F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

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	F1で巡りあった世界の空。山口正己ブログ

人生を変えた憧れのCAN-AM

◆いま、カンナムというと、Kangnamかカンナムスタイルかもしれないが、オレにとってのCAN-AMは、1960年中盤から1970年代序盤にかけて、カナダとアメリカを舞台に繰り広げられた(だからカナディアン・アメリカ・チャレンジ・カップ=CAN-AM)7000㏄ビッグマシンのレースシリーズだ。自動車レースに興味を持ち始めたばかりの頃に出逢ったそいつは、何から何まで衝撃的だった。

◆F1のマクラーレンは、このCAN-AMのチャンピオンを足掛かりにF1に進出したし、逆に、アメリカ的に賞金の大きさなどからF1からも注目され、トップクラスのF1ドライバーも大挙して参加していた凄まじいレースだった。

◆そのCAN-AMのなかでも、特に1970年が最も印象深い。マクラーレンもローラも、そして時代を先取りして注目されていたチャパラルも、そしてアメリカ市場を重要視していたポルシェも、それぞれ特徴的だった。いま、時代を超えて、世界中のレースで1戦だけ見る権利がもらえるとしたら、迷うことなく1970年のCAN-AMの1戦を選びたい。

◆アメリカとカナダを巡るのだが、“ブリッジハンプトン”とか、“ラグナセカ”とか“ロードアトランタ”とか、“エドモントン”とか、実は単にコース所在地の地名なのにいちいちかっこよく脳裏にインプットされた。

◆ちなみに、当時のCAN-AMは、日本のお茶の間にも、数年遅れのレースをテレビ東京が『世紀のデッドヒート』というタイトルで、大和通孝というナレーターが紹介していたが、そのテレビ画面を35㎜のカメラで撮影して、ベタ焼きを切り抜いてアルバムに貼っていた高校生がいたらしい(笑)。

◆『世紀のデッドヒート』は、1966年から1968年に放送されたが、ちなみに、デッドヒートは凄まじい死闘、みたいなイメージで定着しているが、英語の意味は、死んだヒート、つまり、クソ面白くないレースのことらしい。

◆そのCAN-AMが、1968年と1969年にが富士スピードウェイにやってきたのだが、それがオレの人生を変えた。まず、1968年のレースが初の生観戦レースというオレにとって記念すべきレースだったのだ。そして1969年は、その日が通っていた明星学苑高等部から大学へのエスカレーター試験の日で、受けさえすれば現役入学ができたのに、日本CAN-AMを選んだせいで二浪するハメになった。CAN-AMのせいだ。

◆しかし、二浪した結果、『auto technic』が創刊以来初めての編集部員募集試験がオレの卒業に併せて行なわれることになり、幸か不幸かこの道に入ることになった。CAN-AMがオレの人生を変えたのだ。仮に現役で入学していたら、どうなっていたのだろうか。

◆まして、もし我々ファンの期待通り、ニッサンとトヨタがCAN-AMにチャレンジしていたら、日本のモーターレーシングは、まったく違う方向に進んだに違いない。

photo by [STINGER]

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