F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

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	F1で巡りあった世界の空。山口正己ブログ

行きはよいよい帰りは辛い

◆長男を助手席に乗せて4時40分に出発、八王子西インターから中央道。大月-須走-御殿場から東名で岡崎-湾岸をすり抜け、みえ川越で降りて20kmの
鈴鹿。渋滞なしの4時間弱。中央道1000円+河口湖-須走520円+御殿場川越1000円の往復5000円少々は嬉しいゾ。しかし、世の中バランスが取
れることになっている。その代償は帰りの渋滞でしっかり相殺。往路と同じく川越インターではなく、鈴鹿インターに向かったのが間違いの始まりだった。

◆”日本のモータースポーツを創ってきた方々の集い”が終わって鈴鹿を出ると、3年降りのF1復帰を待ち望むファン3万人の退散がすでに始まっていた。鈴鹿ICに乗って川越まで1時間10分。この30分ほどのロスがジワジワ効いて、東名の御殿場の先で起きた事故渋滞に嵌まり、中央道小仏トンネル恒例の渋滞
で2時間。4時間で行けた所からの8時間近く。最後の30kmでドッと疲れた。安い道路料金は、こうして早速お返しがくる。というわけで、”本日”は実は
“翌朝”書きましたm(__)m。

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3年降りの復帰にワクワク感満載のスタンド。

◆とはいえ、快晴の鈴鹿に集まった方々は、あっちでもコッチでもニコニコだった。新しいピットビルの2階のVIPルームで乾杯した”日本のモータースポー
ツを創ってきた方々の集い”には、230人のレーサー&ライダー及び関係者が集結。プレスルームでは最年長組の私も、こういう場面では最年少の部類なのがなんだか嬉しい(笑)。還暦を過ぎている滅多なことでは驚かない童夢の林社長をして興奮気味に、「来てよかった。若返った気分です」と先輩諸氏に言って回ったくらい。

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総勢230名の乾杯!

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童心に帰るその1。左から、大久保力さん、高橋国光さん、カメラマンの尾関さん、桑島正美さん。


松本恵司(左から二人目)の独演会に聞き入るNOVAの森脇基恭さん、童夢の林みのるさん、オートスポーツK谷
元編集長、鮒子田寛さん(時計回り)。

◆それにしても、レースが好きになった1970年ころに憧れだったレーサーと同じ空気を吸っていると思うと不思議な気分。
・大久保力さん:1950年代に日本の2輪レースの基礎を創った浅間からバイクレースに参戦。1963年の鈴鹿の日本GPから参戦し、マカオGP日本人初の表彰台。
・神谷忠さん:浅間時代からホンダのワークスライダーとして活躍。アライ・ヘルメットのレーシングスクール校長などで後進の指導も。
・高橋国光さん:浅間-マン島と日本のバイク史の創世記を闘い、世界GPに初の日の丸を掲揚。その後も、GT-Rやグラチャンマシン、グループCカーでシビレさせてくれました。
・津々見友彦さん:1963年の第一回日本GPから参戦。その後アメリカに渡ってマリオ・アンドレッティに弟子入り。帰国後は隆盛を究めた富士グラチャン・シリーズで活躍。
・鮒子田寛さん:トヨタ・ワークスドライバーから1972年初代富士グラチャン・チャンピオン。その前にアメリカでCAN-AMシリーズに挑戦。国産F1の”マキ”でF1にもチャレンジ。元トムスGBでベントレーのルマン優勝の一翼を担い、童夢の取締役などを務めた。
・中嶋悟さん:言わずと知れた中嶋一貴のお父さん。1987年の鈴鹿の初F1の時、当時は初開催のコースでは前日の木曜日に特別走行枠があり、そこで最初にコースインしたのが中嶋悟さん。”日本人が日本のコースをF1で走っている”と思ったら涙がボロボロ出たなぁ。
・松本恵司さん:星野一義さんとのバトルの数々。度胸のレースで名場面を創る。この日は、レースの武勇伝で大盛り上がり。
・桑島正美さん:ヨーロッパF3で才能を認められ、F1を期待させた”黒い稲妻”。日本人レーサーで最もイケメン。

◆多賀弘明さん、長坂尚樹さん、230人をすべて紹介できないのが残念。


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