改めて桜の日本GP
◆フジテレビネクストで、1週間前(4月7日)に行なわれた日本GPの放映があることを発見してテレビを点けた。改めて“F1は面白い”と思った。
◆いまごろ何を言ってんだよ!という声が聞こえるが、ここ数年のF1レースは、『ライブタイムメモ』の原稿アップに集中しなくてはならず、ゆっくり観たのは、ライブタイムメモが始まる前。つまり、5年ぶりくらいになるからだ。
◆日本グランプリは、いつもの秋から4月に移動したことで、“桜のグランプリ”として世界中のファンや関係者が鈴鹿を見直したと思うと、気分よく観戦できた。当然、展開はまぁまぁ細かく知っているが、いまさらながら、“あ~、ファンの人たちはこんな気分でレースを観ているんだなぁ”と、初心に戻ったというか、若干大げさだが感慨深かった。
◆ところで、秋から春にグランプリが移動した、という表現でいくと、なんとなくデジャブな気分にもなった。1960年代の“日本グランプリ”は、鈴鹿サーキットが舞台だったものが、紆余曲折の末、1966年に富士スピードウェイで行なわれることになった。ただし、メインレースはF1ではなく、スポーツカーが主役で、例えば、後に童夢を創設する林みのるさんがホンダS600を改造した真っ黒な“カラス”で参戦しているが、その辺りの細かい経緯は、【STINGER】で連載中の、その第一回日本グランプリのフォーミュラカーレースに参戦された大久保力さんの『マイワンダフルサーキット』をご覧いただくとして、1965年の秋に予定されていた鈴鹿のそれがゴタゴタの結果、今回とは多少時期はズレるが、5月に富士スピードウェイで行なわれることになったのだった。
◆もっとも、1963年に鈴鹿サーキットで開催され、国内レースの曙となった『第一回日本グランプリ』は5月のゴールデンウィークに行なわれているので、精確に言うと“元に戻った”のだが、上記のゴタゴタの末、一度は11月の予定だったことから1965年が中止となり、1年開けた1966年に富士スピードウェイに移ったのだが、まぁ細かいことは置いておくとして、“秋から春へ”という意味で、なんだかデジャブな気がしたのだった。
◆F1の日本GPは、1976年と1977年に富士スピードウェイで行なわれたが、1977年のレースで観客席にジル・ヴィルヌーブのフェラーリが飛び込むアクシデントが起きた結果、日本グランプリは1987年から鈴鹿に舞台を移し、一端富士に戻ったけれど、現在は鈴鹿がF1の舞台として定着している。
◆ところで、春に移動したF1を“桜のグランプリ”と表現していることに対して、鈴鹿にはそんなに桜はないという意見もあったりしているが、秋から春に移った、というプラスな現象を現すのに、“桜のグランプリ”以上の表現はないと思う。もちろん、ウソではよろしくないけれど、大切なのはイメージ。桜の木が何本あるか、ということではなく、“季語”として桜を活用するという風流を理解して、毎年、“桜のグランプリ”を楽しみにしたいと思う。
Photo by 【STINGER】