東京オリンピックで見える日本のポジション–今でも日本は極東の島国
◆東京オリンピックまで2年を切った。他国に比べて数倍の予算がもったいないとか、ボランティアやサマータイム、熱中症対策など、競技内容そっちのけで騒がしいが、多くは、日本の“立ち位置”がもうひとつ理解されていない意見にみえる。
◆世界地図で日本は真ん中にある。しかし、それは日本の世界地図。海外で観る世界地図では日本の位置は右の隅っこ。だから“far east=極東”と呼ばれる。高校時代に、ラジオのFENがfar east netwarkの略だと知って、なんだか奇妙な気分になったりしたものだった。
◆その地理的条件も含み、自分たちのポジションをもう少し認識する必要があるような気がする。日本は自動車産業を中心に発展した国であり、これは世界に誇れるが、圧倒的に出遅れているのは、地理的、物理的なことを起点として、世界の中での日本の位置の認識だ。卑下するわけではないけれど、彼の地の方々の誤解や不理解から、日本の発言権が思った以上にない気がする。
◆それとは別に、ヨーロッパには“既得権”でがっちり守られた階級社会が存在し、その既得権を覆すのは簡単ではない。ストレートに言えば、オリンピックの基本的な都合は、ヨーロッパ中心に構築されている、ということだ。主催国の日本の都合は、残念ながら最優先ではない。
◆ニュースによると、東京に続く2024年のローマ・オリンピックが立候補を取り下げるらしい。あちらも女性市長だが、東京の小池都知事と同じ女性だからかどうか、双方を比較して、“ローマが羨ましい”という意見も書かれているけれど、東京は東京、ローマはローマ、比較するのはおかしい。だからといって、東京を強行すべきと思っているわけではないけれど。
◆ついでに言えば、ローマの取り下げを受けて、“やりたいところにやらせればいい”という意見もあったが、それはその記事の書き手がやりたくないと思っているだけで、世論の代表かどうかは別の問題だ。東京でもやりたい人はたくさんいるわけで、“やりたい人”では東京もやりなさい、ってことになり、その辺りのごちゃ混ぜなところが無責任と感じるのは私だけではないと思う。
◆それはともかく、酷暑の真夏ではなく、春先のサクラの季節に、という意見があっても、こちらの都合で物事は決まらない。暑い時期かどうかは日本の都合であって、世界の都合ではない、ということだ。
◆まずは場所的に日本が“極東”にある限り、距離と時差は、物理的にどうしようもない問題として残る。時差は、ヨーロッパ中心に考えられ、そこに都合は合わされる。仮にサマータイムにして2時間ずらしたとしても、ヨーロッパの都合にマッチングしていなければ変更は受理されない。暑いから、といっても、それは日本の都合で、“彼ら”には無関係だ。
◆サマータイムで2時間ずらすことが、あたかもオリンピックのため、と伝わっているようだけれど、もし、マラソンの時間が灼熱の元では問題あり、と思うなら、サマータイムをやらなくても、スタート時間を2時間ズラせば済む話。またぞろ、なにやら画策されている方がいて、オリッピックを利用しているのではないか、と考えると、若干涼しくなったとはいえ、まだ残暑なのに背筋が寒くなる。
◆この感覚は、F1でもフォーミュラEでもWECでも感じるところ。日本が負けているのではなく、主導権がどこにあるのか、それを突き崩すために何が必要か、グローバルな感覚の必要性にそろそろ気付いてもいいころだ。