おかぁちゃん、ありがとう
◆お袋が亡くなった。痴呆症状が出て施設に入っていたが、体調不全で病院に搬送された後に息を引き取った。享年95歳。天寿を全うしたと赤飯を炊くべき長生きだった。
◆昔の人としては174cmの長身だった親父に対して150cm以下。見上げる長身の親父には歯向かってよくケンカしたけれど、お袋は苦手だった。小学校の頃、お父ちゃん子で一緒に寝ていたのだが、お袋に叱られる夢を見ては、親父の胸をドンドン叩いて“おかぁちゃんのバカぁ”と泣いて目が覚ましたものだった。ガキの頃は、横っ面を張り倒された厳しい存在だった。
◆例えば、同級生の弟が、集団で待ち伏せする卑劣な先輩連中にいじめられているのを助けようとしたら、総掛かりで川に突き落とされ、それが悔しくて泣いて帰ったら、“泣いて帰ってくるんじゃない!”と平手打ちされた。その時は、こんな仕打ちってありか!とショックを受けたが思えば“ご尤も”なことだった。
◆親父が亡くなった2002年、ちょうどいまの自分と同年代だったお袋と、葬儀場のエレベーターの中で二人だけになった。ドアが締まると、喪服を着たお袋が握り拳を胸の前にボクシングのようなポーズで構えていきなり、『よっしゃっ!』と大声で叫んだ。“自分がしっかりしなくちゃ”と気合を入れたのだと思うが、その光景とデカイ声に驚いたのを昨日のように思い出す。
◆コロナの関係もあって見舞いもままならず長らくご無沙汰しっぱなしだったせいもあるのかもしれないが、頻繁に容体を伝えてくれていた妹から亡くなった知らせが届いたが、まったく実感が伴わずに頭の中を思い出だけが行き来している。
◆2002年に親父の逝去を友人に知らせ、“ショックだ”と伝えたら、母親を亡くしていたその友人は、慰めの意味で「母親は別格で辛いよ」と教えてくれたとこを思い出したが、まだ、妹からとはいえ伝え聴いただけで実感が沸かないけれど、悲しさが精確に理解できていないせいなのか、まるでピンと来ていないが、実感として理解できた時のことを想像するのが恐ろしい。
◆コロナ陽性反応が出て明日6日まで外出禁止の指令を医者から言われている身としては待つしかないけれど、実際に『おかぁちゃんが亡くなった』という現実を認識した時に、どんな感情になるのか、考えるのが怖い。
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