今宮さん、安らかに
◆F1解説者の代名詞となった今宮純さんの訃報が届いた。年明け早々に、神谷さんに続いて、レース界の星がひとつ消えた。まずはお二人のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
◆今宮さんには、私が『auto technic』編集部に参加した1977年からおつき合いいただいた。正確に言うと、1976年10月23日からになる。その年の8月に受けた『auto technic』編集部員募集試験に通って、翌1977年から編集部員になる前に、アルバイトとして、生まれて初めて取材パスをもらって現場を経験したのが、1976年10月23日のF1日本GPだった。記憶が間違っていなければ、その現場で初めてお会いした。F1を記念して、『auto technic』編集部員で赤地に紺のストライプが入ったおそろいのダウンジャケットが配られ、アルバイトの分際で、編集部員や今宮さんと同じユニフォームをいただいてものすごくうれしかったことを思い出す。
◆今宮さんは当時、生沢徹さんの連載のライターだったこともあり、生沢さんと懇意の仲だった関係で、当時生沢さんのスポンサーだった三菱石油の紺/黄色/白のロングのダウンジャケットに、当時流行っていたパンタロンのジーンズ、そしてやはり、ロニー・ピーターソン辺りを発祥に流行していたロングヘアを、生沢さんや風戸裕さんの流れを汲んで取り入れたかっこいい人だった。当時は、まだF1に関わっていなかったが、国内最高峰のF2(現在のスーパーフォーミュラ)を放映していたTBSの解説者として、その姿をテレビで観ていた憧れの人だった。そこを起点に、1987年にリアルタイムのF1放映を始めたフジテレビの解説者として活躍された。
◆年齢は私より二つほど先輩だったが、モータースポーツの経歴は、大学時代にミニ・クーパーで参加されたジムカーナから始まり、1973年にF1を初取材するなど、はるかに先輩だった。ちなみに、初めて取材されたのは1973年。そのレースは、F1デビュー2戦目のロジャー・ウィリアムソンがアクシデントで焼死する痛ましい出来事が起きたオランダGP。今年復活するそのレースを、今宮さんは楽しみに待たれていたのではないかと思うと胸が痛む。
※今宮さんといえば、真っ先に思い出す蒲鉾とFAXの話。
謹んでご冥福をお祈りします。
photo by 今宮純F1ワールド事務局 / [STINGER]