F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年11月2日  何処より速いシーズン総括

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

何処より速いシーズン総括

全17戦、長い’09年チャンピオンシップが遂に閉幕した。歴史的な偉業、眼を覆うような事故、興味深い人事…..今季も多くのトピックスを我々に与えてくれたF1世界選手権、最終戦アブダビGPが終わったばかりにも関わらず、気の早いオレはその熱の冷めないウチにこうして書いてしまうのであった…..no race, no life時代からの名物(?)、筆者なりのシーズン総括。

・各コンストラクター別総括

□ブラウンGP/コンストラクターズ選手権1位(172点)
結局、なんだかんだ言ったところで彼らのやったことは”完璧”だった。ホンダの突然の撤退、マネジメント・バイアウト、メルセデス・ベンツ・エンジン搭載、合同テストでのトップ・タイム連発…..そして開幕戦での1-2フィニッシュ。我々は歴史の目撃者となった。近代F1に於いて、前年の選手権順位が8位(スーパー・アグリ途中撤退とマクラーレンのポイント剥奪による8位であり、実質的には10位相当)のチームから巨大資本が”逃亡”し、残ったメンバーがシーズン開幕直前にようやくタイヤが転がったようなマシンをダブル・タイトル獲得へ結びつけることなど、常識では考えられない。それをやってのけたブラウンGPは文句なく、今季のベスト・チームに値する。
逃亡者・ホンダの置き土産であるBGP001は素性/構造のいずれに於いても完璧な状態でシーズンをスタートした。KERS非搭載/ダブル・ディフューザー仕様は今季のスタートに向けて完全な”勝者”を意味する。慌てたトップ・チーム達が告発の裏でそのコンセプトを真似し始めた頃には時既に遅く、前半7戦の貯金を上手くコントロールして最後までリードを守り切った。ロス・ブラウンは”出来そうもない無謀な挑戦”をいったいいくつ成し遂げて来たのか。但し’09年のダブル・タイトルがホンダの潤沢な資金によるBGP001開発から来る功績であることは否めず、’10年にこの強さを維持出来るのかは不透明。両ドライバーはGJと言って良い。バトンは自身初のタイトル獲得、最終戦でようやくプレッシャーから解き放たれた快走を見せ、久々の3位表彰台。1年間を”完璧”に締めくくった。

□レッド・ブル/コンストラクターズ選手権2位(153.5点)
当たり前だが、もしもブラウンGPのサプライズな参戦〜活躍がなければダブル・タイトルは彼らのものだった。チーム在籍4年目となるエイドリアン・ニューウィーのRB5はレッド・ブルを確実に勝利を狙えるチームへと導き、あと少しでブラウンGPを脅かすところまで来た。むしろ逆に、レッド・ブルとしては今季ここまで強いライバルが存在することを想定していなかっただろう。それほどまでに彼らの速さは際立っていた。残念だったのはルノー・エンジンのトラブル多発により、多くのポイント・チャンスを失ったこと。今季のエンジン使用制限数レギュレーションにも振り回され、シーズン前半にライバル・ブラウンGPの独走を許す形となってしまったのが最大の敗因。実際、ヴェッテルがポール・ポジション5回/4勝、マーク・ウェバーがポール・ポジション1回/2勝と、合わせれば予選トップ6回/6勝となり、ポール・ポジション獲得回数はブラウンGPを上回っている。では両チームの決定的な差は何だったかと言えばリタイア数である。ヴェッテルはリタイア3回/無得点2回、ウェバーはリタイア2回/無得点5回。速さは持ちながら、強さに結びつかなかったのが今季のレッド・ブル躍進の裏の、唯一の欠点だった。しかし最終戦アブダビでの1-2は、確実に来季彼らが選手権をリードするアドバンテージを有していることを証明している。

