『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。
[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。
[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己
タラレバ伝説vol.01
「あ〜あ、あの時〜〜だったらなあ…..」
ま、何もモーター・スポーツに限ったハナシではないのだが、特にこのジャンルには機械的なトラブルがある分”タラレバ禁物”の風潮が存在する。従って、専門誌や実況などでもあまりしつこく触れられることはない。言ってしまえばプロにとっては”タブー”。
が、オーディエンスは無責任。プロに代わり、タチの悪いオーディエンスを代表してオレが言っちゃい、そして分析しちゃいマス!。ちゅうワケでスクーデリア・一方通行、シリーズモノその1は”タラレバ伝説”。第1回のお題は…..
・もしもホンダがF1撤退してなかったら
前回紹介した、ホンダ改めブラウンGPの歴史的偉業。突然母体である巨大メーカーに放り出され、予算も少ないプライヴェーターのチームがいきなりシーズンを1-2でスタートする(それも前年の成績は散々)なんてことがそうそうあるモンじゃない。で、実際このチームは開幕目前までテストも出来ず、トップ・チームがどんどん開発を進める中、ようやく決まったエンジン載っけてタイヤが転がるのを確認したらいきなり本番、という流れ。長いグランプリの歴史の中で、このケースは大抵予選最後尾常連か、完走もままならずライバルよりも前に信頼性と闘うハメになる。
ポイントはホンダが’08年シーズンを棒に振って翌’09年用マシンの開発に力を入れていたこと。現行レギュレーションの中で既に取り返しの付かない遅れを自覚し、大幅な規定変更の際に照準を絞ることでチャレンジングな開発が可能だった、ってのは前回紹介した通り。で、チームの技術陣/現場の知らないトコで”親会社”の決定は行われ、”寝耳に水”の制作サイドは泣く泣くその”傑作”を手放すこととなる。それをたったの1ポンドで購入したロス・ブラウンが最低限かそれ以下のテスト(と言うよりも動作確認に近いかも)量で実戦を迎え、そして出た結果が歴史的な1-2勝利だったのである。
では、もしもホンダがF1から撤退せず、BGP001(ってかホンダRA109)に他チーム同様の開発を冬の間に行っていたら結果はどうだったのか。
まず大きな違いとして、BGP001に搭載されているエンジンは予定されていたホンダではなくメルセデスであるという事実がある。ぶっちゃけ、シャシーを造る側にとっては致命的な状況である。何故ならサイズ/重量を含め、ニュー・シャシーの開発にはエンジンのサイズが決まっていることが大前提だからだ。近年はレギュレーション変更により全てがV8エンジンに統一され、さほどのサイズ差のない時代となったが、それでもエンジンをシャシーにマウントする際にはちょっとした差が命取りになる。が、’08年にルイス・ハミルトンを初の世界王者にした最強エンジンは、その搭載に於けるデメリットを補って余り有るパワーを持っていた。ホンダとメルセデスの数十馬力と言われる差を埋めた結果、ホンダ製のニュー・シャシーは’08年になかった”スピード”を得たのである。
次に、この誰もが新しい空力規定やスリック・タイヤの復活などの新レギュレーションの中で模索する中、ホンダはコンサバティヴ、つまり素直なマシン設計/開発を行ったこと。マシンの外観を見ても解る通り、フロント/リアのウイングのサイズが変わりますよ、と言われて素直に「ハイハイ、こうですね?」と造った感じの、実にシンプルなマシンである。ただし後部ディフューザーは別で、新レギュレーションの解釈を”上手くやった”攻めの姿勢が功を奏した。”何かに特化したコンサバなマシン”は、ライバルの「もっと、もっと」を尻目に当初のコンセプトを失わぬままコースに出て、そして結果を出したというワケだ。
ってことは、ここにもしもホンダが資金を投入して開発を行うとしたら、現状のマシンの何かが変更になり、マシンの素性はまた違ったものになっていただろう。当然ながらテストでの他チームのデータは刺激となり、本来そこで切磋琢磨するのがレーシングだからだ。加えて、HRF1というレーシング・チームと技術者、更には本社の思惑などが絡み合って、本来のマシン開発コンセプトが動じないとも限らない。所謂”迷走”である。ただでさえブラウン/ニック・フライとホンダ自体の不協和音はかねてから大きな問題となっていた。よって、同じように開幕1-2、4戦3勝で09年シーズンを迎えられたとは限らないのである。
