赤城明さんの訃報に触れて–レイトンハウスの衝撃と思い出・その3
◆カペリと共に、レイトン・ハウスを背負ったのがマウリシオ・グージェルミン。ブラジル出身のマウリシオは、アイルトン・セナの友人としても知られていた。F3時代には、二人は共同生活を送っていた。その前身のカート時代、トレーラーに何台もカートを積んでレースに通っていた。裕福な家庭の出身だったグージェルミンが、クルマの屋根にカートを積んでいたセナのカートを運ぶようになったのがきっかけだった。そんな関係だったグージェルミンから、セナの“逸話”をいくつも聞いた。
◆一緒に食事に行って、アイルトンが払ったことは一度もなかったよ、というのも、二人の関係をよく現している。セナの運転でイギリスの高速道路を走っていてスピード違反で捕まった時の話も面白い。パトカーから降りてきたお巡りさんがセナに向って、「スピードの出しすぎだ、マンセルじゃないんだから」と言われて流石のセナが絶句した、という話もマウリシオから聞いた。
◆セナは、もう一度、捕まっている。隣に乗っていたグージェルミンは、お巡りさんが来る前に奥さんのステラに電話して、“長引きそうなので迎えにきてくれ”、と行って、警官と揉め続けているセナを置いて帰ってしまった、というのも、理解し合った二人の関係を物語っている。
◆グージェルミンは、マネージャー役のお兄さんがレースに帯同していたが、あるとき、レイトンハウスのモーターホームの中で、重ねたTシャツに何枚もマウリシオのサインをしているのを見つけた。あ、ニセモノじゃん、というと、「いやいや、このサインはボクが考えたの。だからこっちがホンモノ」とグラッチアーノ。ブラジル人はなんでも明るくするのだった。
◆ちなみに、カペリはF1ドライバーになっても、高校の時の同級生と食事をすると、いつも割り勘だったという。普通なら、稼ぎのいいF1ドライバーなら奢ってもいい気がするが、そうしなかった。ケチなのかと思いきや、そうしていたのは、友達とはいつもイコールでいたい、というカペリの優しさからだった。赤城さんのF1チームは、そういうチームだった。
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