最も愛すべきF1チーム
1987年鈴鹿のミナルディ・チームの面々。ドライバーは左がアレッサンドロ・ナンニーニ、右がアドリアン・カンポス。
photo by IL MITO Michele(Facebook)
◆フェイスブックで拾った写真で失礼します。
◆1987年はGPXがスタートした年で、いまみたいにナビがあるわけではない状況の不案内のヨーロッパでやっとサーキットにたどり着く繰り返しの中で、特においしいパスタを食べさせていただいたり、ミナルディにはすっかりお世話になったので、木曜日の夕方、甲州や勝沼のワインを10本ばかりを鈴鹿のこのイタリアのチームに差し入れした。
◆日本のワインもなかなかだよ、と言いたかったのだけれど、代表のジャンカルロ・ミナルディさんが喜んで、酒盛りが始まっちゃって、佐々木正マネージャーが、”変なもん持ってくるからぁ、まだ作業が終わってないのにぃ!!”と眉間のシワを深くした。
◆何せ、下位チームだからFOCAというチームの団体で管理するチャーター便に割り当てられるチームの搭載量は、成績にしたがって重さが決まるから、ミナルディは当然少ない数値。なのに、そんな条件の中でパーツを積み切れないのに、パルメジャーノ(パルメザンというのはフランス語。そもそも、パルマで産まれたチーズという意味だからパルメジャーノが正しい)のでかいのを切り分けて、制限の荷物の中に入れるくらい食にこだわるイタリア・チームなのである。
◆流石に丸ごと一個は重すぎるのだが、だからってあきらめない。1個1kgくらいに細かくしたのを、メカニックなどのチームメンバーに分散してスーツケースに入れさせて日本に運ぶのである。こんなF1チーム、見たことない。ヨーロッパでは、トランスポーターで陸路を運べるが、アウェイのレースは、そういうところでも苦労(?)する愛すべきチームだった。
◆そういう牧歌的仲間意識で楽しんでいたチームなので、なかなか成績は芳しくなかったのだが、1988年アメリカGPで、ピエル・ルイジ・マルティニが、チーム結成以来初めて6位入賞して1ポイントを獲得した。猛烈に嬉しかったのでピットにお祝いに駆けつけると、メカニックが抱きついてきて、小学生みたいに”エ〜ン、エ〜ン”と泣きながら人指し指を立てて、”ウノポイト、ウノポイント”と言ってはまた泣いていた。こっちまでもらい泣き。
◆その話を、その年16戦15勝したホンダ・ターボの責任者だった後藤治さんに話をしたら、”いい話を聞かせてくれてありがとう。勝ち続けると、ずっと勝てると思って気が緩んじゃうんだよ。勝てない時代を思い出せてよかった”と言われた。ミナルディは、マクラーレン・ホンダの16戦15勝に役に立った、ということですね。
◆ところで、万物は完成したら終わりと思っている。完成とは、物事が進化して無駄がなくなり、効率よくまとまることだが、そうなったとき、パルメジャーノを切り分けてパーツを押し出してまで積み込んでしまう愛すべきチームの席はなくなるのである。
◆ジャンカルロが、オーストラリアのお金持ちであるポール・ストッダートにチームを譲った翌年だったかのモンツァで、パドックをひとりで歩いているジャンカルロを見つけて握手を求めると、”アグリはチームプリンシパルになったけれど、私はもう、終わりさ”、と肩をすぼめて寂しそうに言われて、ここでも泣きそうになった。愛すべきジャンカルロ。あなたのチームが一番好きだったから、こういうF1チームがあったことをみんなに伝えたよ。
◆そうそう、あの時のワインのお礼だと言って、ジャンカルロは彼らの本拠地であるファエンツァの陶磁器のセットをプレゼントしてくれた。瀬戸と中国とそしてファエンツァは、シルクロードでつながっていて、だから陶磁器が存在するらしい。ミナルディに親近感を感じるのは、そうして日本の我々と、どこかでつながっているからなのかもしれないのだった。