F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

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卒論

◆西荻窪で某ドライバーのスポンサーの相談。こういう時に”某”と使うとなんだか思わせぶりでいやな感じがするけど、そのうち明らかにするのでゴメンナサイm(__)m。

鮒子田さんから2月20日のスロットカーGCレースの参加受諾メールが届いた。
「山ちゃん
肩書きはなんとする?
GCファン代表?
Stinger編集長?
返事をください」。

◆いやぁ迷いました。代表はおこがましいし、STINGERはいまのところグラチャンはジャンル違いと思われちゃうし。散々迷って「GCファンのSTINGER編集長」でお願いした。優柔不断の欲張りがよく現れているなぁ(感心してる場合かよ)。

◆しかし、今で考えたことがなかったが、「GCファン」という括り方はかなり正しいかもしれない。1960年代中頃にレースファンになり、CAN-AMとルマン24時間に憧れて、1970年代序盤に日本独自の(てか富士独自の)シリーズとして誕生した『富士グランチャンピオン・シリーズ』はツボにハマリまくりのレースだった。

◆当時のグラチャンはマイナーツーリングとスーパーツーリングのサポートレースも含めて、猛烈に面白かったなぁ。完全に狂わされたオレは、富士に通いつめた。もちろん、決勝日は、入場料が高くてダメだし、そもそも実家のキャンプ場の手伝いがあるから、特にキャンプシーズンの夏場の土日はカキイレ時だからしてお客さんを運ぶ遊覧船の船長をやっていたから、そもそも決勝は見られない運命ではあった。ということで船でドリフトを覚えることができたのだが、それは関係なくて、グラチャンの公式スケジュール前の水曜日と木曜日は、確か300円でパドックどころかピットにまで入れたいい時代だった。水曜日と木曜日に二日連続で相模湖-富士を往復したりした実に充実の日々を思い出す。

◆勢い余って1977年に卒業した千葉工大の卒論が、”レーシングカーのボディ形状の空気力学的研究”だもの。レースで空力が論じられるようになったのは、ちょうどオレがレースのとりこになった1960年代中頃。それまで”とにかく空気抵抗を減らそう!”という考え方一辺倒だったところに、”ダウンフォースフォース”という概念が加わったばかり。したがってデザイナーは暗中模索のわけですよ。その結果、創意工夫があちこちにあふれていて、いろんな形のクルマがあって実に興味深かったのだ。卒論の中身といえば、雑誌をコピーして組み合わせただけ、と言えなくもないけどね(笑)。

◆そうした境遇のなかで、遠くから眺めていた方々の横に並んで、スロットカーとはいえどもレースができる。こんな幸せ、ありでしょうか!!

◆以下、卒論の一部です。

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