抱き合ってほしかった
◆本日8月14日は、エンツォ・フェラーリの命日。亡くなったのは、マクラーレン・ホンダが16戦15勝して、フェラーリがイタリアGPだけに勝った1988年のことだ。
◆本田宗一郎の命日も8月。偶然だろうけれど、どこか共通点を感じてしまう。
◆1988年春ころ、『宗一郎vsエンツォ』という対談を思いついて、本田の広報部に連絡したが、「エンツォって誰ですか?」といわれて萎えてしまった。愕然としながら、なにかいい手はないかと、ホンダF1総監督だった桜井淑敏さんに相談すると、「宗一郎に直接手紙をだしてみたらいいんじゃないの」と仰る。住所が分らないと言うと、「下落合 本田宗一郎で着くよ」とのことだったので、手紙を書いて出してみた。
◆数日後に、本田広報部の、先日相談したご担当の上司から電話があった。「この度は宗一郎に手紙をいただいて、ありがとうございました」。げげっ、手紙には、広報部が知らなくてガッカリしたことも書いちゃっていたのだけれど、ともあれ、「『auto technic』と『GPX』だけではなく、テレビをからめてもいいか」ということだったので、むしろそうして広く伝えたいと返事をして、ひとまず本田のOKが取れた。
◆フェラーリの方は、モンテゼモロと、彼がラウダのマネージャーをやっている頃からの友人である間瀬明さんにお願いし、感触はOKだったのだが、その後、コマンダトーレの体調不良を知った。快復を待ったが、叶わなかった。
◆その企画を思いついたのは、1987年に鈴鹿は初めて行なわれた日本GPでゲルハルト・ベルガーのフェラーリが勝った記事を書いてもらったイタリア人のピーノ・アリエーヴィから、実はエンツォは本田宗一郎が好きだったと聞いたからだ。理由は、“自分と同じように、ゼロからホンダという会社を一代で作った男”だからとのことだった。鈴鹿の勝利を受けて、そういう相手のお膝元で勝てたことを、心から喜んだのだと。
◆ちなみに、1988年、フェラーリが唯一勝ったイタリアGPは、9月11日が決勝日だったが、その日は、エンツォが亡くなってから28日目。勝ったベルガーのゼッケンは28だった。
◆残念ながら実現しなかったけれど、もし二人が出逢ったら、瞬間的に抱き合ったかもしれない。その瞬間を見たかったといまでも思う。それだけで、対談は要らなかった。
◆エンツォさんと宗一郎さん、天国では出逢っているのだろうか。
photo by FERRARI