□マクラーレン/コンストラクターズ選手権3位(71点)
ロン・デニスが秘蔵っ子のルイス・ハミルトンの王座獲得を見届けて勇退し、マーティン・ウィトマーシュ体制1年目となったマクラーレンはフェラーリ同様厳しい選手権スタートとなった。開幕戦オーストラリアでハミルトンがセーフティ・カー導入時の動きと、その調査に於けるFIAへの供述でディレクターのデビッド・ライアンの指示で事実とは異なる証言を行ったために失格、これでライアンはチームを去る。つまらないミスでスタート・ダッシュをくじかれたマクラーレンMP4-24は迷走、ダーク・ホース・チームの先行を横目で見るしかなかった。しかしシーズン折り返しの第9戦ドイツGP頃からマシンのモディファイが進むと、徐々にハミルトンが本来の速さを見せ始め、結果第10戦ハンガリー、第14戦シンガポールと勝利。結果ラスト7戦で4ポール・ポジション/2勝の活躍。反面チーム・メイトのヘイキ・コヴァライネンは王者の影で低迷し、表彰台フィニッシュゼロ。今季いっぱいでのチーム離脱が決定してしまった。
しかしシーズン中にマシン開発の遅れを取り戻すという、名門ならではの流れは流石だった。往年のライバルであるフェラーリが早期に今季のタイトル争いを諦め、丁度同じ時期に’09年型車のモディファイを諦めたのを見た上で差をつけて見せた。この差が来季のマシン開発に出るのかは解らないが、コース上のでのテストが出来ない状況の中、前半戦最高位4位のマシンを勝利に導くのはプロ中のプロの成せる業だった。

□フェラーリ/コンストラクターズ選手権4位(70点)
何もかもが思い通りにならない、チグハグなシーズンを送ってしまったフェラーリ。開幕からKERSとディフューザー問題に絡み新車F60のの出遅れが重大な問題となり、大金を注ぎ込んでようやく勝利を掴めるところまで進化して来た頃には、昨年タイトルを争ったフェリペ・マッサが第10戦ハンガリーGPでの怪我で戦線離脱。代わりに10年振りのF1ドライヴとなったテスト・ドライバーのルカ・バドエルの成績は散々、更にバドエルと交代した名手ジャンカルロ・フィジケラをもってしても、フェラーリF60は操縦困難な特殊なマシンだった。そんな状況で勝利してみせたキミ・ライコネンはさすがだが、’10年のフェルナンド・アロンソ獲得劇の裏で’07年王者のライコネンを手放す決断はマラネロらしい出来事。シーズン中に”今季のマシン開発は途中終了宣言”を出し、アロンソ/マッサのコンビとなる’10年用新車の開発に力を入れたのは、今季のブラウンGPの活躍を見たからに他ならない。
若きチーム・リーダー、ステファノ・ドメニカリの采配はまだ磨きを掛けている最中であり、それだけトッド/ブラウン/シューマッハー時代が如何に強固な団結力に基づいていたかを物語る。結局今季最も課題となったのはサード・ドライバーの存在意義で、ろくにテストも出来ない現在のレギュレーションの中、既に現役を退いて10年となるバドエルを起用せざるを得なかったチーム体制が問われる。もっとも、フェラーリは新人育成機関ではない。あくまでも勝利を課せられた名門である以上、この問題は解決しそうにない。

□トヨタ/コンストラクターズ選手権5位(59.5点)
今年も未勝利コンストラクターのまま8年目のシーズンを終えたトヨタ。しかし今季は出だしからある程度新車開発の実りある速さを見せた。各トップ・チームがKERS/ディフューザー問題で揺れる中、第4戦バーレーン予選ではフロント・ロウを独占、このまま初勝利かと思われたがシーズン中盤にかけて徐々に低迷、更にFIA対FOTAの論争の中で今季いっぱいでのF1撤退が囁かれる中、富士スピードウェイでのF1開催中止を決定。トヨタ本社の役員会を待たずして来年度予算を決められないという状況を招いたが、第14戦シンガポール、第15戦鈴鹿での快走/2位に豊田章男社長も心から嬉しそうな笑顔を見せた。しかしその反面、ヤルノ・トゥルーリ/ティモ・グロックの両ドライバー共に来季の契約を行わないことがジョン・ハウェットの口から早期に明るみに出て、複雑な内情と先行きの不安は露呈してしまった。鈴鹿フリー走行デビューの小林可夢偉は第16戦ブラジルでの走りが多くのドライバーから”危険”と反感を買ってしまったが、最終戦アブダビではクリーン・ファイトで常に1ストップ勢のトップを快走し、デビュー僅か2戦目でトゥルーリを食って6位初入賞。海外メディアも可夢偉の能力を高く評価し、来季のドライバー人選が不透明なトヨタにとっては、非常に大きな要素となる筈である。

