子供の日
◆アサイチの成田エクスプレスで成田からロンドン経由でバルセロナである。今回は、いろいろあって気が重い。うん、”気の重さを測る計測機器があったら面白いな。誰か、考えてください。
◆成田の出発ロビーでAir-Hがうまくつながらず、書き込みはバルセロナに到着してからになった。こちらの夜9時はすでに日本は7日なのに5月5日の話で失礼します。
◆本日は子供の日だ。子供の日は,人それぞれの思いがあるだろうが、オレが思い出すのはボート場の切符売り場である。御曹司がご幼少(←オレです)の頃は、親父の手伝いでボート場の切符売りをやっていたからだ。子供の日は、まぁたいした額にはならないが、山口家にとってかきいれ時なワケですね。で、切符を売ってると,客が来る。お父さんに連れられた子供がね、子供の日だから。複雑でした。オレもお父ちゃんに連れられて、どっかで切符を買う立場になりたかった。かくて精神的に抑圧され、ひねたガキが育まれることになるわけだ(笑)。
◆夏になるとキャンプ場が親父の商売になる。400人ほど泊まれるそれなりにでかいキャンプ場なのだが、満員になるのはほぼ土曜日だけ。それも、世間の相場は7月と8月と決まっているので,他の月は客がこない。”夏はキャンプ場の社長、冬はルンペン”と言うのか親父が盛んに使うキャッチフレーズだった。
◆夏の間は、そこに一家で引っ越す。秋が深くなる頃、再び,直線距離1kmほどの実家に引っ越す。つまり、1年に2回は引越しをしていた。オレが生まれた数年後からキャンプ場をやっていたので、年に2回の引越しという習慣は20年以上続いていて、つまり,引越しを50回近く経験した。めったに出来ない経験を持ってるわけで、だからなんだといわれると何にもないが、まぁ、話としては面白いかな、と。
◆ちなみに、みの石滝キャンプ場(042-685-0330)は現在、弟の英治が引き継いで経営者になっているが、立派な売店を自分で建てているので、年に2回の引越しという不合理はやっていない。しかし、冬は寒くて大変だろうと思う。何せ、”夏なお寒く蚊もいない”というのがこれまた親父の残したキャッチフレーズで、場所によっては日照時間がほぼゼロの森の中で小川が流れる環境の冬の寒さは、半端じゃないので。
◆神奈川県相模湖町にあるそのキャンプ場で、7歳の時に相模湖に落ちて溺れた、といのもオレのご幼少時代の事件であった。親父が亡くなった後に,50年間以上ずっと書き続けていた日記を見たら、そのことが、”大事件”と書かれているのを発見して、少しジンとした。
◆ところで、その事件だが、お袋に言わせると、「どう考えても15分は沈んでいた」のだそうだ。本人にその日の記憶はまったくないが、”15分”にはお袋なりの裏付けがある。
◆8月末のその日は、アルバイトの給料日で、親父は売店の店先で給与の計算をしていた。そこに、アルバイトのお兄さんの絶叫が聞えた。「落ちたぁ! マーボーが落ちたぁ!!」。立川のデパートで買ってもらった靴とおもちゃを、ボートの水汲みをしているアルバイトのお兄さんに見せようと、縦につながれたボートをロープを手繰って進んでいるうちに足を滑らせて落ちたらしい。
◆親父とお袋は、ビックラ仰天して約200m離れた現場にすっ飛んでいって、親父はザブリと湖に飛び込んで御曹司(オレです)の捜索に当たる。何度も何度も潜って探すが見つからない。息継ぎに顔を出す度に、見ている人に手伝ってくれ!と叫びつつ、怖がって誰も来てくれないのでアルバイトの小林さんと二人でまた潜る。全然見つからない。そこで、ロープがついたイカリを投げ込んで引っ掛けるのがいいんじゃないか、という話になったが、掃除のおじいさんが、「ボーちゃん(と呼ばれていた気がする)の顔に傷がつくとかわいそうなのでもう一回潜ってくれ」、と懇願したのだそうだ。
◆そうこうしている間に、お袋は”もう助からない”と観念して、ならば仏様を地べたに寝かせるのはかわいそう、ということで、売店まで戻って戸板と毛布を現場に運んで用意して構えていた。女はこういう時の腹のくくり方が男と違って図太いのである。小林さんというアルバイトのお兄さんの足に、逆さまになって水中を彷徨っていたらしいオレの足が触れたのは、その後だった。確かに15分は経っていたかも、と思う。
◆大学の体育学の授業で、心拍停止で脳に酸素が回らなくなると5分で数十%、10分で100%死にいたると聞いた。この話を童夢の林さんにしたら、こういわれた。「前からオマエはおかしいと思っていたが、一度脳死してるんならそれも理解できるわ」。そういえば、お袋は,その話になると必ず最後に、「それまでは本当にいい子だったわ」と言うな(笑)←笑ってる場合ちゃうで。
◆子供の日って、みなさん、どんなことを思い出すんだろうか。