原発ダダ漏れm(_ _)m。
制御できないなら、飛んではいけない。
◆福島第一原発の新たなダダ漏れ情報が流れた。新聞/テレビは、この重要情報を黙殺している、という。これは由々しき問題だ。
◆ダダ漏れはもちろん問題だし、黙殺も問題。しかし、黙殺されなかったとして、なにが起きるのだろうか? 下手すると、不安があおられるだけの可能性もある。
◆黙殺をやめてニュースにする→国民騒ぐ→東電ビビる→本腰入れる→金かかる→税金使う→国民怒る→東電さらにビビる→もっと金かかる→それでもダダもれ、止まらないm(_ _)m。
◆黙殺せずにニュースにする→国民騒ぐ→東電ビビる→国会もビビる→原発廃止論が勝つ、というのはある。
◆ただし、原発が問題なのは、制御できないことをやるのが間違いであることが正しく理解されるべき。ヒステリックに反対を唱えるのではなく、『制御できないからNG!!』、という理論展開にしないと、いつまで経っても堂々巡り。
◆制御とは、安全に使えるだけでなく、使い方の制御も当然入る。要するに、そんなことできっこないからやめろ、という理論も正しいけれど、それでは、推進派を留まらせることはできない。
◆そもそも、東日本大震災で原発が問題になったけれど、それはそのタイミングで制御できないないことが立証されたのであって、原発が悪いのではない。想定外という便利な言葉が流行ったが、地震で壊れたのではなく、津波の対応ができないなかった。”それさえ”できていれば問題は起きていない。そこが誤解されて進むことこそ問題だ。
◆原発原子力は、安全を確保できるなら、可能性は無限大にある。しかし、安全に使えないなら断固反対。問題は、天地神明の大きさのなかにあってはまことにもって浅知恵な人間による使い方であって、原子力そのものではない。