□BMWザウバー/コンストラクターズ選手権6位(36点)
昨年末のホンダ撤退発表以降「次は誰が?」と言われていた世界的不況の波の次なるターゲットはBMWだった。7月29日、今シーズンいっぱいでのF1からの撤退を発表。当然レース現場の多くが寝耳に水でこの報を聞き、一旦はチーム消滅の危機に瀕するも、マリオ・タイセン/ペーター・ザウバーらの”根っからレース屋”達は来季以降のチーム存続に手を尽くした。が、現状彼らは”14番目”のチームでしかなく、来季の参戦は不透明なまま。
今季、全チームの中で最もKERSを推進して来た彼らにとって、まずシーズン開幕からお目当てのKERSがまともに闘える状態ではなかったことも親会社の決断に繋がった筈で、昨年のカナダGPでのロベルト・クビサ/ニック・ハイドフェルドによる1-2フィニッシュが遠い過去のものに感じるシーズンとなってしまった。前半戦でハイドフェルド(第2戦マレーシア)がラッキーな2位、後半では第16戦ブラジルでクビサが”守りに入ったチャンピオン候補”を尻目にアグレッシヴに攻めて2位。結局最終年は未勝利のままF1を去ることとなってしまった。
既にクビサはルノー行きを決め、ハイドフェルドも残留という選択肢を持っていないと見られ、チームの将来には相変わらず暗雲が垂れ込めている。”BMWワークス”の挑戦は僅か4年/70戦で終わった。さよならBMW。ドイツの雄は静かにF1サーカスを去る。

□ウィリアムズ/コンストラクターズ選手権7位(34.5点)
参戦32年目を迎えた老舗・ウィリアムズは今季あらためて「我が道を行く」姿勢を高らかに宣言した。まずひとつはFIAとFOTAの激闘に於いて、全チームに先んじてFIA側の予算案/レギュレーションを受け入れ、参戦確約の署名を行ったこと。これによりウィリアムズは便宜上一旦はFOTAを離脱。続いてトヨタとの’10年までのエンジン供給契約を1年前倒しで破棄し、来季のコスワース使用を名言。更にBMWザウバーを巡る14チーム妥協案に於いても彼らだけがNoの姿勢を取った。トロ・ロッソやかつてのスーパー・アグリを巡る”オリジナル・コンストラクターのみがF1参戦資格を持つ”という議論に於いても、ウィリアムズはいつもそのポリシーに従って歩んで来た。
今季は全17戦中11入賞/リタイア1、という安定性を誇るニコ・ロズベルグに対し、フル参戦2年目の中嶋一貴は予選順位を挽回出来ずトップ10フィニッシュ僅かに2回/結局無得点と低迷。予選での”壁”の前に屈し、重い燃料で我慢のレースを強いられた一貴にも言い分はあるだろうが、ここまでチーム・メイトとの間に差が出来てしまっては言い訳も効かない。トヨタとの決別もあって、ウィリアムズ在籍最後のシーズンとなる。

□ルノー/コンストラクターズ選手権8位(26点)
例え今季のルノーがどれだけのパフォーマンスを繰り広げたとしても、ネルソン・ピケJr/フラビオ・ブリアトーレ/パット・シモンズによる”クラッシュ・ゲート事件“抜きに’09年シーズンを語ることは出来ないだろう。この事件によりブリアトーレはF1から追放され、シモンズは5年間のパドック立ち入り禁止処分を受け、チームは大口スポンサーであるINGをシーズン半ばにして失った。
ルノーの今季の最高成績は第10戦ハンガリーでのポール・ポジション獲得と第14戦シンガポールでの3位表彰台、いずれもエース、アロンソの仕事である。前半戦のチーム・メイトのピケJrと解雇後の代役であるロマン・グロージャンは共にノー・ポイント。そしてアロンソは日本GP前に来季のフェラーリ移籍を発表、途中デビューのグロージャンはブリアトーレの”置き土産”でしかなく、来季も引き続きルノーのレギュラー・シートを得るとは考え憎い。既に来季のクビサ獲得を発表しているが、大口スポンサー問題も含め、得るものは何もなかった/むしろ多くを失ったシーズンと言える。更に現在ルノーはクラッシュ・ゲート事件で2年間の”執行猶予期間中”でもあり、’10年以降のチーム運営に期待出来るとはお世辞にも言えない。

