場に対しての礼儀
◆グッドウッド・フェスティバルofスピード2018が終わった。今年も、地上に存在するクルマと名のつく総てが世界中から集まったと思える数と質と、それらが醸しだすエネルギーが、ウエスト・サセックスのチチェスター(日本語的に面白い響きの名前なので、最初に行ったときにすぐ覚えた)の丘の上に展開した。
◆往年の名車に混じって、新しいクルマの紹介もあったけれど、その中で違和感を感じたのは、GAZOOによる新型スープラの宣伝だった。この違和感は、いつだったか、プリウスを走らせたときに、「なんだか変な気がした」と言っていた友人の言葉を思い出させた。
◆違和感を感じるのは、基本として、『グッドウッド・フェスティバルofスピード』は、歴戦の勇者(車)が集まるイベントだからだ。もちろん、空飛ぶ人や、新しい出し物は、観客のお目当てのひとつではある。しかし、主役はあくまで歴史を創ったクルマや人。要は、そうした場に対する遠慮みたいなものが必要じゃないの? ということだ。
◆日本のメーカーは、ルマンにしても、F1にしても、そして『グッドウッド・フェスティバルofスピード』にしても、場に対して貢献する姿勢の前に、往々にして利用することだけを考えがちだが、まずは『グッドウッド・フェスティバルofスピード』という場をリスペクトし、その場を使わせていただく、という礼儀としての意識がほしいと思う。
◆同じ意味で注目したいのは、今後のトヨタのルマンだ。これまでのやり方は、勝ったら終わり。もう用はない、と言わんばかりの対応が気になっていた。2018年のルマンから始まるスーパーシーズンと呼ばれる今年のシーズンは、変則的に来年のルマンまでなので、とりあえず、来年は出るのだろうけれど、その後、どうするのか気になる。
◆そんなことまで心配させたスープラの宣伝。GAZOOのご担当にお分かりいただけますように。
photo by FOS