スティングくんの”そうだったのか!!”その2 ~可夢偉、オートスポーツでルーキーオブザイヤーの凄さ~
小林可夢偉は、2010年のルーキーオブザイヤーに選ばれた。
可夢偉が、12月5日にロンドンで行なわれた英国サイト”AUTOSPORTS-WEB”で、ルーキーオブザイヤーを受賞した。
母国日本だけでなく、世界が可夢偉の活躍を観て、そのパッションを感じた証拠として、健闘を讃えたられたんだね。
ちょっと余談になるけど、一部のイギリス人は日本人を毛嫌いする傾向があるんだ。両方の国の歴史や、これまで自動車メーカー関係の日本人がF1に対して、若干異質なスタンスだったことで、”黄色い猿”と陰で言われてナメられる歴史を作ってしまっていることもその理由になっていたと思う。
去年(2009年)終盤2戦の”活躍”を、乱暴者扱いする意見もあった。特に今シーズン最初の頃、ザウバーが不調だった時期には、”ほら見ろ”と言う声もチラホラ。たとえば、イギリスでF1を放映するBBC放送の解説者である元マクラーレンのF1ドライバーであるマーチン・ブランドルは、「クソ野郎」と放送禁止ギリギリの汚い表現を可夢偉に使ったこともあった。
可夢偉がルーキーオブザイヤーを取ったのは、そのイギリスのサイトであることが、最初の”凄さ”。日本人としても、ザマミロ、って感じ(笑)。
もうひとつ、”ルーキー”の中には、可夢偉と一緒にF1にデビューして、ブラジルGPでポールポジションを奪ったウィリアムズのN.フルケンべルグや、ルノーで大暴れした(本当に大暴れだったね)V.ペトロフなど、底辺カテゴリー時代からの”同級生”もいたけれど、ルーキーオブザイヤーがF1に限らず、全カテゴリーから選ばれるんだ。つまり、WRCにデビューしたK.ライコネンも含まれていた、ってこと!!
そもそも可夢偉は、6年間、ヨーロッパでの下積みレース生活の後にF1にデビューした。だから、今年2月のシーズン前テストのときに、GP2時代を一緒に過ごしたルノーのブーリュー・チーム代表や、大勢のF1関係者に”可夢偉、カムイ”と声をかけられていた。知り合いがたくさんいるのはいいことだからね。これまでで、最もすんなりとF1村に溶け込めた日本人だったんだ。運転のうまさ以前に、これは力を出し切るために非常に重要なこと。
もちろん、可夢偉が、折れない心の持ち主であることが、シーズン全般のチームの不振を救った大きな原動力になっていた。その意味からいうと、可夢偉は、コース上だけでなく、チーム作りという点でも、トロ・ロッソやフォース・インディア、時にはウィリアムズやルノーもオーバーテイクしたことになる。
可夢偉は、「今年は練習、勝負は来年」と言っていたけれど、”練習の年”の締めくくりとして、ルーキーオブザイヤー受賞は、大いに意味があった、ということだね。