン前方からコース上を小さい”何か”が飛んで来る。その”何か”は時速260kmで走行中のマッサのコックピット・プロテクター左内側とヘルメット左側を直撃。その瞬間、その何かが後方へと弾け、マッサの頭部は大きく後方へ揺れ、続いて前方へ項垂れる。両手はステアリングを握っているが、クラッシュ直前は殆ど手を添えているだけの状態となる。
“何か”が衝突した瞬間、マッサは気を失ったのである。それでもとっさにブレーキを踏んだのか、衝突後のターン4手前にはマッサのタイヤのブラック・マークが連続して残っていた。それでも衝突時の速度は時速約100kmだった。マッサの右足はアクセル、左足はブレーキのペダル上にあり、気を失っていたマッサは両足のペダル共に踏み込んでいる状態だった。バリアへの衝突後もフル・スロットルだった理由はこれである。ピットでは、無線の呼びかけに応じないマッサを呆然と待つロブ・スメドレイと、心配そうにモニターを見つめるフェラーリのチーム・クルー達の姿が映し出される。各チーム間でも情報交換が行われ、FIA技術委員がマクラーレンのマーティン・ウィトマーシュに「頭に何かが当たったらしい」と報告する姿が映し出される。当初は鳥との衝突が疑われた。事実、’60年代にはレース中に鳥が直撃してアラン・ステイシー(ロータス)が死亡する事故があり、自然の中にあるサーキットで野生動物との衝突はそう珍しいことではない。前年’08年バレンシアのヨーロッパGP予選でネルソン・ピケJr(ルノー)が鳥と衝突している(衝突箇所がタイヤだったためマシン/ドライバーへのダメージはなかった)。が、ほどなくブラウンGPのピットでジェンソン・バトン車のリア部を眺めるロス・ブラウンと、ターン3でパーツを撒き散らすバリチェロ車の映像が流され、徐々にパズルのピースが埋まって行った。

…..”何か”の正体は、前を走っていたバリチェロのブラウンBGP001から脱落した800グラムのサスペンション・パーツだった。バリチェロのマシンはターン3を過ぎたところでリア・セクションで何かが破裂、コース上にパーツを散乱させていた。その僅か4秒後に現場に差し掛かったのがマッサであった。この際のマッサ車の速度が162マイル(約260km)だったということは、前方から弾け飛んで来た重さ1kg弱の物体との衝突速度は時速300km近い、ということになる。が、現在のところ完全な直撃ではなく、コックピット左内側に当たり、跳ね返ってマッサのヘルメット左側に当たった、という見方が強い。そこで多少なりとも衝撃が緩和されていたなら幸いではあるが、それでもサスペンション・パーツは2005年に導入されたカーボン・ファイバー製のヘルメットのバイザーを突き破り、マッサの前頭部に激突してしまった。ヘルメットは壊れ、マッサの左目の上に大きな裂傷が出来ているのが救出時の写真で確認出来る。が、右目をしっかりと見開いていることから、救出時に意識があったことも解った。救いなのは、クラッシュに供えて身体が硬直しなかったせいか、首から下に大きな怪我がなかったことである。
マッサはターン4のエイペックスの内側を直進、車載映像を見る限り、眼の前に迫るタイヤ・バリアを避ける/恐れる素振りすら見せずにそのまま直進した。考えられることはふたつ、マシンが制御不能になったか、マッサ自身が気づいていないか、のどちらかである。そして、その原因は後者であった。マッサはパーツの衝突で気を失い、主のいないモンスター・マシンは、そのまま行ってはいけない方向へと走り続けたのである。
事故後、FIAの技術委員がブラウンGPのピットを訪れ、バトン車のリア・サスペンション付近のチェックを始める。バリチェロのマシンに起きたトラブルと同様の事態が、チーム・メイトで同じマシンに乗るバトンに起きないとは限らないからである。結局何事もなかったが、バトンはこれによって予選Q3後半しか走ることが出来ず、予選8番手に留まった。
決勝レースを前に、マッサの容態について発表が行われた。マッサはこの事故で頭蓋骨骨折と脳震盪を起こし、手術を行った後に集中治療室で麻酔によって眠らされており、経過は良好。が、どの程度の怪我で、いったい治療にどの程度の期間を要し、そしてどうなるのか、という部分に関しては当然語られることはない。
今我々が心配しているのは、彼の後遺症や家族のことである。決勝レース翌日の27日、F1帯同ドクターであるゲイリー・ハートスタインは「回復の度合いに関して語るには少なくとも数週間は必要」とし、マッサの手術を担当したロベルト・ベレス医師は「左目を損傷しているが、その度合いは容態が落ち着くまで解らない」とコメント。ハンガリー国防省からは「受動的なコミュニケーションは可能/話しかければ身体を動かす。つまり、脳への損傷は楽観的で、ゆっくりとした回復へ向っている兆候である」とのコメントが出された。…..医学的に”安心”材料となるこれらの言葉が、アグレッシヴなドライビングを魅せるF1ドライバーの未来とどう繋がるのか、この時点では誰にも解らない。

