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サーティースが思い出させてくれたホンダF1第一期の『もしも』

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RA302の設計図。中央のシャシー後端、フェラーリがソックリ真似をしたエンジン吊り下げ搭載用の梁の状況がよくわかる。

◆8日深夜のNHKの番組、『BS1スペシャル F1 世界最速への挑戦 〜本田宗一郎を継ぐ者たち〜』を観た。世界最速を目指す技術者の戦いを描いたドキュメンタリーだ。

◆当然、復帰するホンダに期待を寄せる番組だが、その中で、非常に印象深いコメントがあった。”なんでチャンピオンを取れなかったのですか?” という質問に、第一期ホンダF1の最後を共に戦ったジョン・サーティースが、キッパリと「やめたからですよ」と言った一言である。非常に深い、そして真実の言葉と思った。

※ ※ ※

◆サーティースがドライバーだった第一期最後の1968年は、コンベンショナルな、つまり競争力の高いRA301でタイトルを狙えるはずだった。RA301は、大幅な軽量化を計ったV12エンジン出力で他を圧し、サーティースと中村良夫さんが綿密な計画を立てて計画していたポテンシャルの高いマシンになるはずだった。

◆しかし、空冷RA302が本田宗一郎のごり押しとも言える方針で進行し、つまり1968年はホンダの中に、水冷V12搭載のRA301組と空冷V8搭載のRA302組の”ふたつのチーム”が存在、開発力も予算も分断され、結果としてRA301の開発に歯止めがかかることになった。

◆『もしも』は許されないが、もしも空冷推進計画がなく、1968年のRA301にホンダのエネルギーや予算のすべてを投入できていたら、ホンダはチャンピオンになれた可能性があった。少なくもと、数戦の優勝は可能だったはず、というのがサーティースの言葉の裏に込められたメッセージと思った。

◆空冷エンジンを搭載したRA302は、ごり押しで参戦したフランスGPでジョー・シュレッサーが亡くなるアクシデントを起こしてしまう。数周走ればオートバーヒートを起こすエンジンでは、サスペンションセッティングもままならず、参戦じたいに無理があった。だが、世の中、そう薄っぺらいものではなさそうだ。

※ ※

◆マイナスイメージの負の歴史を背負ってしまったRA302はその一方で、空冷に関係したエンジニア全員が、空冷3000ccのF1エンジンが成功しないは分かっていながら開発を進めていたというが、エンジンの主任設計者だった後に三代目社長となる久米是志さんは、未知への挑戦という意味での開発が「非常に興味深く、充実したものだった」と回想した。このことは、別のストーリーにつながる可能性を示唆している。

◆もうひとつ『もしも』が許されるなら、もしも1969年もホンダが参戦を継続していたら、サーティースの言葉から想定できるさらに深い”妄想”が膨らむ。

◆サーティースの言葉の”深さ”は、空冷F1を邪道と否定しながら、『もしも』第一期ホンダF1が、1968年で活動を休止せずに継続していたら、近距離テレメーターを採用して開発した軽量シャシーのRA302が、翌1969年、さらに軽量化できたはずの水冷V12を搭載して、強烈なポテンシャルを持つマシンに進化していたはずである、という可能性も想像させるのである。サーティースは、その後、RA302を鈴鹿でテストし、イタリアGPのフリー走行でもトライしている。

◆空冷エンジンは、オーバーヒートを克服できなかったが、シャシーの主任設計者だった佐野彰一さんの言葉が、別のストーリーを思わせる。

◆佐野さんは、宗一郎が空冷エンジンを提案した裏に、”軽量化”があったのではないかと仰った。冷却水の分だけ軽くなれば、クルマとして完成度が高くなる。シャシーを担当した佐野さんは、空冷化の理由のひとつを、宗一郎の車体屋への優しさと解釈していた。

◆それを受けて佐野さんは、前年のイタリアGP優勝のRA300に、マシン各部の強度を確認するために、センサーとそのデータを飛ばすアンテナを装着した近距テレメータを装備してデータを集め、徹底した軽量シャシーを作り上げたのである。

◆そしてそのマシンは、当時としては異端だったがその後F1マシンの常識になる極端に前方に位置するコクピットや、その後、ロータスが採用するサイドラジエターの方式でF1の定番になる低いノーズ、フェラーリが真似をしたエンジンの搭載方法などの他に、二分割のリヤウィングを電磁モーターで操作するためにステアリングにスイッチボタンが付くなど、きわめて先進的なマシンだったのである。

◆宗一郎が、”無茶”と思える空冷エンジンをごり押ししなければ、これらのメカニズムが実現したかどうかわからない。失敗を含めてそれを糧にして継続すること。そのことが重要だと、サーティースは言ったのだと思った。

※ ※

◆1954年に藤澤武夫副社長が原案を創ったとされる『檄文』の中で、宗一郎は、”我がホンダの使命は、日本の工業界の啓蒙にある”とぶち上げ、こう言っている。

“私の夢は、自動車レースで世界の覇者になることだ”。

◆この言葉が、4輪を生産するようになる10年も前に発した言葉であることも、サーティースの言葉は思い出させてくれた。

◆その深さを、”復帰”するホンダの陣営がかみしめているに違いない。ホンダは、新たに、長い航海を始める。



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