『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。
[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。
[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己
タチの悪いご挨拶
STINGER、そしてSTINGER VILLAGEへようこそ!。
“スクーデリア・一方通行”、なにしろ初回、まずは自己紹介しなきゃね。
“タチの悪いF1マニア音楽家”こと加瀬竜哉は、ミュージシャン/音楽プロデューサー/ミュージック・オペレーター。歌い、楽器を演奏し、作曲やアレンジを行い、音楽制作を糧としています。1964年生まれ、現在44歳。初めてF1を観たのは’76年富士のグランド・スタンド。そこでタイレルP-34にヤラレて33年経過。
’02〜’05年まで、web上でno race, no lifeというモーターレーシング・コラムを連載。ただ、当時やってたバンドのサイト内にある隠しコンテンツだったため、バンド解散と共に終了。でもおかげさまでナカナカの人気があって、自動車雑誌等で有名な某出版社さんから単行本化のオファーが来たりもした(丁重にお断りしちゃったケド)。
で、終了直後に”元GPXの編集長”を名乗る人からメールが来た。もちろんGPXは毎号買ってた。だからこそ最初は信じなかった(爆)。で、何かと思ったら「遊ぼうよ」…..。
しかも初対面からいきなり「いや〜、コラム読んだよ。君、バカだね」…..山ちゃんとの出逢いはこんな感じ。初めて山ちゃんの部屋へお邪魔させて頂いた時「うわ、オレの部屋そっくり」と思ったのを覚えてる(爆)。膨大な本/ビデオ/モデル・カー。あの時「ああ、オレってけっこうなマニアだったんだ」とようやく我を知ったっけ…..。
山ちゃんには2006年、オレの”club・加瀬コム“というイベントで「日本のF1をどう盛り上げるか!?」なんて対談(という名称の雑談)をやらせて頂いた。”the業界対決”にお邪魔させて頂いたこともあるし、ま…..最初のお誘い通り”遊んでる”ワケですな。
no race, no life終了から既に4年半。そんだけ時間が流れりゃ当然知らない人もいるワケで、今回STINGER VILLAGEの村民のひとりとしてお呼び頂いたからには、”F1マニアとしてのオレ”をちょいと知っておいて貰わなきゃ(近頃は”暗渠熱中人“のイメージの方が強いんでね/笑)。
…..長いよ(爆)。
no race, no life、2年半の間に書いたコラムは全部で119本、新旧のチームやドライバーの紹介、グランプリの歴史、トピックスの解析などに加え、たまに”仮想・F1シンジュク・グランプリ“とか”F1すごろく(もちろんオリジナル!)”とか…..今考えりゃよくもまあこんだけネタがあったな、と自分でも思う。中でも”記憶に残る名ドライバー”/”名車誕生の舞台裏”の両シリーズは好評頂いた。他にマシン・デザイナーやチーム・オーナーなんかの生い立ちから現在、なんてのもあって、確かにロビン・ハードだのブライアン・ハートだの生い立ちが書いてあるサイトなんかそうそうネエわな、というワケで今でも検索でいらっしゃる方が大勢(感謝)。現在”よりぬきno race, no life“として、119本の内のいくつかを、相変わらず隠しコンテンツとして公開中です(…..)。
インターネットと言うカテゴリーには情報が溢れている。画像や動画を含め、何でも”情報”として簡単に知る/手に入れることが出来る便利なツール。でも、知ることは出来ても感じることは出来ない。特にレースがそう。…..あの風景、あの風、あの熱さは、サーキットでなければ感じることが出来ない。TV中継でさえ、カメラはマシンを追ってパンする。ぶっちゃけ、スポンサー・ロゴや看板が良く見えるように映すから。例えば時速80kmで走行する乗用車を運転/同乗の際、「これがF1のピット・レーンのスピード・リミッター作動中と同じスピードなのか!」と思って乗ってみると、実はTVに映ってるF1マシンがとんでもないスピードなのが解る。その究極がサーキットへ出向くことであり、むしろ想像することで「ナマで観てみたい!」と思って頂けたら幸い。
web上で誰でも使える”レイアウト”という遊びを一切使わず、文章と想像力が信条。コレ、”歌と演奏で絵を浮かばせる”音楽と一緒。ちょっと情報を目にすると「ソースは?」とすぐに聞く人がいる。
「オレはウスターより中濃が好きだ」
では、オレの信条。
・掘り下げる
例えばタイレルP-34なら、何故6輪車なのか、何故必要だったのか、誰が考えて、その人はどんな生い立ち/経歴で、そしてそのマシンはどんな風に生まれたのか。どんなフォルムで、どんな特徴的な走りで、どんなドライバーが乗って、どんな成績だったのか。更にその後その発想はどうなったのか、作った人は今何してんのか、そしてオレは何故取り上げたのか…..。
「’76年に登場したF1史上初の6輪マシン」ひとことで言えばたったそれだけのことを、その数百倍の文字列で、気が済むまで書く。
・「昔は良かった/今の若いもんは〜」が大嫌い
