旧交をつなぐ鰻
◆横浜で鰻をいただいた。地下鉄馬車道駅から5分『江戸徳』。今は息子さんに代替わりしているが、先代の山田さんは、『auto technic』時代にカートのインプレッションドライバーとしてお世話になった方。その関係で、ごちそうになったのはすでに40年も前のことだったけれど、鰻の美味しさは護られていた。
◆同行したのは、高校の同級生で、中野信治や佐藤琢磨のカート時代に、無限のチューナーとしてエンジンのチューニングを手がけていたアルデックス・ジャパンの秋山君。初めてバリバリのレーシングカートに乗せてもらったり、初めて現場で観た日本CAN-AMの富士スピードウェイに連れて行ってもらったり、要するにオレ人生を50年前に今の形にした張本人。
◆山田君と秋山となれば、懐かしい1970年終盤から1980年台頃の、アイルトン・セナを目の当たりにしたポルトガルの話などなど、猛烈に濃い~カートの裏話の連発となった。
◆ところで、秋山は、香港カートプリを何度も体験し、菅谷安智さんが1978年のポルトガルの世界選手権でポールポジションを取った時のメカとして同行し、日本と世界の違いをよく知る存在。話の中で、日本の若手ドライバーが、全然歴史を活かしていないのがもったいない、という話が興味深かった。
◆1960年代から、日本から本場ヨーロッパに、沢山のドライバーがチャレンジしているが、秋山に言わせると、「生沢徹さんが歩んだ道、失敗も含めて、誰もその歴史を学んでいなくて、同じ失敗をしているのがもったいない」と言うのだった。
◆もちろん、日本のモーターレースの理解度から、スポンサーの援助が足らないという致し方ない側面もあるだろうけれど、この一言は、かなりズシンときた。“歴史を学ぶ”という視点、今まで気づかなかったことがちょっとショックだったが、思い当たる節もある。
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