スティングくんの”そうだったのか!!”その7 ~S.フェッテルのチャンピオン獲得~
2010年は、ドライバーとして成長した年でもあった。
S.フェッテルは見事2010年タイトルをゲットした。実は、シーズン終盤まで、タイトルは無理なイメージがあった。ぼくが見ても”お子ちゃま”と思えるレースがいくつもあったから(笑)。でも、韓国の結果で、彼のマインドが変化したんだと思う。
韓国でS.フェッテルは、リスキーな雨の中でトップを走りながら、エンジンが突然ドカンと爆発してリタイアした。その瞬間に、”これでS.フェッテルのタイトルはなくなったな”と、思った人も多かったはず。ぼくもそう思った。当のS.フェッテルもそう思った一人かもね。でも、そのおかげで肩の力が抜けて、いい意味での居直りができたかもしれない。
最終戦のアブダビで、タイトルの可能性があったのはF.アロンソ、M.ウェバー、S.フェッテルとL.ハミルトンだったよね。L.ハミルトンは、自分が優勝して、他の3人のレースがズタボロだったときに限ってチャンピオンの可能性が残っていたから、「失うものはなにもない」とコメントしていた。
それを聞いたS.フェッテルも「ボクもルイス(ハミルトン)と一緒だ」と言っていたけれど、それを聞いて、”う~ん、どうかなぁ”と思った。本当は、自分にリラックスするように言い聞かせて、逆に肩に力が入っているんじゃないかって。でも、本当にS.フェッテルは、言った通りの心境だったことが分かった。最終戦アブダビGPのレースは完璧。”お子ちゃま”は完全に封印されていた。
もしも、韓国でエンジンがドカンといかずにS.フェッテルがそのまま勝っていたらどうだっただろう。韓国GPが終わったところのポイントは、S.フェッテル231、S.フェッテルの後ろでゴールするF.アロンソが224という計算になる。M.ウェバーはスピンしてリタイアしていたから、S.フェッテルは一気にポイントリーダーに躍り出たことになる。
この状態で走るブラジルとアブダビで、S.フェッテルの心理がどうなるか。間違いなく守りのレースになったと思う。守りに入っていいことはない。
1982年、タイトル決定を前に、すでにワールドチャンピオンを経験していたネルソン・ピケは、スタート前に、ある日本人理解者に険しい顔で「怖い」と言ったんだって。つまり、豪傑のピケでさえもそうなる。それほど、ワールドチャンピオンは重いってこと。
データをよく見ると、S.フェッテルが韓国GPで勝ったとすると、4連勝になる。M.ウェバーは連勝記録があるけれど、S.フェッテルは連続して勝ったことがない。4連勝の可能性は高いとは言えないんじゃないか。つまり、S.フェッテルは、韓国でエンジンが壊れたから、雑念を払って集中力を高めることができた、というわけ。
あくまでこれは想像だけれど、こういう観方をしてみると、F1は最新かつ最高のテクノロジーの闘いだけれど、最後は人間、ということが分かって面白いと思うけれど、いかがでしょう。
あ、S.フェッテルが一皮むけて、ひと回り大きくなったのは確か。でもそれは、エンジンが壊れたおかげ、という観方と、結果としてそうなっても最後まで諦めなかったS.フェッテルの力”デタミネーション(決断力)”という言葉がぼくは好きだけれど、S.フェッテルは、お子ちゃまからグレイデッド(選ばれた)ドライバーに生まれ変わって2011年を待っている、ってことは間違いないところだね。