ブラジルGPといえば思い出す
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◆今週末は3連戦の真ん中、ブラジルGPがやってくる。
◆現在のブラジルGPの会場はサンパウロだが、初めて見物した1987年は、その後ネルソン・ピケ・サーキットと呼ばれようになるリオ・デ・ジャネイロ・サーキットが舞台だった。1987年開幕戦は、中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューした日本人にとっては忘れられない思い出のコースであり、若気の至りで創刊したF1速報誌『GPX』の記念すべき創刊号をお届けしたレースだ。
◆2016年のリオ・オリンピックのために取り壊されて多くの競技場に生れ変わったあの場所。コパカバーナーの海岸沿いのホテルに泊まっていた我々は、片道40分ほどをかけて“通勤”した。
◆40分ほどの中間点に、“♪あの~木なんの木気になる木”でおなじみの、あの枝が大きく広がった軒下のようなモンキーポットがあり、それが厳しい日差しを避けて、オリーブの実をつまみにビールが呑めるカフェになっていた。写真家の間瀬明さんや今は亡き今宮純さんと立ち寄って一杯飲むのが週末の決まりだった。嗚呼、懐かしい。
◆コパカバーナの海岸沿いのホテルは、毎晩部屋をノックされ、ベッドに上がり込んでくる女性がいたのには辟易した。何かあったかって!? すでに結婚していたので、何もなく毎晩追い出した。
◆ホントに追い出したのか、って!? 本当ですって、妻子持ちがそんなこと、あるわけないあゃないですか。いくらピカピカの若き美人が毎晩ドアをノックしても、払えなくもない金額だと叫んでも、いきなりベッドに素っ裸で横になっても、怪しいことなんてするワケないじゃないですか、妻子持ちないだから。
◆突然、「シャワー!」とベッドを飛び出し、1分後には石鹸のいい香りを立ち上らせて、ベッドで横になっているオレの背中から抱きついても知らん顔して寝たものです。我慢は辛かったなぁ。本当です。本当ですって!! 女房殿!
◆“ボワッチ”という女の子が大勢踊っているディスコがあって、中嶋悟さんが乗ったロータス101のデザイナーだったJDさんは、女の子をお持ち帰りしていたけれど、妻子持ちの私は、知り合いに女の子を押しつけることはしたけれど、自分ではそういうことはしなかったのに、なぜか、私の腰のベルトをずっとつかんで、部屋に付いたらその娘が部屋の中にいる、という不思議な光景が見えたけれど、これはカイピリーニャというブラジルのカクテルを浴びるほど飲みすぎた幻覚に違いない。私は断じて潔白だ。妻子持ちなので。
◆ただ、ひとつ分かったことがある。リオの女の娘たちもそうだったが、サンパウロでも、彼女たちにとってのはセックスはビーチバレーやビンゴダンスをやるのと同じ“スポーツ”感覚ということだった。羞恥心や後ろめたさのようなものがまったくなかったのがよかった、いや、私はしてません、2度だけ、いや、聞いた話です。妻子持ちなので。
◆話を戻そう。その後ブラジルGPはサンパウロに会場変更をする。表現を替えれば、ネルソン・ピケの地元からアイルトン・セナのテリトリーに移ったということだ。
◆リオは海岸の田舎町、サンパウロはビルが林立して雑踏で賑わう都会、という分け方になるが、サンパウロに行くと、都会になった分、当時の治安はリオよりかなり酷かった。
◆週末の間に、ジェンソン・バトンのクルマが襲撃され、ウィリアムズのメカニックを満載にしたマイクロバスが襲われて怪我人が出たり金を強奪されるなどの事件が何件も起きていた。そんな状況を訊いててたので、一人でレンタカーで往復するのは怖かった。特に帰りは夜になることが多く、信号で停まっただけで気が気じゃなかった。
◆コース周辺にはベレー帽を被ってアサルトライフルのような銃を持った警察だか軍だかの衛兵が多数並んでいるけれど、逆に黄色い猿が狙い撃たれるんじゃないかと誇大妄想も顔を出し、暑さ以外に冷や汗も出まくった。
◆当時はカーナビもスマホもない。迷子になってスラムみたいなところに迷い込むと、命の保証がない状況だった。思い出すだけでおしっこちびりそうだが、暑くて全部汗で出てしまうので大丈夫、って冗談言ってる場合じゃないか。
◆そこから立ち直っくれていればいいと思うけれど、きっと、緩い逆を駆け上がる最終コーナーの向こう側に広がるテレビ画面の街並みに、いまでもスラム街が映り込んでいるかどうかを観察しながら、明日から始まるブラジルGPのフリー走行を楽しみにしておきたい。
[STINGER]山口正己
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