たったの顔面麻痺・その6 『笑ってごまかす』
笑ってごまかすという言葉を深く考えたことはなかった。しかし、顔面麻痺のお陰で、それが実に重要なコミュニケーション・ツールであることに気がついた。
すれ違いでニコッとする。しかし、それができないと、追いかけていって「あの、一見いやな顔してますけど、私はアンタのことが嫌いなわけじゃないですよ」と説明しなければならない。顔面麻痺だと、そうなっちゃいます。
突然、顔がたれ下がった2006年2月24日のバルセロナ・サーキット。F1テスト会場でブリヂストンの方にインタビューをお願いしていた。忙しそうにしているその方とすれ違いざまに、「夕方5時頃でいいですか?」と声をかけようとして固まった。
人は相手に声を掛けるときに、まずは笑顔を作り、そして本題に入る。しかし、笑顔が作れない。そういう状況では、驚いたことに声が出ないのだ。「アゥ、ワワワ」自分でビックリした。相手はもっとビックリしたに違いない。
相手が近くにいれば、”いや実は顔面麻痺になっちゃいまして”と話をすれば、事態を理解して、場合によっては同情もしてくれるだろう。しかし、例えば、税関のパスポートコントロールで並んでいる時に、30mくらい向こうにいる友人と目が合ったとしたら最悪だ。
知らん顔はできない。もじもじするこちらを見て、相手は怪訝そうな顔をする。こっちは無反応のダラリとした顔をしているけれど、事情をしゃべって伝えるには遠すぎる。デカイ声で遠くの友人に向かって、、「実はさぁ~!」なんて絶叫したら、挙動不審で逮捕される。笑ってごまかす。マジ大事だ。ごまかし過ぎも考えものだが。
ともあれ、笑ってごまかすという意味なんか、顔面麻痺にならなければ絶対に気けなかった。最初は人生真っ暗と思った顔面麻痺も、受け取り方では勇気が出るってことだ。
“顔が動かない”という現実を受けとめて観察し、『たったの顔面麻痺』という思考回路になった瞬間に、目の前にバラの花が咲くのであった。人生、プラス思考になれれば勝ち、である。(つづく)