トヨタの敗因と日本のモーターレーシング民度・その4 敗退の根底に流れるもの
日本のメーカーは、なかなか夜明けを迎えられない。しかし、夜明けを見るのは、そう難しいことではない。
(その3からつづく)
◆日本のモーターレーシング民度
以前、ニュルブルクリンクでポルシェのタイヤテストを担当していたブリヂストンの技術者が、任期を終えて帰国することになった。ドイツ人の仲間たちが開いてくれた送別会で、お礼のあいさつをした彼は、仲間から出の質問の答に対する彼らの反応に驚くことになる。
仲間の質問は、”帰国したらどうするのか”だった。彼は、モーターレーシングにさしたる興味はなかったので、少し遠慮気味に「モータースポーツのセクションで働くことになっている」とボソッと答えた。その瞬間、全員が歓声とともに立ち上がって、大きな拍手をしてくれたというのだ。日本では考えにくいが、これが欧米での『モーターレーシング』に対する普通の認識であり感覚である。
翻って、例えば日本でモータースポーツ関連の業務を扱う代理店の対応をみると、”自動車レースは人気のない分野”という哀しいけれど正しい認識に基づいて作業が進められることに気づく。モータースポーツで注目を集めようとすると、レースクィーンを使う以外に気の利いた提案が少ないのは、まさしく彼らが調査していることが正しいように、モーターレーシングへの人気と理解が高いものではないことを証明しているのだ。残念ながらそれが現実だ。
さらに辛いのは、平和な日本では、新しいものを創生したり、開拓することに興味が持たれにくい傾向を、特にクルマの世界で感じることが少なくない。誰かがやっていればそれを真似してよりよいものを工夫することはするが、新たな分野を創生し、育成しようとする動きには、そうそうお目にかかれない。
もちろんトヨタは、日本のそうしたモーターレーシングに対する盛り上がりを正確に認識しており、だから2台体制の予算しか与えることができないのだろう。費用対効果の側面からすれば、それは理論的にはまったく正しい判断である。
しかし、問題は、そうして参加するルマン24時間というレースは、日本人だけが観ているのではないということだ。伝統のレースは、世界中に情報として届けられ、正確なデータは確認できていないが、少なくとも数億人に届いている。今年は、人気俳優のパトリック・デンプシーが参戦したから、いつも以上に話題になったことだろう。
多くの人々(そのままクルマユーザーでもある)は、83回目のルマン24時間を観て、ポルシェは強い、と思ったはずだ。流石という認識かもしれないが、アウディもなかなかやる、と受け取られたはずだ。彼らにトヨタは、どう映っただろうか。
(その5につづく)
photo by NISSAN