テーマパーク
これで全体のざっと1/10。外ではドリフト実演も見放題。
◆預かっていた段ボール5箱の献本用見本誌を箱崎に返却、代りに預かってもらっていた蔵書を引き上げた。倉庫が空いたと喜んだら、戻ってくる方が多くて増えることになった。世の中バランスは取れないこともあるのだ(笑)。
◆ブツブツ交換の後、箱崎から首都高に乗り、湾岸線経由で幕張メッセのオートサロン。昔は、超ニッチな、でも憧れの”東京レーシングカーショー”だった。相模湖生まれの少年(オレ–笑)が、奥地から都会の東京は晴海まで、ドキドキしながら出掛けたのは、すでに40年近く前のことだ(だからなんだ)。
◆オートサロンは、ニッチに変りはないものの、3日で20万人だから堂々のニッチだ。同じクルマなのにモーターショーの閑古鳥と比較するべくもない賑わい。
◆モーターショーの閑古鳥は当たり前の道理だ。自動車メーカーが、何を気にしているのか、エコと安価に走りまくり。そんなショーのどこに夢がある? 夢のないイベントに魅力がない。下手すると、そこに行くと、クルマ好きが罪ではないかと思ってしまうような会場に誰が行くもんか。会いたい人に会う、という目的の場としての役目はあるが。
◆しかし、オートサロンの賑わいの中で聞いた声には、若干寂しいものもあった。”これだけ人がいるってことは、自動車好きがまだまだたくさんいるってことで、心配することはなかったですね”という楽観的な投げかけに、「一昨年も、去年も、皆そう言っていましたね」と返事が来た。「なのに業界は活気づいていない」。
◆ならばなぜ、これだけの人が幕張メッセに詰めかけ、朝9時から湾岸幕張出口に殺到して渋滞を巻き起こすのか。「テーマパークなんですよ」。流石、質実人気とも圧倒的なシートメーカーB社社長だ。「見には来てくれる。メーカー側の一生懸命が伝わって楽しんでくれているのも嬉しい。しかし、必ずしも購買につながるとは限らないんです」。「ミッキーマウスは買えない。夢のものですから」。
◆某輸入車メーカーに勤務する知り合いの息子が免許を取った例の話。助手席に乗った時にまったく飛ばさない息子に、親としては安心したが、クルマ好きとしてはもの足らなさを感じた。”なぜ飛ばさないの?”という質問を息子はキョトンとして、こう答えた。「え、飛ばすのはゲームでやればいいじゃん」。クルマ好きの知り合い父は、安心しながら愕然とした。「彼には、バーチャルではない実際のクルマの運転が、駆け抜ける喜びを感じるものだということを、伝えても分からないと思った」からだ。
◆バーチャルと実体。オートサロンは、もしかして、バーチャルに一番近い空間か?
◆だったとして、ひとつだけ、小さいけれど明確な存在意義と期待をかける理由が幕張メッセにはあった。それは、子供連れの客がたくさんいたことだ。子供たちは、どの顔も大きな会場で喜々として輝いていた。子供たちが大きくなってクルマを買える年令になったときに、どうかひとつ自動車メーカーには、彼らが喜々とする、つまりバーチャルではない”欲しくなるクルマ”を作ってチョウダイな、と。
◆問題は、そこだったりする!?