全日本アンコ同盟!?
◆1987年に創刊した世界初のF1速報誌『GPX』は、世界各国のF1GP会場で撮影した写真を、いかに早く日本の印刷屋、というより印刷機の元に届けるかが勝負だった。当時は、通信が今のように発達していなくて、モノクロ1枚を送信するのに電話回線を使って15分かかった。よって現地取材の最大の役目は、現場のフィルムの運搬だった。今考えてみれば、凄い時代だったということになるが、運んだのは、末端価格2000万円のフィルムだけではなかった。
◆なかでも思い出深いのは、1kgアンコだ。甘くて美味しい、あの餡子である。
◆トラちゃんこと高木虎之介がCARTにデビューした2001年を思い出す。初テスト会場のフロリダのセブリング。CANAMで知って勝手に脳内に形成していたイメージよりはるかに質素というかショボい空港跡地のコースだったこともだけれど、現地では、“セブリング”ではなくて“シーブリング”と言っていることに衝撃を受けのだが、そこでアンコの話題になった。
◆当時、TRDアメリカにいらっしゃったその後TMG社長になられる木下美明さん以下、トラちゃん含む関係者と、アメリカ・プレスの牢名主であるヒコちゃんこと天野雅彦君などの仲間と中華料理でディナーをいただいたのだが、その中華が、世界各国でいただいた中華の中で、ダントツぶっちぎりに、マズかったのだった!!
◆で、食事しながら全員が口をそろえて「美味いもん食いたいなぁ」とつぶやきつつ、やがて、何が食いたいか、という話になったときに、海外にいる日本人の多くが共通している食いたいものが、アンコだった。
◆その昔、ホンダF1第二期時代の198年代中盤に、写真家の間瀬明さんが、ホンダの現場責任者だった土師守さんたちに、アンパンをお土産にお持ちになった話を伺った。最初は、なんだかけち臭いと思ったけれど、確かに、海外に長逗留すると、ラーメンと共に食いたくなるのがアンパンなのだ。以後、取材現場の自分用には5個入りのちっちゃいアンパン、お土産には、成田でとらやのどら焼を持参するようになっていて、木下さんにもどら焼をお届けしたのだけれど、究極はアンコの単体だったことに結論が行き着いた。
◆帰国して早速スーパーを探したら、1kg入りのビニールで真空パックを見つけて調達。木下さんにお届けした。以後、木下さんは私のことを全日本アンコ連盟会長と呼ぶようになったのであった。チャンチャン。
photo by [STINGER]