なんでもレーシングカーその1・紙で作る
◆二十代の頃は、なんでもかんでもレーシングカーだった。なにせ、1976年に受けた自動車レース専門誌オートテクニックの編集部員募集試験で、自動車レースが好き、ということが試験突破の必須事項と思っていたオレは、面接官の質問にことごとく”レース一辺倒”で答えたのであった。
◆”好きな映画は?”、「レース関係以外観ません」。”小説は読みますか?”、「レース関係以外読みません」。実際にそうだったのでウソではないが、質問者の意図は、”編集ってものは、偏った知識じゃ困るんでね”だったはずだが、そんなのお構いなしだ。最後には、面接官の一人、初代オートテクニック編集長の尾崎桂司さんに、「山口さんのレースへの情熱はよく理解しましたが、こちらにも都合があるので、もし採用されなくても、自分がダメな人間だと思わないでください」と言わしめたほどだった(笑)。いまでこそ笑えるが。
◆そのご心配に対して、「大丈夫です。私を採用しなかったら、この会社はダメな会社だと思います」と言って、居眠りしていた当時の社長がガバッと起きて大笑いしたので、それが合格の決め手になったと思う。かくてオレの人生、なんでもレーシングカーなのである。
<その1・紙でレーシングカー>
レーシングカーデザイナーになりたかったので、受験した大学はすべて自動車工学部があるところを選んだ。残念ながら、なかなか受からなかったので二浪して、千葉工大に入学させていただいたが、結果として自動車工学の授業は1回出たきりで、レーシングカーの話がまるで出てこないのでその後受講しなかった。直接関係あることやる訳ないのに。若かったのでゴメンナサイ。
◆それでも、卒論は、”レーシングカーの空気力学的考察”だったりするが、その二浪の間に邁進したのが、紙のレーシングカー作りだった。その後、卒論の関係もあって、ムーンクラフトの由良拓也さんに、完成品を見ていただいたら、富士スピードウェイの前のガレージで由良さんが大きな声で社員を集めて絶賛してくれたのだが、当時作った写真をちゃんと撮っておけばよかったが、結果として、現存するのは、オレの頭の中の誇張された記憶だけになった。
◆唯一、改良を重ねたモデルが1台あったが、それもいろいろカラーリングを変えたりモデファイしたり弄んでいるうちにバラバラになったので捨ててしまった。”捨てた”と聞いた次男が、「どうして捨てちゃったの?」と、実に哀しそうにつぶやいたので、ではもう一度、と思って15年ほど前に再挑戦してみた。しかし、若いころに比べて明らかなエネルギーダウン。途中までで挫折した。その挫折の痕跡が下の写真だ。
今冷静に見たら、ミッションケースが納まる場所が、タイヤとの関係からもっと後ろじゃなくちゃおかしいや。
◆なにせ、二次元の紙から三次元の立体を作るのである。できる限り平面を探し出し、紙を切り出して、可能なところはしごいてRをつけつつ貼り付けていく。大方の形になったところで、ペーパーボンド(黄色いプラケースと赤いフタ。乾くと透明になるあれだ)を全体に塗る。これは、プラカラーが紙に染み込まないようにするためだ。塗っては乾かし、乾かしては塗るを数回繰り返す。そうしてできた下地に、プラカラー(ここは、乾燥が早いタミヤのシンナー系)を塗っては磨き、乾いたらヤスリで磨いてはまた塗っては磨きを、ほぼ1カ月くらい(大げさじゃないです)繰り返す。と、やがて、角がないスムーズな局面の、プラモデルも見紛うボディが出来上がるのである。そこに最終仕上げのハンブローのエナメル塗料を筆塗りして完成する。完成までほぼ3カ月。浪人もするわ(笑)。
◆形は、紙の都合に合わせるから、かなり適当だが、”タイヤのグリップは、スリップアングル6度の時が最も効率がいい”という話を聞いたりしていたので、フロントノーズの迎角は、きっちり6度だったりした。
◆かくてプラモデルと見紛う世界に一台のモデルが完成。由良さんのおほめの言葉をいただくに至るのであった。あ~、写真、撮っとけばよかったぁ!!