たったの顔面麻痺・その4 『左右対称』
2006年4月、発病から2カ月弱のマレーシアGPのプレスルーム。元ベネトン・チームのメカニックから物書きに転身したT川T夫さんが、直り始めた私の顔を見て、記念に写真を撮ってくれるということになった。
「思い切って笑って」とT川さん。そういわれても、また治癒段階なので右半分しか笑えないが、精一杯笑ってパチリ。「ヨッシャ!」とT川さんは嬉しそうだ。
しかし、私は、よく知っていると思った彼のことをよく知らなかったことに気づくのである。T川さんは、メカニックの前歴を活かしてF1のメカニズムのイラストを 描くのもお得意、当然、フォトショップやイラストレーターなるソフトの扱いもお手の物。そこまでは知っていたが、迂闊だった。
1976年日本GPを見てF1に”感電”していきなりイギリス
に行っちゃって、かれこれ30年イギリス生活をしているうちに、ブラックジョークが大好きなイギリス人の中で、元々ブラック大好きなT川さんは、30年間にそのレベルを高くしていたのだ。「ヨッシャ!」とニヤついたのは、策略が頭に頭にあったからだった。
しばらくして、笑いを押し殺したT川さんが、「ヤマちゃん、ヤマちゃん」と机の上のPCを指さして呼ぶので行ってみると、なんてこった! イラストレーターを使って、顔を半分にし、それをつなぎ合わせて、「笑ってるヤマちゃんと悲しんでるヤマちゃんだぞ」、と言うのであった。
ひっ、酷すぎる! 病人つかまえて、なんてこった、と思う隙はなかった。あまりのおかしさに大爆笑してしまったからだ。そして、次の瞬間、動かなかった顔の左半分が少しだけだが動いたのである。
ダメだと思い込んでいる上に、怖いから上手く力を入れられなかった左顔面が、大笑いのお陰で筋肉が動きを少しだけ思い出したに違いない。T川さん、アンタは酷い人だがお陰で動いたのでありがとう。私は、怒りながら感謝して、T川さんとはそれまでよりずっと仲良しになった。顔面麻痺のお陰である。