□フォース・インディア/コンストラクターズ選手権9位(13点)
何と言っても第12戦ベルギーGPでのフィジケラの快走に尽きる。特殊なハイ・スピード・サーキットであるスパ・フランコルシャンでメルセデス・エンジンを限界までブン回して獲ったポール・ポジションと、フィニッシュ・ライン直前まで続いたフェラーリ/ライコネンとのテール・トゥ・ノーズのバトルによる2位表彰台は称賛に値する。このレースを最後にフィジケラがフェラーリへと移籍したあともエイドリアン・スーティルが負けじと奮闘し、続く第13戦イタリアGP/モンツァでは最速ラップを樹立。その後もフォース・インディアは決して特殊なコースのみではなく何処でも安定した速さを見せ始め、メルセデス・ベンツ/マクラーレンとの提携も功を奏し、テール・エンダーからの脱却は果たしたかに見えた。しかし全チームが初レースとなる最終戦アブダビでの低迷が少々気にかかり、今後は年間を通じたマネージメント能力が問われる。

□トロ・ロッソ/コンストラクターズ選手権10位(8点)
昨年セバスチャン・ヴェッテルの手で、ミナルディ時代からの長き未勝利コンストラクターの記録を破り、堂々の中堅チームへの仲間入りを果たしたトロ・ロッソだが、問題は”兄貴分”にあたるレッド・ブルとのデータ交換/運営サポートが今後も可能なのか、それともデートリッヒ・マテシッツはFOTAの一員としてチームを売却するのかが未だ不透明なままなのがネックである。
今季の新車であるSTR04は昨年の勢いを保つことが出来ず、再び下位に低迷することが多くなった。ドライバーも新人揃いとなり、経験豊富なベテラン不在のまま、まさにレッド・ブルの新人育成チームとしての機能を果たすに留まっている。シーズン開幕前にはヴェッテルに代わるドライバー・オーディションに佐藤琢磨も参加したが、群を抜く速さを見せながらも経済的理由で参戦成らず。しかしレッド・ブル・グループの育成ドライバーであるセバスチャン・ブエミは初年度ながらシーズンを通じて速さを見せ、インディ・チャンピオンである先輩のセバスチャン・ブルデーを凌駕。そのブルデーの解雇劇は後味の悪いものだったが、後任となったハイメ・アルグエルスアリとブエミのコンビは確実に成長を見せたシーズンと言える。特にシーズン後半の若きエース、ブエミの成長は著しかった。しかしこのままトロ・ロッソがレッド・ブルのセカンド・チームであり続けられるかどうかはFOTA加盟全チームの承認にかかっている。

・’09年F1世界選手権/10大ニュース編

■第1位:ブラウンGPの歴史的偉業/バトン初タイトル獲得
文句ナシ。60年に及ぶF1世界選手権の歴史の中で、これほど衝撃的な開幕戦は観たことがない。’79年のリジェ(ジャック・ラフィー/パトリック・デパイエ)、’98年のマクラーレン(ミカ・ハッキネン/デビッド・クルサード)でもここまでの衝撃には及ばなかった。確かに潤沢な資金を誇るホンダの置き土産ではある。が、それを載せたばかりの他メーカー製エンジンで開幕数週間前にようやく動き始めたマシン/チームが出来る現実的な範囲を越えている。もちろんロス・ブラウン/ニック・フライにはそれだけの勝算があってこそのマネジメント・バイアウトだったのだろうが、Virginによる1戦ごとの安価スポンサー制と、資金カットで給与50%オフを受け入れたベテラン・ドライバーが成し遂げたという事実がこの結果を更に引き立たせる。開幕から7戦で6勝を挙げた29歳/10年目のベテラン、バトンは初のタイトル・プレッシャーにシーズン中盤から押しつぶされそうだったが、最終的には策士ロス・ブラウンのソツのない”年間計画”により無事タイトル獲得。全てに於いて流石が、と唸るしかなかった。
ホンダはどのような想いで観ていたか。無理してでもあと1年続けるべきだったと後悔しているのは想像に難くない。が、ホンダは口が裂けてもそうは言わないだろう。多くのホンダ・スタッフ達は今”エコロジー”というジャンルの中で「オレ達のクルマは速い/間違っていなかった」と、心の中で拳を握りしめている筈である。

