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トロロッソの前身、ミナルディを思い出したガスリーの4位

雨の鈴鹿で、ジャンカルロと。

トロロッソは、イタリア語でレッドブルの意味だが、ファェンツァのこのチームの元祖は、ジャンカルロ・ミナルディという情熱的なイタリア人が創設したチームだった。

「100の予算を与えられたら、普通は20をポケットに入れて80で運営するけれど、ジャンカルロは、120かける奴」という話がまことしやかにささやかれていた。

ファエンツァの自動車デーラーを営むジャンカルロ・ミナルディはそういう人だった。商売としては下手かもしれないが、情熱的には、他を圧倒していた。

そういう男がボスのミナルディ・チームだから、の逸話は数限りない。

◆パーツよりもチーズ
たとえば、FOCA便。ヨーロッパ以外のアウェイのグランプリは、当時、コンストラクターの団体であるFOCAが用意したチャーター便でマシンやパーツを運搬していた。ジャンポジェットでも積載量には限度があるので、チームごとに搭載量が与えられた。弱肉強食の欧州の慣例として、成績のいいチームは多く、悪いチームは少なく。ミナルディに与えられるのは常に少量だった。

なのに、このチーム、少ない積載量の中で、パルマ産のチーズ“パルメジャーノ”の固まりを積みこんだ。さらに、それでも積みきれないパルメジャーノは、メカニックのスーツケースに小分けして運ばれたのだ。

そこまでしても食にこだわるチーム。モーターホームで移動するヨーロッパラウンドはもちろん、世界中のどこでも、ミナルディのパスタの美味しさは圧倒的だった。セナも、頻繁に食事に通ったのがミナルディのモーターホームだった。

◆ウノ・ポイント!!
1988年。マクラーレン・ホンダが16戦15勝という凄まじい大活躍をした年だ。第6戦として行なわれたデトロイトのアメリカGP。いつものように、セナが優勝、プロストが2位で、マクラーレン・ホンダが1-2だったのだが、ミナルディのピエル-ルイジ・マルティニが6位に入賞した。ゴール後のミナルディのピットは大騒ぎ、メカニックが“ウノ・ポイント、ウノ・ポイント”と抱き合って泣いていた。涙を流す、というそういうレベルではなく、まるで迷子の幼稚園児のように、え~んえ~んと声を上げていた。

そのことをホンダF1プロジェクトのリーダーだった後藤治さんに伝えると、「勝ち続けると、そういう時代があったことを忘れちゃうんだ。いいことを教えてもらってありがとう」と礼を言われた。

ミナルディには、レースの基本を教わった。今回のトロロッソ・ホンダの4位で沸き立つピットを見て、ときは流れ、名前が変わっても、ファエンツァの想いが変わっていないことを確信した。

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[STINGER]山口正己
photo by TOROROSSO

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