写真で見る”童夢40周年–童夢の終わりと始まり”
7月15日(水)に京都東急ホテルで行なわれた童夢40周年イベントに行ってきました。それはそれは盛大な宴でした。
モーターレーシング界に限らず、クルマ業界に限らず、日本でこれほど盛大なイベントは、そうお目にかかれるものではありません!!
首謀者はこちら、童夢創始者であり、デザイナーの林みのるさんです。こんなに優しく気軽にサービスをしてくれる人なのに、この日の大盤振る舞いは、ビックリ仰天の連続でした。
会場の東急ホテルの入り口で、あの童夢-零-がお出迎え。
伝説のドライバー、浮谷東次郎のために、1965年に林さんが19歳で作ったホンダS600改造の”カラス”。なんと、この日のために、向こう側の白いマシンとともに、わざわざゼロから制作されました。
その向こう側に置いてあった白いマシンは、マクランサ。これも、ホンダS600をベースに林さんが作り上げたレーシングカーです。
16時~21時までという長時間のパーティ会場へ。18時までに、報告と発表が行なわれ、18時から宴会と聞いてたけど、16時を前に、すでに入口でワインやシャンパン、ビールが配られていました。
本日のお題目。
来場者は約500人。”御祝儀は固くご辞退いたします”ということだったけど、料理は最高級で数千万円の出費で童夢の区切りと、林さんの引退が報告された。出席者の一人、林さんの旧友でレジェンドレーサーの生沢撤さん。あいさつの途中で原稿を探している林さんに、”早く喋れ”とエール(?)を送ってました。
まずは、林みのる代表の引退発表から。その後、高橋拓也新社長と鮒子田寛副社長のあいさつ、林さんの古希(70歳)のお祝い、童夢を支えた10人の紹介と記念腕時計の授与式、そして、5月にご逝去した林さんの朋友だったレーサー松本恵二さんの紹介ビデオと、童夢の40年を振り返るビデオなどが披露された。
ビデオとともに紹介された、松本恵二さんの後継者。
童夢を支えた10人。後列左は、鮒子田寛副社長。左から三人目が林さん。
5月に京都大学で人間健康科学の博士号を取得した奥様の睦美さんにサプライズプレゼントも。
カラスとマクランサの復刻制作を担当した方々の紹介。1960年代中盤に手作りしたマシンを、現代テクノロジーで作るのは、簡単のようだけど、実は”思ったよりはるかに大変で予算もはるかにオーバーした”とのこと。
副社長として新たな活動を始める鮒子田寛さん。レジェンドレーサーであり、海外経験も豊富。そしてこの笑顔は、社長から副社長に一歩引いた安堵感?!
新社長の高橋さん。”林さんに、オマエがやらなければ童夢を畳む”と脅迫されてここに立つことになったとのこと。
高橋新社長のあきらめの表情(笑)。でも、実は、引退宣言をした林さんから、”日に10通はメールが来る”という状況で、やりたいことが山積みなのだそうです。
パーティ会場の2階から1階に降りると、そこは、京都の遊びを短時間で楽しんでいただくために、祇園や先斗町を疑似体験できる”五花街”が用意されていた。ちなみに、この日は京都最大の祇園祭の真っ最中だったけど、京都の芸子さん舞子さんの1/3に当たる45人が参集。林さんの京都での顔の広さと人脈の太さを証明していた。
深夜まで左の林さんにお付き合いされた方々。林さんの隣は、クラシック・モナコウィナーの久保田克昭さん、ホンダ第二期のエンジン設計主任の北元徹さん、第三期ホンダF1 のシャシープロジェクトリーダーの土井清行さん。
フィナーレは、深夜12時を回った瞬間に、林さんにハッピーバースデーの大合唱。一生懸命ロウソクの火を消す林さん。なかなか消えなかったのは、やめると公言して、”明日からは釣り三昧”という言葉がやっぱり信じられないものだったことを物語っていた?!
会場で配られた、『トムスの軌跡』をパロッたという『童夢の奇跡』。312ページの分厚さは、”トムスより厚いのが自慢”と、林さん一流のジョークで紹介された。