■第2位:ルノー、クラッシュゲート事件が明るみに
近年、ふたりのドライバーによる”チーム・プレイ”はF1に於いてミハエル・シューマッハーを巡るチーム・オーダーによって問題視され、レース・ドライバーはコース上では明らかに”正々堂々と”闘わなくてはならなくなった。その風潮も一段落し、どちらかのドライバーが選手権を争う後半戦に於いてのみ、もう一方のドライバーの”アシスト”が公然と認められる状況となっていた。
そんな中で”チーム・メイトを勝たせるために意図的なクラッシュを強要された”というネルソン・ピケJrの告白はパドックに激震を走らせた。’08年第14戦シンガポールGPで、ピケは自身の契約を握るマネージャーでもあるブリアトーレとディレクターのシモンズからマシン撤去に手間のかかる位置でのクラッシュを周回数を指定の上で強要、軽い燃料を積んでピット作業を済ませたばかりのエース、アロンソが他車が一斉にピット・インする間にトップに立つ、というシナリオである。かくしてその作戦は上手く行き、アロンソは’08年初勝利を挙げた。
このまま当事者が黙っていればそのまま暗黙されたこの事実を、結局今季途中でチームを解雇されたピケがFIAに告発、ブリアトーレはシラを切ったがシモンズは「提案はピケ自身から」と苦し紛れに証言し、少なくとも意図的なクラッシュが事実だったという衝撃が世界中を駆け巡った。これによりルノーにとってチーム始まって以来のスキャンダルとなり、競争力向上どころではなくなった。事件発覚後の第14戦シンガポールGP/奇しくも問題のレースと同じ場所で3位となったアロンソは「このリザルトをブリアトーレに捧げる」と発言して更に問題となり、まだまだこの事件の余波は続きそうである。

■第3位:BMW撤退
昨年のリーマン・ブラザース破綻に端を発した世界不況の波は自動車業界を直撃し、F1からはまずホンダが撤退、パドックでは今季中にもう1〜2チームがF1を去るかも知れないという憶測が流れ、結局ドイツの雄・BMWがその決断をした。今季新投入のKERS最大推進派だったBMWはそのKERS開発で遅れを取り、マクラーレン/フェラーリの先行を許した。現状のチーム力と先行きを吟味した結果、BMW上層部は短期でのチーム力アップ〜タイトル獲得は不可能と判断、ようやくBMWワークスとして手に入れた昨年の第7戦カナダGPでの1-2勝利から僅か1年、長期的に見れば”ほんの一瞬の低迷”によって全てを失ってしまった。同時に、常にライバルとして来たドイツのもう一方の雄、メルセデス・ベンツに対しての完全な”白旗宣言”でもあり、眼の前に提示されたパジェット・キャップ案を以てしても、自動車業界の深刻な不況の前にはどうにもならなかったのである。
最終戦アブダビGPではクビサが”MANY THANKS TO BMW SAUBER F1 TEAM”とペイントされたヘルメットを使用。チームそのものの存続の可能性はまだ残されているが、そこにもうBMWはいない。

■第4位:FIA vs FOTA/バジェットキャップ案
「’10年シーズンからチームの年間予算の上限を4千万ポンド(約59億円)とする。それを守れるチームにはいくつかの特典があるが、守らないチームには規制を厳しくする」
この、FIAが発表した現状を考えればあまりにも突然で無茶な規定に反発したF1チーム連合、FOTA。彼らはテスト回数や年間を通じたエンジンやギア・ボックス使用量など、案を受け入れるチームとそうでないチームとで異なるレギュレーションが存在することに猛反発し、これまで年間数百億円を投資して来たトップ・チームが中心となって”F1からの離脱/新シリーズ立ち上げ”がブチ上げられた。もっともこうした争いは延々と続いているのだが、今回は世界的な不況下に於けるモーター・レーシングの在り方とも関連し、久々に深く長い論争となった。最終的に合意基準は”数年以内に’90年代初頭レベルに予算を下げることを目標とする”という曖昧なものとなったが、これにより’10年に新規参入するUSGP/カンポス/マノー、そしてBMWザウバーの撤退/コンコルド協定非署名により繰り上がりとなったロータスらの新規参入チームの参戦費用に負担がかかることも事実である。現状、この4チームが本当に’10年開幕戦のグリッドに着けるのかどうか、誰にも解らない。