7月19日、往年の名ドライバー/元ワールド・チャンピオン、ジョン・サーティースを父に持つF2ドライバー、ヘンリー・サーティースがブランズハッチでのレース中に他のマシンから外れたタイヤで頭部を強打し、即死した。マッサの事故から僅か1週間前のことである。
オープン・ホイール/フォーミュラ・カーのドライバーは丸腰である。頭部/頸部を守るために開発されたHANSやサイド・プロテクターなどによって可能な限り”剥き出し部分”の保護が行われてはいるものの、当然ながらハコ車に比べて危険度は高い。今回の事故を受けて、FOTAのF1技術委員長であるブラウンGP代表、ロス・ブラウンは「このような事故は極めて珍しいケースだろうが、我々は対策を考えなくてはならない」と訴えた。「これまでもドライバー保護のためにカバーやキャノピーなどの提案は行われて来た。だが、そうなればドライバーの緊急脱出が困難になるし、上から崩壊して来るケースもある」と、単純には解決出来ないことを認めた。現状、ドライバー保護のためのHANSやプロテクター、ロール・バーなどは上手く機能していると言える。ヘルメットも同様に日々進歩を重ね、アイルトン・セナの事故の起きた15年前に比べて非常に頑丈になった。しかし、今回マッサの被っていたシューベルト製のヘルメットのバイザーが防弾使用だったにも関わらず、このような事故になってしまったのも事実である。

今回、”もうひとりの当事者”であるバリチェロも動揺を隠せずにいた。「僕のマシンのパーツが原因だからというよりも、友人としてフェリペが心配なんだ」マッサと同郷のバリチェロは、’94年サンマリノGPで大クラッシュした際、心配して見舞ってくれた同郷の先輩、セナのことを忘れていない。セナはその2日後、帰らぬ人となった。バリチェロは事故直後にメディカル・センターへマッサを見舞いに行った。「彼は意識があり、とても動揺していたので眠らせる必要があった。でも、本人が状況を把握しているとは言い難い状態だった」特に頭部の損傷は致命的なものになる可能性を持っている。

多くのドライバー仲間、チーム関係者がマッサを心配している。現在マッサの父ルイス・アントニオ、母アナ・エレーナ、マッサの主治医であるディノ・アルトマン、そしてフェラーリ社長ルカ・ディ・モンテツェモーロらも病院に駆けつけ、マッサに付き添っている。そして忘れてはいけない妻、ラファエラ…..。そう、フェリペ、君は11月に父親になるんだ。必ず元気な姿で帰って来てくれ。

「これはメッセージ(警告)なんだ。最初が’94年イモラで、今回はふたつ目のメッセージなんだよ」@’09年ハンガリーGP/ルーベンス・バリチェロ

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