CAN-AMもいいけどグラチャンも!!–直近で観られた迫力のS字
◆富士スピードウェイには、初めて行った1968年日本CAN-AM以来、1976年に『auto technic』の編集部員募集試験を受けるまでに、50回ほど通った。お目当ては、いうまでもなくグラチャン。たいていは、水曜日から金曜日までの公式練習のどれかを覗くのが常だった。
◆高校を卒業して、70-210の望遠付きのカメラを手に入れていたので、あちこちで写真を撮りまくった。バンク付きの6kmフルコース時代に一番好きだったコーナーは、バンクを下って、須走落としから駆け上がってくるS字だった。理由は、コースに近くて、マシンがでっかく映るからだ。
◆高橋国光、黒澤元治、長谷見昌弘などのワークスGT-Rが、ドリフトで駆け上がってくるのを見るのが好きだった。35mmのレンズしかなかった高校時代は、横向きの写真しかなかったけれど、210mmなら、駆け上がってくる正面からも撮れた。
◆1974年に鈴木誠一と風戸裕が亡くなるアクシデントを境に、バンクが使われなくなった。なんだか度胸試しだけのように感じていたバンクが消えたのはさして残念ではなかったけれど、S字がなくなったのは寂しい限りだった。
◆大学時代に、“サーキット・ラリー”という学生連盟の試合があって、フルコースを走ったことがある。富士スピードウェイのフルコースを走ったドライバーは、現役ではほとんどいない昔話になってしまったけれど、いまでもあのS字があったら、どんな走り方をするか、観てみたいと思う。
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