■第5位:フェラーリ/マッサ長期離脱で混乱
たった800グラムの”デブリ(破片)”。それが、ひとりのレーシング・ドライバーを死の危機に晒してしまった。第10戦ハンガリーGP予選Q2、好調なマッサは最後のアタックの前のインスタレーション・ラップを刻んでいた。が、彼のフェラーリF60はターン4を曲がらず、そのままタイア・バリアに激突。前方でバリチェロのブラウンGPのマシンから飛んで来たパーツがマッサのヘルメットを直撃し、気を失ったマッサはそのままバリアに突っ込んだのである。マッサはヘリコプターで病院へと搬送され、頭蓋骨骨折の診断を受けた。
これにより、昨年最終戦までタイトルを争ったドライバーがレース現場からの長期離脱を余儀なくされたフェラーリは、急遽次戦からミハエル・シューマッハーの復帰を模索。しかしシューマッハーはバイクで負った首の怪我の影響で出場を断念。やむなく’99年のミナルディを最後にレース・ドライバーを退き、フェラーリのテスト・ドライバーとして10年間マシン開発に従事して来た38歳のルカ・バドエルを起用。しかしバドエルはそのブランクからか相性からかライコネンを比べて全く戦闘力を持たず、第11戦ヴァレンシア/第12戦ベルギーと連続して最後尾に低迷。結局フェラーリはそのベルギーGPで下位チームであるフォース・インディアでポール・ポジションを獲得し、決勝でも勝ったライコネンを追い回して2位となった現役のベテラン、ジャンカルロ・フィジケラをバドエルと交代させた。
が、ここからが興味深かった。”全てのイタリア人の夢”である悲願のフェラーリ入りを叶えた名手フィジケラを以てしても、フェラーリF60は下位に低迷した。本人言わく「これほどドライヴが難しいマシンとは思わなかった」…..結局、確かにバドエルはブランクと実力で惨敗したかも知れないが、マッサやこのマシンで勝利してみせたライコネンは相当特殊なドライヴィングを強いられていたということでもある。フィジケラは来季の現役引退/フェラーリのリザーブ・ドライバー就任を受け入れるとしているが、結局結果を残せずに”フェラーリ・ドライバー”という事実のみで、本当にフィジケラがレース現場を離れられるのかどうかは解らない。そして、今最もこの難解なマシンを乗りこなしているライコネンは今季いっぱいでチームを離脱。更にこの長いブランクによるマッサへの影響、来季満を持して迎えるアロンソとフェラーリとの相性も、現在のところ不透明なままなのである。

■第6位:FIA会長交代
任期18年間、その間に彼が行って来た功績は計り知れない。FIA会長、マックス・モズレーが遂に引退、新たにジャン・トッドが会長に任命された。’91年、まだFISA当時、独裁家ジャン・マリー・バレストルからその役職を奪ったモズレーの仕事は、任期4年目の’94年に激しく動くことになる。第3戦サンマリノGP、ローランド・ラッツェンバーガーアイルトン・セナの死亡事故発生。12年振りに起きたF1グランプリ中の悲劇にF1は揺れ、FIAは進化し過ぎたハイテク・マシンと危険なサーキット・レイアウトという問題と直面し、それでいて高速バトルのないレースは人気の低迷を招く要因ともなり、FIAはその狭間で苦悩し、モズレーは厳しいレギュレーション規制を行って来た。結果、それ以降モズレーの任期期間の間にドライバーの死亡事故は起きていない。激動の時代をコントロールして来たモズレーの功績は称賛に値する。
反面、モズレーはスキャンダルにも揺れた。あまりにも有名な昨年のナイト・スキャンダルでは敵対するF1チーム関係者の密告疑惑が浮上、チーム連合からモズレーに対し、明らかな”攻撃”が始まった。それは今季のバジェット・キャップ案を巡る論争にも影響を与え、いくつかのチーム代表者がモズレーを罵倒。世間的な目線では今回の会長退職はある程度”騒ぎの責任を取った”という見方も可能だが、レースの安全性を高めて来たモズレーに拍手を贈ると共に、新たなリーダーとなるジャン・トッドの幸運を祈る。

