“生れ変わった”マクラーレン!?
◆マクラーレンが、2021年用のマクラーレンMCL35Mをイギリス時間の15日夕刻に発表した。発表会は、コロナ禍を考慮して、マクラーレンの本拠地である巨大なテクノロジー・センターでライブ中継の形を採っていた。
◆2021年のF1の車両規則は、2020年を踏襲しており、外観での相違はない。大きな違いは、コードネームのMCL35Mの最後の「M」が示す通り、パワーユニットがルノーからメルセデスに変更になったことと、ホイールベースが伸び、リヤエンドの形状がシヤープになったことくらいだが、ライブ中継の中で気になることがいくつかあった。それは、残念ながら、新制マクラーレンになってから、元々ロン・デニスが護り続けた“気遣い”が崩壊したことを感じさせるものだった。
◆その最たる例が、ランド・ノリスとダニエル・リカルドが登場シーンで乗ってきた2月17日発売予定のマクラーレン・アルトゥーラ(Artura)の素性にも現れていた。アルトゥーラは、マクラーレンF1は言うに及ばず、これまでのマクラーレンのロードカーとは別物の単なる市販車になっているように感じたからだ。
◆アルトゥーラがいただけないのは、市販車なのに、ユーザーサイドの視点が欠如しているクルマであること。たとえば、通常3分割になっているリヤカウルが一体になっている。仮にバンパーをぶつけて傷がついたとすると、一体パーツを丸ごと交換しなければならない。新車が購入できる富裕層には問題はないかもしれないが、中古車市場のユーザーにとって、これは腰が引ける構成と言わざるを得ない。
◆こうしたところへの気遣いが、マクラーレンF1を創ったゴードン・マーレイも、それを推進したロン・デニス代表も行き渡っていたが、新制マクラーレンには、そういう気遣いが消えたと感じざるを得なかった。
◆このライブを観たマクラーレンのユーザーからこんな感想が届いた。「今度のクルマのロゴは、「McLAREN」じゃなくて、「MACLAREN」にしてほしいよ」。日本語では同じマクラーレンだけれど、「MACLAREN」は、乳母車のメーカー。似て非なるものだ。
◆話は飛躍するが、この状況を見て、前々から言っている“トヨタのホンダ化とホンダのトヨタ化”というフレーズを思い出した。トヨタは豊田章男社長体制になってから特に、昔のホンダのような方向に向いているイメージがある。一方のホンダは、かつて売るだけの方向に邁進していたトヨタのようになった、ということだ。
◆前にも書いたが、昨年10月6日の八郷隆弘本田技研社長の会見で、すっかり骨抜きになった体質が明確になったと思っているが、これは“時代の流れ”なのだろうか。マクラーレンとホンダは、パッションも思い入れもなく、ひたすら商売だけを追う夢のない方向に流れてしまった。
◆到底買えない価格だけれど、マクラーレンF1は欲しいクルマだ。その流れの中で、2012年に登場したマクラーレンMP4/12Cも2000万円を超えるから買えるようになるにはもう少し頑張りが必要だけれど、京都市内から六甲の峠で市場させてもらったが、まるでオーダーメイドのジャケットのようにフィットするすこぶる素敵なハンドリングのクルマだった。クラウンと同じ車幅なのに、見切りのよさで大きさを感じずに肩幅にピッタリ納まるような安心感で、つづら折れの下り区間も気持ちよく走れた。とりわけ“踏んだだけ効くブレーキ”は絶品だったが、マクラーレンがそういうクルマだったのは、過去の異物になってしまったのだろうか。
◆そもそも、ザック・ブラウンは、商売上手で、その実績を買われてマクラーレンのCEOを任された。いまとなっては、ボルシェから引き抜かれて今年からマクラーレンF1チームの代表になるアンドレアス・セイドルにパッションがあることを期待するしかないのかもしれない。
◆とはいえ、AIが幅を効かせる世の中では、そんなパッションなんて要らないのかもしれないが、パッションのないモーターレーシングなんて、クリープを入れないコーヒーのようなものだ。と、古くさいフレーズをまだに使う年寄りは、もはやお呼びでないってことか? だとしても、クルマには、特にスポーツカーやスポーティを謳うなら、パッションは最低条件と改めて思う。
Photo by McLaren