レッドブル・エアレース初の日本人ウィナー室屋義秀インタビュー2/4
(その1からつづく)
(その2)
◆チャンピオン計画は1年前倒しになった
室屋は、以前からタイトルへの筋書きを立てていた。
「当初の計画より1年前倒しになっています。勝つのは2017年と言っていましたが、それが今年になりました。それは、去年日本戦があって、無理やり機体を入れたので、それで1年早くなった。去年はちょっと準備がたならかったですね。チャンピオンシップとしては来年をターゲットにしています」
長いスパンで自分の人生の設計図を描いている。我々だと、目の前のことしか見えないが、という問いかけの答は、いたってシンプルだった。
「う〜ん、ボクができることはひとつしかないので、他のことはやらないので(笑)。みなさんはお忙しいのでいろんなことをしなければならないと思いますが、ボクは意外と他のことは横着するので、それだけは真剣にプランニングしますから」
10年以上前になるが、室屋がフォーミュラ・ニッポンでデモフライトをしたことがある。実は、主催者からギャランティされたのではなくて、エアレースを広めるために自費で飛んだと噂に聞いた。
「それは2002年だったと思いますが、エアレースを知ってほしいというより、あの時は、自分の飛行機を初めて買った時で、エアレースはまだ始まっていなくて、エアショー(エアロバティック)でした。まだ誰も知らないし、飛ぶ場所もないし、若者だから信用性もないし(笑)、何もないけれど、飛んでもいいよ、と。まぁ、そんなに偉そうな話ではなくて、もちろん、フォーミュラ・ニッポンの関係の方々は凄くよくしてくれて、飛ぶ場所を提供してくれたのですが、初めて自分で買ってきた飛行機で、そこでやっと飛ぶことができたのです」
その時から、室屋義秀というパイロットに、スカイスポーツを広めたいという一途な気概のようなものを感じていた。室屋から見ると、通り道かもしれないが、ひとつひとつを整えて進めているようにも見える。そもそもフライトじたい、チームと一体になって、すべてを整えて飛ぶのではないか。
「まぁ、かっこよく言ってしまえばそうなんですけど(笑)、それは結果論であって、いまでこそ20何年もやっているので、何をしなければいけないかわかっているけれど、最初はよく分からないので、とりあえず、目の前のことをひたすらやっていく中で、あ、こんなの必要だ、これが必要だ、と。いろんな先人がたくさんいますから、ボクはけっこう人に恵まれていて、チャンピオンクラスの人に面倒を見てもらったりする中で、その人たちから一杯学ぶことがある。考え方とか、準備の仕方とか、いろんなことを教えてもらって、真似してきた、ということですね」
話を伺っていると、勝ちに向かって、日々は面白く充実していると思えた。
「日々は、充実しているというか時間がないですね」
室屋は、”充実”を別の言葉でそうコメントした。
(その3につづく)
photo by REDBULL / [STINGER]