■第7位:KERS登場
本来、エコロジーとF1は完全に相反するものである。いくら時代がエコに向えども、ガソリン消費しながら金のかかったレーシング・カーを見せ物として世界を転戦することがその目的とは結びつかないことは、昨年いっぱいで撤退したホンダが良く知っている。が、そんなF1グランプリに「市販車への応用可能なエコロジー・システムを」と導入されたのが運動エネルギー回生システム、すなわちKERSである。コーナーなどでのブレーキング時に発生するエネルギーを蓄積し、ストレートで爆発的な瞬発力を出す、簡単に言えば”スピード・アップ・ボタン”の存在である。もちろんF1では初投入。ところが、このKERSが厄介だった。
まず、重い。それまで軽いマシンにバラストを使って重量配分のコントロールが可能だったのがコイツのせいでそうも行かなくなり、コーナーでのマシン挙動にとてつもない悪影響を及ぼした。そして、1周に1回しか使えない。後方にピッタリと着いて来る自分より速いマシンに抜かせないために、最終コーナーでスイッチ・オンするだけの道具となり、これさえなきゃもっと速いマシンが作れたんじゃないか、というジレンマ。全チーム中最もこのKERSを推進して来たのは、最もKERS開発の遅れたBMWだったというのも皮肉なハナシである。結局マクラーレン/フェラーリだけがシーズンを通してKERSを”熟成”、スタート〜1コーナーへの飛び込みでライバルをオーバー・テイクする、という使用方法でいくつかの好成績をモノにし、第10戦ハンガリーではマクラーレンのハミルトンがF1史上初のKERS搭載車による勝利を挙げた。が、現在今後のKERS使用に関しては廃止か標準装備案かで揺れ動いている途中であり、更にトヨタは「KERS開発は市販車の方が先で上、F1での開発から得るものは何もない」とこき下ろし、決してFIAの目論んだ”F1のエコロジー化”には繋がらなかった。来季は廃止か、FIAによる標準機となるか未だ未定。

■第8位:トヨタ、日本GP富士スピードウェイ開催中止
’76、’77年の日本初開催を経て、長く鈴鹿のものだったF1日本GPの開催地を、トヨタが再び富士に奪い返したのが’07年。2度の開催経験は完全に過去のものであり、全く別の近代ヘルマン・ティルケ・サーキットへと生まれ変わった富士はゼロからの出発となった。そしてその初回、豪雨に見舞われた富士でお粗末なイベント運営が露呈される。
走り去るマシンが観えないスタンド、トヨタ以外の応援フラッグ禁止、送迎バスのみのチケットアンドライド方式による観戦と”想定外の”豪雨による混乱。が、本当の問題はこれらではない。問題は、その対処法にあった。現在も裁判続行中のこの件に関して詳しいことは書かないが、そもそも貴方達にとってF1とは何なのかを問わなくてはならないお粗末なイベントだった。その反省も含め、2年目の’08年は相当な準備を行ってイベントそのものは上手く行った。が、トヨタはこの”リベンジ開催”にかかった費用を計算した上で「経費の問題」として既に契約下にあったF1開催を途中で投げ出したのである。
トヨタは何をしたかったのか。右も左も解らぬまま’64年にオリジナル・マシンで世界に挑戦し、その後F2で培った技術とレーシング・スピリットで最高のエンジンを作って欧州を席巻し、そして20年という歳月をかけて国内レース・ファン、更に多くのF1ドライバーにとって最大のイベント”鈴鹿の日本GP”を作って来たホンダの功績を、たった2年で安く出来るとでも思っていたのか?。

■第9位:鈴鹿サーキット3年振り開催
…..ホンダと富士の撤退を受け、ほとんど消去法のように今年鈴鹿サーキットでの日本GPがカレンダーに復活した。が、主役の不在と低迷する日本人ドライバーがネックとなったか、周囲の期待を裏切り観客席は満員とはならなかった。レースそのものは”初鈴鹿”となるドライバーが8人と半数近くを占め、新装となった東コース路面と旧路面のままの西コースでトリッキーなコース特性となりクラッシュが続出、トヨタのティモ・グロックは残りレース全てを欠場するほどの重傷を負った。イベント運営そのものは流石の出来、これからの新しい日本GPの歴史を作るために、我々も今以上の努力が必要となることを痛感した。

■第10位:STINGER-magazine創刊
…..まあ、お約束っちゃあお約束だけど(爆)、この御時世、それこそホンダ/富士/BMWと去って行ったこのタイミングで「皆にF1の魅力を伝えたい!」と奮起し、F1雑誌を創刊した村長…..じゃなかった、編集長の熱意たるや尋常じゃナイ。おかげさまでオレもF1ライター・デビューを飾らせて頂き、こうして一方通行な情報発信を続けられるのも皆山ちゃんのおかげ。感謝すると同時に、皆様今後ともSTINGERを宜しくお願いします!。

「もっとシーズンが長ければ良かったのに!」@’09年アブダビGP優勝記者会見/セバスチャン・ヴェッテル

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