F1よりWECが上だった–カウントダウン企画 2018F1GP開幕まであと92日
(93からつづく)
F1が楽しみになる、あんな話、こんな話。
日本でのレースは、1960年代に花開いたが、当初は、F1を中心とするフォーミュラカーではなく、ルマン24時間を中心とするWECの前身である世界スポーツカー世界選手権の『メイクス選手権』、もしくはアメリカとカナダを舞台に繰り広げられていた『CAN-AM(カナディアン・アメリカン・チャレンジカップ)』に参戦する大排気量2座席スポーツカーを踏襲する方向に興味が集まっていた。
この辺りの詳細は、STINGERで連載中の『リキさんのレーシング日本史–マイワンダフルサーキット』をご覧いただくとして、1960年代に日本の情報を元にモータースポーツに興味を持った多くのファンの憧れは、F1よりむしろスポーツカーであり、スティーブ・マックィーンの映画『栄光のルマン』がその集大成のような役目をになうことになり、海外の雑誌を講読していた一部のエンスージアストを除けば、F1の興味が盛り上がるのは、1976年に富士スピードウェイスピードウェイで行なわれた日本初のF1GP『F1世界選手権inジャパン』から後だった。
情報の量と同時に、1970年周辺の頃にメイクス選手権の人気が高かったのは、フェラーリ、フォード、ポルシェなどが開発に多額の予算を投入していたからでもあった。以前は、F1よりメイクス選手権やCAN-AMの方が、華やかだったのだ。
(91につづく)
[STINGER]山口正己
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