ジェイムス・キーの行方
◆トロロッソのテクニカルディレクター、ジェイムス・キーとマクラーレンが契約したという話で夏休み前のハンガリーGPのパドックは盛り上がっているようだ。「ああ、せっかくトロロッソ・ホンダが軌道に載ろうとしているときに!!」という感傷的な嘆きに始まって、この移籍話からいろいろな憶測ができる。
◆ジェイムス・キーはイギリス人であり、イギリスに戻って、マクラーレン・テクノロジー・センターという魅力的な仕事場でおもいきったて働きたいとか、家族と平穏な生活を送りたいと思ったのではないか、とか、キー側にはそれなりの事情があるのだろうが、それより、マクラーレンの、というよりザック・ブラウンという人物の判断に素人を感じざるを得ないところが気になって仕方がない。
◆ブラウンは、レース・ディレクターのエリック・ブーリエを解雇して、首脳陣の一新を図っている。もちろん、強いマクラーレンを復活させるためだ。しかし、どこかズレている。
◆人間関係のことだから色々あるのだろうけれど、レースをよく知るブーリエの解雇(マクラーレン側は、辞任という言葉を使っているが、ブーリーはそうではないとコメントしている)は、正しい判断とは言いにくい。言うことを聞かないから切ったとしても、これはチームにとって損失だ。
◆ブラウンは、ビジネスで大成功を納めた人物としてF1に乗り込んだ。これは、ベネトンを指揮し、フェルナンド・アロンソのマネージャーとして君臨したフラビオ・ブリアトーレに似た経歴だが、大きな違いは、F1の認識だ。ブリアトーレは、ある意味ヤクザな世界であるF1をかぎ分けていたが、ブラウンは、F1とアメリカンレーシングを勘違いしているように見える。
◆もちろん、アメリカン・レーシングの、テクノロジーレベルは極めて高い。今でも鉄ホイールを履き、2トンもの重量で時速300km/h以上でドリフトしてバトルを展開するナスカーのマシンセッティングの繊細さは驚くべきものがある。だが、アメリカンレーシングのスポンサーは、いわゆるブルーカラー相手の企業であるのに対して、F1はホワイトカラーが対象そこが大きく違う。善し悪しは別にして、F1にはある種のプライドも様なものがあり、ハイソな蔬菜ティ。フレンドリーなアメリカンレーシングとは趣を異にしている。
◆ブラウンがジェイムス・キーを獲得した、というニュースを観たときに、真っ先に浮かんだのは、トヨタF1だった。2002年にデビューしたトヨタは、テクニカルディレクターとして、グスタフ・ブルナーをミナルディから引き抜いた。ミナルディは今のトロロッソだという“偶然”もあるが、デザイナーとしてのポジションが、キーとブルナーが似ていると思ったからだ。トヨタはそうした機微を理解せずにブルナーと契約した。
◆少なくとも、ブルナーもキーも、ニューウェイやゴードン・マーレイのような超のつく天才ではない。キーがマクラーレンに移籍したとして天才的な閃きを起こしてビックリするような仕事をするようには思えない。
◆ブルナーは、1982年に、ATSというチームのマシンのモノコックを丸くして注目された。現在のF1マシンのモノコックは、規則でがんじがらめにされて四角くなっているが、物理的に最も強固な形は丸であり、ブルナーのATSは注目された。しかし、それはトヨタが白羽の矢を立てる20年前の話だ。要するに、旬をすぎていた。
◆そういうデザイナーに、トヨタが巨額の契約金を払って全権を与えるとどうなるか。思い切ったデザインができるとは思えない。そのことをCARTOP誌に、「そつなくまとめてご機嫌伺いの仕事になる」と書いたら、トヨタ広報部から当時の編集長に電話で、“今後のおつきあいを考えさせていただきます”と意味深なコメントが届いたそうだ。それはともあれ。
◆ブルナーの作品となったトヨタTF102は、文字どおり、そつなくまとまったご機嫌伺いのマシンだった。結局トヨタは、5回の2位を最高位に、1勝もできないままでF1を撤退した。トヨタが巨額な資金を投入することを知っていた輩が集まり、トヨタF1チームは、一部を除いて、お金がほしい人材のたまり場になった。勝てるチームのために必要なのは、勝ちたいと思う人が集まることだが、そうではなかったのだ。
◆ザック・ブラウンのビジネス手腕は、ここに来て、F1に通用しなそうな匂いがムンムンとしているのだ。
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