ただし、ホンダがいないことでこの先の”開発資金の保証”と言う点は間違いなくブラウンGPの不安要素である。ヴァージン・グループがどれだけ彼等をスポンサードしようと、ホンダの会社の命運を握るほどの資金と同等の額が保証されるわけではなく、この先ライバル達が性能差を詰めて来た際に、ブラウンGPに逃げ切るだけの力があるとは思えない。今得た大金はチームの運営費と消え、少なくとも’09年シーズン中は参戦が保証される、という程度の額だからだ。’10年にはまたも大幅な予算制限が行われるが、今シーズンのブラウンにとっては1戦1戦が正念場なのである。
というワケで、仮にホンダが潤沢な資金を投入してチーム運営を続けていたとしても、同じように開幕からカッ飛ばせたかどうかは解らないのである。いやむしろ、スタッフ間で当初のコンセプトが揺らぎ、いつもの迷走に入っていた可能性は高い。少なくとも、ドライバーのひとりは”ド新人”のブルーノ・セナ、コース上で最も熟したコンビであるジェンソン・バトン/ルーベンス・バリチェロの堅実な走りとは違ったものになっていた筈である。
吉か凶か、はシーズンが終わってみなければ解らないが、少なくとも生みの親・ホンダをあのタイミングで失ったことで、この歴史的瞬間は演出されたのだ。
ホンダがF1撤退を発表したのは’08年12月5日。「国際的な金融危機により、経営資源の効率的な再分配が必要」(福井威夫社長)、つまり効率のよろしくナイF1が切られた、ということ。その後スズキ/スバル/ダイハツ/カワサキなどが相次いでレース活動を撤退/自粛することが発表され、ホンダは伝統の鈴鹿8耐までも切ってしまった。”金のかかる宣伝活動”であるモーター・スポーツ、それだけ’08年からの金融危機が急激且つ深刻であることを物語っている。
この件に関しては多くの媒体であれこれと論議されたが、少なくともブラウンGPが発足した’09年3月期のトヨタ/日産らが数千億円の営業損失(見込み)だったのに対し、ホンダは1400億円の営業利益を生み出している。この数字ひとつ見ても、メーカーが最も重要視する”顧客への信頼度”が現れており、看板とも言えるF1を撤退してでも、会社の未来を考え、社員を守り、良い車を提供する、という大命題を果たそうとする姿勢が見て取れる。苦しい時も頑張って、その先の勝利をつかむ、は確かに理想だが、近年の経済状況はその限度を超えていた。美談を取るか未来を取るか。ホンダの決断は後者であった。
が、ホンダがF1を休止でなく撤退した、という事実がファンに齎すイメージはとても大きい。そこで皆が考えるのが「オヤジさん(創業者・本田宗一郎)が生きてたらどうしただろう」である。
かねてから言われ続けて来たのが「ホンダF1の一番エライ人は誰なの?」という部分。存命中の本田宗一郎は言うに及ばず、第1期(1964〜1968年)、第2期(1983〜1992年)には中村良夫/桜井淑敏/後藤治らの監督、及び川本信彦第四代社長らの顔が浮かぶ。が、2000年からの第3期F1活動に於いて、カリスマ的に”ホンダの顔”となった人はおらず、そのトップ交代劇も激しい。第3期は明らかに”第2期の栄光を追い求めた見切り復帰”であり、確たるコンセプトも持たぬまま、無限を使ってF1の進化にしがみつこうとした結果が、僅か1勝(2006年ハンガリーGP)という数字に表れてしまっている。皮肉にも、8年間の第3期の中で最高傑作と称されるマシンであるRA109を残し、彼等はF1を去ることとなった。
’08年シーズンを終え、福井威夫社長は責任を取った。6月より新社長となる伊藤孝紳氏はF1撤退について「まあ、今は世界が風邪をひいちゃってるからね」とコメントし、あくまでも経済状況が優先されることを強調。が、言葉の受け取り方次第では「状況が好転すれば再考」とも読める。NSXで本田宗一郎を唸らせた伊藤が、この先ホンダをどう導いて行くのか。
2010年からF1チームの年間予算が4000万ポンド(約59億円)に制限される。これは世界的金融危機だけでなく、それによってホンダという一角を失ったFIAの決断により導入へ向けて急加速している案であり、今後もコスト削減に向けての加速は止まないだろう。事実、それを受けて新規参入を目論むチームが既に3つ存在する。ホンダはいつ戻って来るのか、それとも戻って来ないのか、その時現存のメーカーはF1にいったいいくつ残っているのか。
少なくとも「撤退しなければ今年チャンピオンだったろうに」という意見に根拠は「ない」。巨大メーカーの苦悩と、プライヴェート・チームの明確な方向性は、いつもF1グランプリを面白くして来てくれたから。
「ホンダは悔やんでいるよ」’09年4月/ロス・ブラウン