NISMOフェスティバル・はみ出しレポート
◆タイトルバックの写真左のトヨタ7は、川合稔が1969日本CANAMで優勝したマシンだが、そのとき、ヘアピン側からパドックに闖入(昔はチェッカーが出るとなぜか門扉が空けられた)して、月桂冠を肩から掛けた川合稔が乗ったクラウンのオープンカーの後ろにへばりついていたら、後ろから押されて、リヤバンパーに挿されていたイエローフラッグをつかんだら、バキッと折れて、30mほど先でポロッと路面におっこちたのは、内緒にしておく。
◆ちなみに、ちょうど1年前の1968年の1回目の日本CANAMが、生まれて初めて目の当たりにした生のレースだったが、1年間で、何度か富士に足を運んでレースに詳しくなっていた。
◆日本CANAMの1カ月前の1969年10月10日の日本GPには、50ccの原付バイクを持っていた5人の同級生が予選を見物に行くというので、後ろに乗せてもらって10km置きに乗り換えつつ、府中の明星学苑高校から富士スピードウェイまで、246をトコトコ走って行った。行きだけでヘトヘトだったけれど、帰りをどうしたのか、まったく覚えがない。
◆もう50年以上前だけれど、レースを観たいという底知れないエネルギーは、さすがに最近ちょっと衰えたが、68歳の誕生日だった昨日も、富士スピードウェイまで電車で行ったことを考えると、まぁ、棄てたもんでもないな。
◆棄てた方がいいかもしれないけれどm(_~_)m。
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