「あの頃は良かった」と言ってしまうのは簡単。が、それは同時に現在を否定する。10年前を懐かしむ人は、その当時に更に10年前を懐かしんでいた人の存在を知るべきだ。同時に、10年後には今を懐かしむ人がいる。ハマキ型にはハマキ型の、ウィング・カーにはウィング・カーの、ターボにはターボの、アクティヴ・サスにはアクティヴ・サスの良さがある。
ファンジオ/クラーク/ラウダ/セナ/シューマッハー…..それぞれが違う時代を生きた。ロッカーの筆者にとっては’70年代ハード・ロック/’80年代ヘヴィ・メタル/’90年代グランジ/’00年代ミクスチャー、と同じ意味あい。それぞれにそれぞれの時代背景があり、そこにはいつもワクワクする瞬間があった。
一斉にスタートするマシン群がサーキットに響き渡らせるあのサウンドは、レコードと言うカテゴリーがアナログ・ディスクからCDとなり、そして誰もがダウン・ロード・ファイルをiPodに入れて持ち歩けるようになっても、マイクから入った音を巨大なスピーカー・システムに送り、爆音と共にドラマティックにスタートするライヴの魅力が不変なのとなんら変わらない。オレが今まで続いて来れたのは「いつだって良かった」から。
・断言する
確信を持っていることは「〜である」、そうでないものは「わからない」、これがオレの大原則。
オレは政治家や評論家等が良く使う「〜は如何なものか」と言う言葉が大嫌い。「好き」「嫌い」こんな単純なことが何故言えない?。オレは言うぞ!。もし間違ってたら…..なるべく謝る(ダメじゃん)。
オレはRock’n’rollerである。したがって、”癒着”とか”圧力”とかが大嫌い(それ故、敵を作る事も少なくナイ)。また、「こんなの常識。そんなことも知らないの?」みたいな態度もクソ食らえ。オレだって、ロニー・ピーターソンはリアル・タイムで知ってるけどジム・クラークはもういなかった。だけど知りたい。だから調べる。だから掘り下げる。…..オレがThe Beatlesを好きになった時、ジョンはもうこの世にいなかったから。
・捉え方
レースをドライバーのスポーツとしての競技としてだけでなく、”レギュレーション”と言う名のスポーツマン・シップに則ったチーム/メーカー/技術者達の開発競争として捉える。
スケッチ・ブック/3D・CAD、風洞/ガム・テープ、KERS/スパナ、FIA会長/コース・マーシャル…..。全てに理由があり、そして全てにドラマがある。その集大成がレースであり、グランプリと言う名のイベント/シリーズ全てに目を向ける。
もちろん、チャンピオン争いは面白い。が、この世界最高レベルのイベントで、オレが最も魅力的に感じること、それは”マジック”。それまでの戦績/状況を考えたらあり得ないようなチーム/ドライバーが、とある条件が合致した際に発揮するサプライズ。
タイヤ6個付けて周りにバカ呼ばわりされつつ勝ってみせたタイレルP-34、前戦で2台とも予選落ちした筈のレイトンハウス・マーチの1-2走行、新興ブリヂストン・タイヤを武器に勝利まであと一歩だったアロウズ・ヤマハ、そしてあの”ミナルディ”をポール・トゥ・ウィンさせた史上最年少ウィナー、セバスチャン・ベッテル…..。
’09年シーズンは早速ろくにテストもやってないブラウンGPの1-2なんていうサプライズで幕開け。コレがたまらない!。津川哲夫氏が言っていた。「小さなチームがデカイところをやっつける、コレが最高!」全く同感。’90年フェニックスのケン・ティレルの笑顔、アレでご飯3杯イケる!。
…..まだ続きます(爆)。
かつて、某書籍メーカーの文庫本販売キャッチ・コピーに”想像力と数百円”と言う表現があった。…..良い言葉だね。
本には、字しかない。風景、状況、顔、温度。全ては作者の表現と受け取る側の想像/解釈。本を読みながら時折目を閉じ「う〜ん、丁度こんな感じだろうなあ」または「うわー、どんな状態なんだろう」と考える。”想像”、それは人間が考えた歴史上最も尊い仕組みだと思う。
人類の進化は、すなわち文化の発展。言葉→絵→象形文字→文字→写真→映像。携帯電話で動画が見られる現在、誰もが目の前の”証拠”を観て納得/安心する。でもそれは誰かの”設定”によるアングルでしかなく、リアルとは別次元のもの。それどころか、レースの本当の意味でのリアルはレーシング・ドライバー本人にしか解らない。前述のF1のピット・レーンの走行速度を実体験した際の衝撃が良い例。
少なくとも、オレはそれこそ山ちゃんのような人の文章を読んで胸ときめかせ、そしてサーキットで「…..ホントだー…..いや、もっとスゲエぞ、こりゃ!」と感動したクチ。きっと彼等のようなプロフェッショナルはもっと少ない情報量で伝えることが出来るけど、オレは凡人なので「ゼェゼェ…..これだけ言やあ解って貰えっか?」と言う量を書くしかナイ。だから書く。書いて、読んで、想像して、そして確かめに行く。で、いっぺん観たら病み付き!。
…..と言うワケで、”スクーデリア・一方通行”、記念すべき第1回は見る側にとっては最もメイワクな”オレの紹介”で終わってしまった。
STINGER VILLAGEには素晴らしい面々がお揃い。正直、こんなトコへオレが入ってイイのか解らない。が、元よりロッカーであるオレの役目は”ハミ出す”こと!。これからどれだけタチの悪い村民になるか…..乞うご期待!。
「文章、ヘタだよね」
-@西東京の書斎/山口正己(日本モータースポーツ研究所長)-
言ってない↑って(笑)←(本人)
い〜や、言った!。