池沼さん、安らかに。合掌
◆25歳の頃、突然増えたのが結婚式の招待状だった。最近は訃報が増えた。そういう歳周り、ということだ。
◆今回の訃報は池沼純一さん。1982年、銚子の名洗港で行なわれた歴史的な『第一回オールスターダートトライアル』のウィナーだ。
◆ダートトライアルは、当時隆盛を究め、北海道から九州の全国で大流行し、年間500戦が行なわれ、その集大成というべき『全日本戦』が、名洗港で行なわれたのだ。
◆池沼さんとは、車両違反の件などでケンカもしたけど、オフロード上がりで、創意工夫のマシン創りが興味津々のドライバー兼ビルダーだった。
◆いま思えば、ちょっと怖い電話でのやりとりがあった。車両規定について、違反を承知で突き進んでいた池沼さんに、『auto technic』編集部から“ちょっと待った”の電話をした。引かないこちらに、「夜道に気をつけろ」と言われ、女房に即刻電話して、“オレ以外の誰が来てもドアを開けるな”と伝えたことを思い出す。
◆その後なぜか親しくなって、池沼さんが主戦場にしていた伊佐美橋のダートラコースには、頻繁にいくようになり、そこから中部地方で盛んだったダートラを通じて、勝田照夫さん(勝田貴元のお祖父さん)が主宰するMASCのラリーやダートラの面白さを知り、山本克典や大岡武、そして平田勝と出逢えた。
◆例によって時系列が若干前後しているけれど、そんなことはどうでもいい。池沼さんがいて、ダートラがあって、いろんな人との出逢いがあって、益々モーターレーシングが大好きになった。
◆酔った勢いで妄想すると、本当にいい時代を生きてきたと思う。そのご褒美として、自分に自転車くらい買ってあげよう。
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