F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

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	F1で巡りあった世界の空。山口正己ブログ

24時間レースはドラマが一杯

全然関係ないようだけれど、これもレッキとしたルマン。金曜日の中日には、こうして近所のゴーフコースで楽しんだ。星野さん、亜久里さん、影山正彦アニイ、マッチもいた。

◆富士スピードウェイで50年ぶりの24時間レースが行なわれている。2日の3時にスタートして、ちょうど12時間、半分が終わったところでこれを書いた。

◆耐久レースは、マクラーレン・ホンダが16戦15勝した1988年に見たルマン24時間が最初だったと思う。いや、まてよ、それは二度目か三度目かも。というのは、作家の村上龍ちゃん(いまはとてもちゃん付けでは呼べないけれど、当時は、F1のパスを取得してあげていたので、気安くそう呼んでいた)と一緒で、いろいろ案内したから、その前に何度か経験しているかもしれない。ともあれ、1988年のルマンは、おかげで、とても楽しい24時間だった。

なんだかとっても怪しげな移動遊園地がルマンには必須アイテム。

◆スタートして2時間経過した頃に、2時間といえばF1が終わる時間だと気がついて、お互い顔を見合わせて、「まだ1/12だよ、長いね」と言ったのを思い出した。ビールを何倍かお代わりして、ステーキ食って、まだ4時間。ヘビ女とデブ女を観て、日本の常識では絶対に許可されない危なっかしい回転数の乗物に乗った酔っぱらいが大騒ぎしていたけれど、あまりの長時間で酔いが回って回転しながらゲーゲーして周囲にまき散らした汚物を危うく浴びそうになったりしてまだ6時間。日産だったか、仮眠スペースを拝借してひと眠りして、まだ半分。とにかく24時間は長かった。

◆長いと、いろいろなことが起きて、それが極限状態の中で展開するので、ゴールまでにそれはそれはたくさんのドラマが生まれる。観ているだけでそうだから、ドライバーやチーム関係者はもっとたくさんのドラマが連発するはずで、だからゴール地点に感動が待っている。

◆自分が参加した耐久レースは、マツダにお世話になったメディア対抗4時間耐久が最長だが、それでも、アンカーを務めさせていただいててチェッカーを受けたときは、早くピットのみんなのところに戻りたくてしょうがなかった。オフィシャルがポストで色とりどりの旗を降ってお疲れさん、挨拶してくれるのだけれど、それはオレだけにしてくれている気になって、涙腺が緩みまくるのであった。

◆鈴木亜久里さんが、ルマンに完走したとき、最後の1周に感動したといっていた。あの冷静な亜久里さんがそうなるなら、4時間であれだけ感動した私が6倍の24時間を走ったら、どんなことになるのかと思う。

◆移動遊園地はないけれど、富士スピードウェイの24時間も、テントを張ってバーベキューをしながら聴くエキゾーストノートはエキゾチックだろうと思う。そういえば、ルマン24時間の週末、コース周辺のサルテ市の薬局のコンドームの売り上げは、いつもの400%になるそうだ。24時間レースがお祭りなのは、御神輿があって、金魚掬いがあって、綿あめがあって、ついでに夜這いがあるからかも。

◆そういえば、1988年のルマンのことは、村上龍料理小説のP262からの『Subject 31』に登場するけれど、小説の中の女は、実は私であることは内緒。キスはしてませんけど。

photo by [STINGER]

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