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蒲鉾でFAXを送る時代!?

◆時代は巡るというけれど、確かにその通りだ。40年ほどの編集者遍歴で、ずっとついて回っている“通信”がいい例だ。

◆1987年に、鈴鹿サーキットでF1が行なわれることになり、中嶋悟が初の日本人フルタイムF1ドライバーになり、そのタイミングでフジテレビが全戦をほぼリアルタイムで放送することになった。千載一遇のチャンスと社長に直談判してF1速報誌を提案した。それがF1速報誌『GPX』だった。

◆速報誌なら、当然、スピードが優先されるのだが、1987年は、通信でいうとちょうど狭間の時期だった。FAXが日本では普及していたが、諸外国ではそうではなかった。なぜかといえば、テレックスが主流で、漢字とひらがなを送信する必要がある日本ほどFAXの必要性が高くなかったからだと思う。

◆1987年開幕戦のブラジルGPのリオデジャネイロでも、第2戦のサンマリノGPが行なわれたイタリアのボローニャでも、メディアセンターにFAXの備えはあったけれど、それが何をするものか、メディアセンターのスタッフは知らなかったので、使い方を教えてあげたくらいだった。

◆ブラジルでどうだったかは忘れたが、イタリアではA4を日本に1枚送信するのに、4000円くらいかかったことを思い出す。木曜日から毎日、当時参戦していた全チームのリリースを送信していたので、日に16チーム分だから、日曜日までの4日間で25万円以上使っていた計算になる。

◆通信環境は、今と比べたらまさに雲泥の差。モノクロ写真1枚送るのに15分くらいかかった。それもボケボケの写真だ。そもそもデジタルなんて誰でも使えるレベルでは存在しなかった時代なので、現地でフィルムを現像して、持ち帰って、成田から印刷屋に届けるなんて凄いことをやっていた。クリック一発で写真が送れる便利さに慣れ切ったいま、同じ作業をやれと言われても無理ってもんだろう。世の中の通信のスピードは信じられないレベルに高くなった。ありがたいことだ。

◆しかし、ありがたい反面、悲しいことも起きるようになった。蒲鉾が届かなくなったのだ。

◆なんのことかと思うかもしれないが、以前の原稿の受け渡しは、こんな風に行なわれていた。

◆『auto technic』という雑誌の編集者だった私は、1980年代始め頃から、いまやF1の解説者としてテレビの人になっている今宮純さんのF1とWRC原稿の担当だった。今宮さんは、原稿を郵送するのが普通だった。

◆しかし、ギリギリのニュースなどの原稿は、編集部まで持参して届けくれていた。さらに、そのタイミングで次の原稿があったりすることもある。そういう場合は、今宮さんのお袋さんが、代りに文京区本郷の『auto technic』編集部まで届けてくれた。

◆お袋さんが原稿を届けていただくことでさえ恐縮していたが、さらに恐縮だったのは、必ず手土産持参だったことだ。今宮さんのご自宅は小田原だったので、お土産は蒲鉾だった。それも、編集部で直ぐに食べられるように、串に刺さった甘辛くて珍しい、とても美味しい蒲鉾だった。

◆その後FAXという便利な機械が登場して、原稿はFAXで届くようになった。もう、小田原からわざわざ本郷にで出かける必要がなくなった。便利になったが、FAXは電気的に文章は送れるが、蒲鉾は送れない。かくて、FAXの登場で、編集部にあの美味しい蒲鉾は届かなくなった。便利の代償は小さくないのである。

photo by [STINGER]

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